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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の愛情あふれる文章が情緒を醸し出す。近江を中心に古き良き日本の風景を現出させれような魅力ある本だ。所縁があればもちろんなくても落ち着く場所を文化的背景を交えながら紹介されている。少々値段が高いのが難。
紙の本
もっと、希少になっているだろうな、かくれ里
2022/05/04 22:54
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前に読んだ「西国三十三ヶ所」が1965年の執筆、そして「かくれ里」は1971の執筆、高度成長のスピードがダウンし始めたとはいえ、すさまじいモータリゼーションの中、その6年間のうちに白洲氏が気に入る「かくれ里」はかなり減少していたのではないだろうか。もちろん、自動車が通れないような道ばかりでは現地へは行けないし、かと言って舗装道路ばかりではかくれ里とは言えないし。地元、和歌山の丹生都比売神社の項は興味深かった、「丹」というのは朱砂のことであり、煮詰めると水銀になり、水銀をまた煮ると朱砂になること、丹の取れるところだから「丹生(にゅう)」という地名になったこと(確かに和歌山には丹生という地名が多い)、天照大神の妹ワカヒルメがこの地でなくなったこと、そこからワカ山やワカ浦という地名が出たのではないかということとか
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白洲正子と次郎、説明するのが野暮なほど知られた二人だ。
だから、いまさら紹介する必要性は全くない。なので、今回は全編「わき道にそれ」モードでまいります。悪しからず。
昨日、武相荘に行った。「ぶあいそう」と読む。その寓居はかつて鶴川村と呼ばれた東京の郊外にある。元は農家だ。二人は昭和18年から60年近くここに住んだ。今は一般に公開されている。
ここの魅力を簡単に説明するのは難しい。強いて言えば「成金趣味」の正反対の極にあることだろう。成金趣味は、金にモノを言わせて高価で派手なものを一挙に集める。だがこの家は、本邦イチと言える目利きの眼でひとつひとつ選び抜いたモノばかりだ。家そのものも田舎家を30年掛けてこつこつ丁寧に作りかえられたものだ。
「焼け野原になる」のを正しく予想し、開戦早々に次郎氏が疎開先として見つけた農村だ。であるから、場所も地代が高い事を誇る成金趣味の土地とは全く異なる。
話は飛ぶが、以前江戸東京博物館で勝海舟展が開かれた。そのとき、生身のヒトとしての海舟に触れた気にさせる素敵な展示があった。毎日つけていた日記を展示している脇に、大きなルーペが固定されていた。覗き込むと白く薄っすら透明な三日月形が幾つかある。よく見慣れた爪切りカスだ。
主任学芸員はたまたま知人で、「綴じ直しの作業してたら出てきたのよ。たぶん日記開いたまんま上で爪きってたんでしょうねえ。凄いでしょ」という。
縁側で爪を切る百年前の海舟がリアルに目に浮かんだ、「凄い」とおもった。
資料や物語を通じて頭では知っている「偉大さ」というものがある。相手が故人なら大抵はそうだ。だから頭ではなくて肌身で触れるという機会は貴重である。この家は、そういう貴重な「触れる機会」に溢れている。そのことからも展示を工夫した方や管理されておられる方々の暖かい気持ちが伝わる。
たとえば、次郎氏愛用のオリベッティのタイプライターの脇には、さりげなくマッカーサー宛の手紙が添えられている。余白には意味深な落書きがこれも癖のある筆記体で書かれていたりする。
「葬式はするな。戒名はいらぬ」と書かれた次郎氏の手書きの遺書もあった。3桁だけの郵便番号入りの住所と社名が刷られた「新潮社」の社用封筒に入れられていた。
圧巻は正子さんの書斎。
掘炬燵に分厚い一枚板の机。座布団にはお尻のかたちの窪みがまだあるかのようだ。だいたい三千冊くらいのそれ程多くはない蔵書のなかに、何冊か自分の書棚の本と共通の本を見つけた。
同じ題材やテーマごとに数冊づつかたまって収められている。ここら辺りの本はアノ本を書くための資料だったのかなあなどと思い浮かぶものばかり。数々の著作はすべてここで生まれたのだ。席から遠いところは過去の著作関連の本などで、段々近づくにつれ辞書などの使用頻度の高い資料が置かれている。
座布団のへこみあたりに腰を下ろしたならば、右手を伸ばして一番とりやすい位置には、「広辞苑」が鎮座していた。
そこには、ナマの白洲正子さんが、確かに居る。
二人の本を読み尽くしてしまったならば、後は武相荘に足を運ぶべきです。いうなればそこは、稀代の粋人二人が、まさに生身の人間としてそこで生きた、そして棲家として育んだ「かくれ里」であったに違いない。
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韋駄天お正の面目躍如たる旅の記録。還暦の頃のエッセイというから驚き!
