紙の本
とにかく読んでみてくれ
2001/02/11 16:30
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヴァン・ゴッホはテオドル宛の手紙で自らを「偶然の色彩家」と呼んだ。──僕がここで念頭においているのはもちろん『偶然の音楽』なのだけれど、その「訳者あとがき」で柴田元幸さんはオースターと「石」の関係について次のように書いている。
詩集『消失』に収められた(1970年代の)詩に頻出する、言葉を厳として拒絶する「厳しい石」から、オースター自ら監督・脚本をてがけた『ルル・オン・ザ・ブリッジ』(1998年)の、言葉を超えた次元へと人を導く「生命の石」(暗闇の中で妖しい青い光を発する石)への変容。
これらとは違った意味を担うのが、『偶然の音楽』(1990年)で富豪とのポーカー・ゲームに敗れた二人の男──主人公ジム・ナッシュとその「スプートニク」(旅の連れ)ジャック・ポッツィ──が奴隷のような境遇下でアイルランドから運ばれた一万個の石を積み上げて城壁を再現する場面に出てくる石たちで、それは幽閉のメタファーのようでもあれば過去の償いと救済をもたらすもののようでもある。
以上が柴田さんの説。──僕は『言葉と物』というときの「物」にあてはめてオースターの「石」を考えることができると思うし、ヴァルター・ベンヤミンが「歴史のモナド的構造」というときの「モナド」に関係づけることもできると思う。(ついでに書いておくと、近代カバラの創始者の一人イサーク・ルリアの「器の破壊」の理論をもちだすこともできるだろう。)
でもこの問題にはこれ以上立ち入らない。というのも、僕がここで伏線をはっておきたいと考えたのは、石(固体=弾性体)との関係で「ガラス」(液体=粘性体)を考えることだったのだから。(なんのための伏線か。いうまでもなく『シティ・オヴ・グラス』と『幽霊たち』を結ぶための。)そして、『偶然の音楽』は、とにかく読んでみてくれとしか評しようのない傑作なのだから。
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偶然や運命論を信じるようなアフォな女はすぐ『ポール・オースターが好き』とか言いやがる。なので私も言ってやる。彼の著作のなかで一番好き。
後半、相棒が消えてから物語が失速しちゃうのが残念。書き飽きたか。
柴田元幸氏の翻訳が品がよすぎてポッツイの魅力がぜんぜん出ていない。
彼の翻訳はとても評判がいいし確かに尊敬するが、
いつも物足りなさを感じてしまうのは、私だけだろうか。日本未公開だったけど、映画もかなり好きです。
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ポール・オースターならこの人と言われる、柴田元幸氏の翻訳はいつもながらの名調子。元消防士の主人公ジム・ナッシュは、妻に逃げられ、疎遠だった父も鬼籍に入った。父の遺産を手に新車を買い、あてのない旅に出る。ここまでなら他のロード・ムービー的な小説と変わりないが、旅が終わった時点からドラマの本質がスタートする。金が底を突くようになったところで、ギャンブラーと知り合い、ひと山当てようともくろんだナッシュだが、思惑ははずれ、ついには借金苦に陥る。二転、三転するドラマの展開の中、静謐さを醸し出すオースターの独特の文章タッチがここでも存分に楽しめる。(新元良一)
『ことし読む本いち押しガイド2000』 Copyright© メタローグ. All rights reserved.
