紙の本
贋作とタイトルにつけちゃうセンスがまず好きです。
2020/04/03 21:19
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投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
百間は、漱石の「吾輩は猫である」を読んで、漱石の弟子に。「ノラや」で有名な猫好きでもあって、もはや、この贋作は、運命のなすまま筆のなすまま描かれた物語だと思う。漱石の「猫」は水甕に落ちて溺死したはずが、百間のおかげで生き返って再登場し、読者としてはありがとう、百間せんせっ!と思う。続く、物語は、漱石へのオマージュっていうかトリビュートっていうかで、あちらが好きなヒトは、こちらも好きだと思います。そして、個人的には、贋作のほうが面白かったりしました。
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漱石へのオマージュ
2019/07/17 09:24
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投稿者:ぷりしら - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初の方は漱石の「吾輩は猫である」にかなり寄せて来ているが、
書き進むにつれどんどんいつもの百けん節に。
と同時に、猫の存在感も薄れて来るような…(笑)。
小説としての出来がどうのではなく
とにかく漱石が好きだという気持ちだけで書かれた
百けん自身のための小説だと感じる。
紙の本
饂飩……
2016/09/19 15:38
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投稿者:igashy - この投稿者のレビュー一覧を見る
この頃まだ「ノラ」は内田家にいなかったんだと解説で知って驚きました。元から猫好きだったんだなぁ。表現に愛情を感じます。
水甕に落ちてしまったあの「猫」が這上がると、時代は戦後、舞台は元ドイツ語教師の家に変わっていました。猫を生き返らせてくれてまず嬉しい。
元生徒たちが訪ねてきては酒を飲む様は、他の随筆を彷彿とさせます。饂飩部分の悪趣味さよ^^;
モデルはもちろん自身と学生達でしょうが、この世界には金持文士「蛆田百減」氏も存在しています。
彼らとアビちゃんがでうす・えくす・まひなの魔手を逃れられていますように。
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猫の視点から描くということの面白さ
2021/01/05 16:04
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投稿者:dsukesan - この投稿者のレビュー一覧を見る
贋作という形で、夏目漱石の吾輩は猫であるの続編として描かれた小説。
解説で、漱石の猫にはある二つのアイデアが、隠されているということが書かれていて納得。そのアイデアとは、次の二つ。
1.人間でないものの眼から人間を見て、人間というものの奇怪さ、滑稽さ、醜悪さに気がつかせるという、いわば『不条理の眼』とでもいうべき視点の設定。
2.日本の文学史のなかで、高貴な愛玩動物か怪異の元という、2パターンで描かれていた猫を、普通の家族としてあつかったこと。
この、贋作でも、同じくこの2つアイデアが十分に活かされている。
そして、じゃりん子チエの小鉄とジュニアも、実はこうしたアイデアを具現化したキャラクターなのだということに気がつく。家族に属する普通の猫の不条理の視点から人間の業を描くことは、文学、滑稽小説の伝統、王道としての様式なのだということを教えて頂いた。
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内田百間と云へば、漱石の門下生である。
(百間の間の字は日のところ月が正しいのだが、變換されないので代用してゐる)
しかも漱石の「猫」を讀んで漱石に弟子入りしたのであるから、因縁淺からぬものがある。
また「ノラや」で知られる如く、百鬼園先生、無類の猫好きと云ふこともあり、猫の仕種などの描寫はさすがである。
この本にはストーリーなんか期待してはいけない。
この點、原作吾輩は猫であるとまつたく同じである。
一癖も二癖もある、高等遊民たちの會話を樂しむのが、この本に對するあるべき姿だらう。
饂飩を食べる狗爵舍に五沙彌が、饂飩と「ぬるぬるした蟲」との相似を語るシーンなど、通勤列車の中で讀んでゐるときに笑ひをこらへるのに苦勞した。
なお、作者も蛆田百減と云ふ文士として間接的に登場してゐるやうである。
2003年6月9日讀了
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昔読みかけてそのままにしておいた本。
本家を読み終えたので読んでみるか~と引っ張り出してきました。
百閒先生の本だったら他の本の方が面白かったかな、とは思いましたがそこここにああなるほどこれはあそこから引っ張って来たのね、というような引用があり面白かったです。
それにしても百閒先生の文章の方がわかりやすいなあ。年代の差なのかそれとも夏目漱石の引用が知的すぎるのだろうか…?
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↓で読んでまだ1年も経ってないので感想もほぼ同じ。
http://booklog.jp/users/aya0212/archives/B000JB0QKO
成貧根性に笑った。
(10.07.18)
読み始めた
(10.07.08)
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いつかこういう文章を書けるようになりたいと強く思った。
一年の最初に読了するのはこう云う本に限ると思う。
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何度読んでもしみじみと面白いです。本家と読み比べをしてみるのも良いと思います。
高利貸の金子のエピソードなんかは百閒先生ならでは。
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『贋作吾輩は猫である』を読みたい方のために、現在手に入れやすいものとして。慧眼諸氏にはご承知か、このシリーズのカバーデザインは、「クラフト・エヴィング商會」によるもの。
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文章、文体、会話、語られてる内容、本作から清水良典、伊藤整二氏の解説まで、全て正対して読んだ。
さすがです。老練なユーモアというのはこうも人を惹き付けるものかと改めて畏れ入った。「正典」の猫より、アビシニヤのほうが愛嬌があるのも猫が老練した故か。夏目漱石と言えば『高等遊民』いう言葉を思い出すが、それがきちんと継承されていることが嬉しい。
正典その他、本家本元を読み返したくなった。
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夏目漱石晩年の門下生であった百閒先生の、
師に対する敬愛の情に満ち満ちた「贋作」。
1906年、酔っ払って水甕に落ちた「原典」の吾輩が這い上がると、
そこは1943年の世界だった――といって始まる「贋典」。
今度は英語教師・苦沙弥ならぬドイツ語教師・五沙弥の家に
上がり込んで、主人とその来客たちの様子を眺めたり、
近所の「猫連」の集会に参加したり……。
1943年の吾輩の方が、
どことなく愛嬌があって可愛いと思うのは私だけだろうか(笑)。
特に、お屋敷町の猫たちの集会の様子や、
《杓子坂の小判堂》君が
「うちの食事は鰹節ご飯ばかりでうんざりだ」と言うと、
「君の家は鰹節問屋だからお手の物だろう」と返す、
猫同士のやりとりが笑える。
漱石のオリジナルを読んだ人も読んでいない人も、
猫好きだったらトライしてみましょう――と、
おススメしておきます。
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夏目漱石の、『吾輩は猫である』が面白かったので、読んでみたら、こちらもすごく面白かった。
五沙弥先生のうちに来る人たちがすごくユニークで、立派な肩書きなのにこんなにお茶目で素敵ね、と思った。話の筋がぐちゃぐちゃしているところも”本典”っぽくていい。
特に、うどんのところのくだりが気に入りました。
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漱石の「吾輩~」をまだしっかり読んでいないので比較はできませんが、五沙弥先生たちの珍妙な会話はとても愉快。
饂飩の話やあっと言わせる金貸しの話など、内田百閒のユーモアは癖になる面白さですね。
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帰ってきた吾輩。
まず「吾輩」が原典とか贋作とか言ってるし。こちらも気取らずに、軽い気持ちで読めばいい感じ。しかし、百閒先生はお酒好きだなあ(笑)