幾重にも重なる史実と伝説に彼女ならではの考察を織り交ぜながら、さながら昔日の歴史紀行にいざなわれるよう。
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本にも音楽にも良いものと悪いものしかないというなら、これも間違いなく良い物。後世に残していくべき一冊
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日本の原風景を訪ねる旅。
ニンゲンにはやっぱり信仰は必要だな。
また時間があるときにちょこちょこ回ってみよう。
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十年以上前に買ったものを、ようやく読了。
ただ、通勤電車の中での読書には合ず、文章が頭に入ってこなかった。ゆっくり地図をひろげて、再読したい。
現在、この本に描かれてる地はどうなってるのだろう?
まだ歴史が息づき、人々の生活が継承されてるといいのだが。
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一昨年、都内の美術館で開催された白洲正子展へ足を運んだのが、同書を手に取る契機でした。
岐阜、福井、滋賀、京都、奈良の…現代風にいえばB級の寺社仏閣を中心に、白洲が実踏して感じ取ったことをその土地の歴史や伝説等を引き合いに記述されてます。
とりわけ興味を持ったのが、奈良県宇陀市にある大蔵寺の薬師如来立像に関する話。以下抜粋。
「正直なところ、大蔵寺の環境や建築には感心しても、中身の仏像にはあまり期待が持てなかった。~(略)~本堂の扉が開かれた時、それは見事に裏切られた」
この薬師如来立像、展覧会で鑑賞できたのですが…この手の物って、現地で観ないとホントの良さがわからないと思うのが本音。しかしこのお寺、無断で境内へ立ち入ることすらお断りしているようで(=予約制でそれになりの出費も覚悟が必要。。)、ハードルは高い模様。『かくれ里』は昭和46年にかかれたもの故に、現在は当時の面影が消えている場所も多いようですが、この大蔵寺だけは当時の面影を未だに残しているようです。いつかは行ってみたいですね
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近畿の杣道を行けば、ひっそりうら寂れた人里があり、鎮守の社や修験の寺が遺されている。そして、そこには客寄せの道具としてむやみに公開されず、村人が守り継いだ面、像、絵画などの美術品が保存されている。その地を訪ね観て綴る著者の語り口に、読み手として歴史にも文化にも造詣が浅いものの、共に里に誘(いざな)われ、村の御神体を拝した心地になる。
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今から45年近く前に書かれたこの随筆。正子さんが訪れた近畿とその周辺のかくれ里は、今はもうすっかりその姿を変えてしまっているのかもしれないが、そこに歴史を彩った人は確かにいて、人間としての生を精一杯生きたのではないかと思われる。それは悲しみもあれば喜びもあるだろうし、慈愛も残酷さも当然あるだろう。その土地を訪れて、そこに残されたものに人を思い、信仰を見て、歴史を見る。どこかに一度足を運んで、追体験したいものだ。
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山奥ではなく、名所旧跡、街道筋から少し離れたところ、そこは新たな幹線道路の建設等でさびれてしまった古い社や寺などが現在する。そんな「かくれ里」を、我が故郷の奈良の吉野、葛城を中心に、伊賀、滋賀の寺社、風物、そこの人びとを訪ね歩く、著者を代表する紀行文とのこと。
古来よりの伝承、習俗、素朴な美術品から語り明かされる古えの歴史が、著者独特の審美眼と歴史観で蘇る。本書を携えての追体験をしてみたいが、40年以上も前の本、すでに失われてしまった景色も多いのだろうなと、故郷のおおよそ美しくない開発ぶりを見てて思う。
著者は歴史の専門家ではない。故に考証にはなんの信憑性もないのかもしれないけど、彼女が地元の風習や言い伝えから感じとる歴史は、そこはかとなく温かい。
「真実以上の真を語るなら、噓から出たまことのみが歴史だと、そう言いきっても過言ではないと思う。」
「史書にあるからといって、或いは外国の記録にあるからといって、頭から信用する人たちを私はいつも疑問に思っている」
いいね、こういうスタンス!
とにかく本書も例によって学ぶべきことが多い。すべてを1度の通読では覚えきれないし、理解が及ばない。また折を見て読み返しつつ、その真髄に触れていきたい。
今回よかったのは、仏教伝来にまつわる話で、日本の神仏混淆の思想は、仏教を広めるには、日本古来の神の助けを利用したという発想。それを
「日本の神を経糸に、仏教を横糸にして織りあげたのが、いわゆる本地垂迹説であった。」
と喝破する。あぁ、お見事!