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ごめんなさい、ジャケ買い。というかタイトル買い。
でも、このタイトルにグッてくる人には、とりあえずおすすめしてしまいたい一冊。はまるよ。
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すべてを投げ出し、あてもなく彷徨った。傷だらけのギャンブラーに
出会うまで―。現代アメリカ文学の旗手オースターの、エッセンスと
魅力あふれる傑作長編。
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すべてを投げ出し、あてもなく彷徨った。傷だらけのギャンブラーに出会うまで―。現代アメリカ文学の旗手オースターの、エッセンスと魅力あふれる傑作長編。
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装丁がきれいだったんで借りて読みました。
どこかで見たようなタイトルだなあと思ったら、吉野朔実さんが『お母さんは赤毛のアンが大好き』の中で好きだと書いてました。
面白いというよりは、単に好き嫌いで評価が分かれるお話かも。
私は好きです。
てか、前半のナッシュの行動はなんかとてもよくわかるよ・・・。
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2009.03. 表紙と裏表紙がいいよ。なんだかリズムが良くて、ついつい続きを読んでしまう。子どもの頃読んだ「穴」という小説を思い出した、後半部でね。
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以前読んだはずなのに、ほとんど内容を忘れていた一冊。「ムーン・パレス」的な、リアルな(不条理でも)あくまで現実世界の出来事として語られるストーリーに、NY三部作的な、とことん不条理で実体感のない不透明さがずっとつきまとう、ある意味とてもオースターらしいオースター作品。前半、主人公が超高速でアメリカ中を駆け抜けている間はストーリーの展開は止まっており、主人公が動きを止めて「壁」と向き合う瞬間から止めようにも止まらない“偶然の音楽”が鳴り響き始める。何が事実で、何が妄想か。「壁」に意味を見出す哲学的精神は狂気ではないのか。全てを投げ捨て、世界を置き去りにしながら駆け抜けても、新たな世界は始まらない。「壁」を築くことで過去に区切りをつけ、石を積むごとに何かを埋めているつもりでいても、新たな自分は生まれない。スピード感、達成感、ふとした偶然から自由を失う不条理さ、広い野原と青空の下で働き続ける主人公の思考とは別に閉塞感を増していく物語。主人公にとっては開放への物語なのかもしれないが、一読者にとっては悪夢にも思える物語だった。
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濃厚で惹き付けられた。でも、あーだこーだ先を勘ぐる癖がついちゃったのか、しっかり物語に集中できなかったような気がする。
それぞれの出来事がシンボル化されていて、一つの神話みたい。
神話だから、これはどこででも起きうるおはなし。
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買ってからかなり経ってからの、久しぶりのポール・オースター。淡々とドライな感じで進んでいくストーリーにはまり、あっという間に読み終えてしまった。ラストの締め方がかなり余韻が残るけど、何かの作品でポッツのその後が出てきそう。
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私にとって初めてのオースター作品。当時名前も知らず古本屋で装丁とタイトルに惹かれて手に取った一冊だった。これが読んでみてびっくり、歯切れが良くて抑えが利いた独特の文体、決して語りすぎず、そのリズムでぐいぐい引き込まれていきました。すべてを投げうってサーブに乗ってアメリカ大陸を疾走する主人公、このまま突っ走るのかと思いきや突如動きの停止した不思議な世界に迷い込む。あり得ないようなストーリーなのにこのリアリティはなんだ!こんな話を書くアメリカ人がいたんだ、と関心しました。その後多くのオースター作品を読みましたが、これは今でも好きな一冊です。
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ずいぶん以前に買って積んでいた本。すっとおさまるような話でないものを久しぶりに読んだ。予想を裏切り解釈を拒み解答を与えず、でも惹きつける。
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「まる一年のあいだ、彼はひたすら車を走らせ、アメリカじゅうを行ったり来たりしながら金がなくなるのを待った。こんな暮らしがここまで長く続くとは思っていなかったが、次々にいろんなことがあって、自分に何が起きているのかが見えてきたころには、もうそれを終わらせたいと思う地点を越えてしまっていた。十三か月目に入って三日目、ナッシュはジャックポットと名のる若者に出会った。(略)だから、彼はこの見知らぬ若者をひとつの猶予として見た。手遅れになる前に自分を何とかするための最後のチャンスとして捉えた。」(『偶然の音楽』書き出し)
「結果的に、僕は破滅の一歩手前まで行った。持ち金は少しずつゼロに近づいていった。アパートも追い出され、路頭で暮らすことになった。もし、キティ・ウーという名の女の子がいなかったら、たぶん僕は餓死していただろう。その少し前にキティと出会ったのはほんの偶然からだったが、僕はやがてその偶然を一種の中継地点と考えるようになった。それを契機に、他人の心を通して自分を救う道が開けたのだ、と。」(『ムーン・パレス』書き出しの一部)
一人の作家の近作と、その前作の冒頭を比較してみた。このあまりに酷似した書き出しは、どうだろう。一作の序文にも相当する書き出しをかくも似通ったスタイルで書き始めてしまう作家がかつていただろうか。使い回しのシチュエーションは、またしても遺産だ。思いがけず手にした金を消尽させるという衝動に身を任せた男が偶然の機会を巧みに捉えて、新しい世界を生き始めるというものだ。オースターの主人公は、動機がどうであれ、自分で始めたことを自分で始末をつけることができない。このまま放っておいたら僕は自滅してしまうよ。誰か来て、と手放しで助けを呼んでいる幼児のようだ。もし偶然の機会に恵まれなかったら、そこで身を滅ぼしてしまうことも受け容れるだろうが、話を続けるためには、救い主が現れるしかない。かくして毎回よく似た主題による変奏曲が繰りかえされることになる。
同一主題による変奏に執している作家にいつも同じ主題じゃないか、という批判はばかげている。問題は主題にあるのではない。繰り返しの中にある差異にこそあるのだ。そういう意味では、前回のそれがヴィクトリア朝英国小説風であったとすれば、今回のそれはカフカ風不条理劇の趣きが漂う。
父の遺産を手に入れたころには妻に逃げられ、一人娘は義兄の家に預けてしまっていた。今更連れて帰ることもできず、ナッシュは新車の赤いサーブを駆って、アメリカじゅうを放浪する。車を走らせている時だけは幸福でいられたのだ。ジャックはギャンブラーだった。金持ちのカモに招待されているが、手持ちの金を盗まれてしまったと悔やむ青年に、出資するから一口乗せろと提案するナッシュ。二人は、宝くじで当てた二人組みの金持ちの館に車で向かう。しかし、そこで二人が出会うことになるのは、博打の借金のかたとして、一万個の石で壁を作るという作業だった。
ローレル&ハーディに喩えられる成金長者は、実に現実味を欠いた存在として描かれている。ハリウッド映画のセットじみた邸宅には、二人の趣味の部屋があり、ひとつには、製作途中の都市の模型があり、もう一部屋には有名人が一時使ったガラクタが所狭しと展示されていた。さらに庭の向こうにはアイルランドの城砦を崩して運んだ一万個の石の山が聳えていた。車まで賭けた勝負に負けた二人は、移動手段も資金もなくし、石壁造りで支払う契約を取り交わす。
自分の権力が掌握する世界の縮図として創られつつある都市の模型には、そこで暮らす人間たちも配置されていた。ナッシュは、内緒で金持ち二人の人形を取り外し、ポケットに入れて持ち出すが、後でそのことを知ったジャックは異様に恐れる。ナッシュは人形を燃やすことで何の力もないことを分からそうとするのだが、それ以来、二人は姿を見せなくなる。
五十日で完済されるはずだった借金は、必要経費が差引かれ、期日が来ても払い終わらない仕組みになっていた。石壁造りに自分なりの意味を見出していたナッシュとちがい、ジャックは耐えられず逃亡を企てる。契約が果たされるのを信じて苦役に耐えても、いつも何か障碍があらわれて、それを邪魔する。金網と鉄条網によって囲まれた閉鎖空間の中で、手押し車で石を運ぶしかない囚人のような毎日。傍には一日中、銃を持った監視人が見張っている。契約は果たして果たされる時が来るのだろうか。
オースター作品には珍しく、謎解きも辻褄合わせも一切なし。解釈はご自由に、という決着のつけ方。たしかに、こういう終わり方もあるだろうとは思いつつ、いまひとつ納得いかない気分が残るのも事実。まるでしりとり遊びのように、いつも何かしら前作に出ていた人物や書物が再登場するのがきまりになっているオースターの作品。前作では『最後の物たちの 国で』のヒロイン、アンナ・ブルームの名が囁かれていたが、今回はクープラン作『奇妙(神秘)な障壁』の一曲が響いている。ナッシュの造った石壁を想像しながら聴いてみた。なかなか味わいある小品であった。
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突然の大金によって、もともと持っていた虚無感が助長され、すべてを捨てて旅に出た男。
途中、相棒と出会い、ポーカーの勝負に負けて奴隷みたいなことになったりするが。
車で走ることに、それも危険なことを楽しんでしまうことに何かの狂気を感じるが、それも人生だ。
なんか不思議な話だった。