また、吉野、熊野のことを、“魂の還るふる里”、 那智の滝の上方にそびえる阿弥陀が峰は、死霊の集まる霊地であったことから、熊野は死者の国、神話が伝える黄泉の国とし、
「そこを目指して行く大峰行は、いったん死ぬことを意味したにちがいない。」
と、古事記の記述が現実であったか、あるいは神の行為と同じ体験を修行のひとつとして奨励していたという考察が面白い。
奈良の山間部の奥の奥では、神話の世界が今も息づいていると思わせてくれる。奈良県人としては必読の一冊だった。
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私も仏像とか見る目があれば良かった…。なぜ天武天皇も後醍醐天皇も吉野に逃げたのか?吉野葛についても理解が深まり良かった。再読必須。
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関西を中心とした社寺史跡などを巡る紀行エッセイ。
葛城、吉野、山城、近江、丹波、美濃、越前……古い信仰や里山への目線に、筆者の美意識を感じられる。
わたしが本著を知ったきっかけは、和歌山にある丹生都比売神社という大好きな神社とその所在地である天野の里を筆者も訪れており、その賛美した文をみたところからでした。
花の時期に、毎年必ず訪れることにしている丹生都比売神社です。
急な山坂道を、車は青息吐息で登ります。
両側から木々の迫る道の切れ間から眼下に紀の川が見えると、その高さに感嘆します。
道々にはところどころ山桜が咲き、とつぜん目の前が開けたかと思うと、そこには花を湛えた里が広がっているのです。
天野はまさに「かくれ里」と呼ぶにふさわしいところだと、感じています。
そのような各地の閑かな土地を次々と紹介されていく本著。
刊行されたのは1971年ですので、いまやもう失われてしまった里の訪問譚も。
(ダム水没前の川上村の丹生川上上社)
「危ないのは、自然に育った山野の木で、うっかり天然記念物にしようものなら、すぐ虫がつく。文化を食いものにする虫である」
彼女が伝えたかったのは、各地のかくれ里そのものではなく、その背景にあるものとそれが崩れていく危機感だったのかもしれない。
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この本に収録されている「葛城のあたり」に住んでいる者です。葛城が変わらなさすぎるのか、白洲正子氏の視点が新しかったのか、先月訪れて昨日発表したと言われても驚かないほどの描写力には何度読んでも驚く。短いテキストながら地域の歴史についても的確にまとめられており、ツアールートとしても素晴らしい、ぜひこの本を持ってこの通りに周っていただきたい。何より、彼女ほどの知識人がこの地域の「ややこしい」といわれる背景を知らなかったはずがないのに、そこには全く触れずに誇りを与えてくれる、著者の人となりが伝わるテキストです。この土地に生きる者として感謝しています。
追記
ただ、6ページの略図はどうも位置関係がおかしい。23番の位置は明らかにミスで、おそらく「大和葛城山」と「和泉葛城山」を勘違いしている。誰も指摘しなかったのかあえて修正していないのかわからないが、本文の印象を大きく損ねる間違いなので星一つ減らします。
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&booksで紹介されていたのを見て買ってみた。
非常に面白い。
京都、奈良、滋賀などの山奥にあるお寺などを訪ねながらその土地の歴史や伝説を思い起こす。
なんて博識な人なんだろうと思った。その土地、そのお寺や神社、風習に関する歴史的な出来事が次から次に出てくる。歴史的にはただの事実だと捉えていたことも、白州正子氏の手にかかればドラマチックになり、感情が生まれる。美しい日本語で綴られる文章からは、綺麗な風景やその時代の悲しさまで漂ってくる。
特に桜についての話が滅法面白い。「桜の寺」に描かれるもう寿命が長くなさそうな桜の木、近江の自然な桜、親子で咲く桜。想像するだけではもったいない。実際に見てみたい気持ちになる。
そしていろいろなエピソードの中でも特に心を打ったのは「吉野の川上」に出てくる自天王に仕えた筋目の者の話。自天王の人生と、その頃から仕えてた家の子孫が現在でも主人を偲ぶ儀式を行なっている。白州正子氏はその土地の人々の信じる信仰に耳を傾け、歴史書などと異なる話だとしても信仰を信じてみたいという。「◯◯だったかもしれない」という憶測の話が多く出てくるが、想像を掻き立てられて面白い。
お寺や仏教の話などはわからない所や知らない単語、読めない漢字も多かったが、また新しい世界が開いた気がする。