紙の本
万物は流転する
2004/12/26 14:44
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:sheep - この投稿者のレビュー一覧を見る
狂牛病に関する本はこれまで数冊読んだが、この本、構成の巧みさは出色。
第一章 狂牛病はなぜ広がったか
第二章 私たちはなぜ食べ続けるのか
我々はなぜタンパク質を食べつづけなければならないのか
第三章 消化するとき何が起こっているのか
第四章 狂牛病はいかにして消化機構をすり抜けたか
第五章 動的平衡論から導かれること
第六章 狂牛病原体の正体はなにか
第七章 日本における狂牛病
科学系の専門家による本に、哲学的考察があり、まさか臓器移植の是非、遺伝子組み換え食品まで論じているとは予期していなかった。
シェーンハイマーという若死にした学者が名付けた「動的平衡」という概念には驚いた。この謎の学者の略伝は興味深い。(第二章)シェーンハイマーが、重窒素を用いて発見した事実は、我々の身体を構成するタンパク質は、絶え間なく驚くべき速度で入れ替わっているということであった。生きていることは流れ、流れこそが生きていることなのだ。これは我々に馴染みの生命観で、あの鴨長明、方丈記の冒頭まで引用されている。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし」
その哲学的考察「生命は流れのなかにある」ことが、まさに狂牛病の原因究明、説明に繋がっている。論理的な積み重ねの構成、まるで良質のミステリーを読まされているようである。薬害ヤコブ病がなぜ広まったのかも本書で初めて知った。医療ミスというより医療犯罪ではなかろうか。
本書の中で、マスコミが好んで用いる略語BSEをつかわず、あえて「狂牛病」という単語を用いていることを説明するコラムまである。
マスコミに記事の注文を受けて、「狂牛病」という用語を使ったところ、「BSE」と呼ぶのが正式なので、そちらに直してほしい、と言われたのだそうだ。正式な学術的名称Bovine Spongiform Encephalopathy(牛海綿脳症)の略語BSEでは、この病気が単なる記号のように思いこまされ、すでに人間が制御できるような状態になったかのような錯覚をもたらしてしまう。それよりは、誰ともなく、それにかかった家畜を見た人々がなづけた俗称mad cow disease(文字通り、狂牛病)という名前の方が、より強く、得たいの知れない、まだ人間の制御下には置かれていないこの病気を表現するだろう。14世紀に大流行した「黒死病」のように。(現在は肺ペストとされているようだ。)おおよそ、マスコミや政府による、カタカナや、英語略語利用は、実体を隠すためのものではと思っているものとして、この説明には強く共感した。(首切りをリストラと呼ぶ類の悪質な「言い換え」だ。)
略伝ということでは、プリオンの概念でノーベル医学生理学賞を単独受賞したプルシナーの項もドラマチック。実に戦略的なアクの強い人物のようだ。(第六章)偏執的に記憶のありかを探ったマコーネルの話もそれにおとらず興味深い。
そうした知的探検の最後に辿り着くのが、日本のうさんくさい「全頭検査緩和論」批判。
「リスク分析」という欺瞞という項が印象的だ。全頭検査緩和派の、狂牛病をフグ毒と比較するという基礎的歪曲。プリオンは可変的で可動的で、増殖を行うのだ。フグ毒はそうではない。フグ毒は自然のもので、しかも歴史的試練をくぐりぬけて今あるリスクだ。狂牛病は人災で、人為的作為、不作為によって蔓延したのだ。
この項の説明、アメリカの圧力で検査を緩和する行為は、血液製剤によるHIV感染や、フィブリノゲンによる肝炎を、政府、厚生省が放置し、何度も繰り返して来た愚の再現ではという懸念に裏付けを得た感があり納得。
ハンバーガー、牛丼、ビフテキ・ファンの方には一食分を本書に回されることを強くお薦めする。
読んだ後でも「安心して牛をたべられますか?」
紙の本
狂牛病を生んだ、動的平衡の無視
2023/02/03 18:09
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サンバ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ある雑誌で、肉骨粉を最初に作った科学者は「廃棄に困った牛の食物連鎖を目指した」のであり、行きすぎた私たちがしっぺ返しをくらった、とあった。本書を読めば、肉骨粉が食物連鎖の環から外れたバランスブレイカーだったことが分かる。
本書では、そもそも生物は「分子の留まる場所」に過ぎず、あらゆる環境と不可分であると指摘。その中で、動的平衡を取ろうと日々変化調整が行われていると解説する。つまり、「廃棄に困った牛」は人間の都合であり、この時まだ食物連鎖の中にいた。「牛から牛」へと、そのステップを破壊的に踏みにじった肉骨粉が初めて、食物連鎖から牛を追い出したのだ。
2004年の本書時点で狂牛病の原因はプリオン説が「有力」であり、未だ検証の鍛錬の中にいるとある。現在のリスクだけで軽視するのではなく、予防的な取り組みや検証が今後も必要と本書は教えてくれる。
紙の本
不均衡の帰趨、狂牛病
2005/11/06 03:27
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
こちらの、先行する素晴らしい書評が本書の読みどころを、的確に紹介してくれている。
・・・で、どうしよう、似たようなことを書いてもしょうがないし。
私も広くお勧めしたいことに変わりはないが、あえて2点ほど重箱の隅をつついてみる。
タイトル負けしているところがあるかもしれない。一般消費者としては単刀直入に、牛を食べてもいいのかどうかを教えて欲しい。まずそれが最重要関心事なのだろうと思うのだが、本書はそこにさほど多くの紙幅を割り当てていないし、Yes/Noではっきり答えてはいない。
しかし、通読すれば消費者が自己判断するための手がかりは十分に与えてくれると思うので、「タイトル負け(だとしても)」が本書の価値を下げるものではないだろう。
次に著者は、狂牛病プリオン原因説にかなり懐疑的なようだ。提唱者であるプルシナーを批判するのはいいのだが、その手法に疑問がある。以下はプリオン説を、「中世の神学論争と微塵も変わりがないわ」と痛烈に批判する学者を形容した文章である。
《研究者の間で、プルシナーのことをよくいう人を私は知らない。イエール大学医学部教授の神経病理学者ローラ・マニュエリディス女史は背が高く、エレガントで、その講演は立て板に水、よどむところがない。いつもほほえみを絶やさぬ紛うかたなき知識人である。詩人としても知られているほどだ。その彼女がプルシナーのことになると口汚く罵ることに全くためらいがない。》
どうも論敵を貶めるために、必要以上にお仲間?を美化しているように見える(考えすぎかもしれないが、他の登場人物にはこういった描写はない)。もし、ローラ・マニュエリディスの背が低かったり、エレガントでなかったりしたら、どうだというのだろう?
それから、おそらく著者が訳しているのであろうがプルシナーの発したコメントについて、「連中」や「奴ら」という言葉を割り当てている。実際、そのようなニュアンスでプルシナーは語ったのかもしれないが、なにか「やくざ」な印象を与えようとしているようで、すこしフェアでないような気がした。
もちろんこういったことは、ちょっと気になったという程度であり、本書の中では些末な話でしかないと思うが。
さて、文学的というのではないが、著者の文章と構成は巧みで読ませる。専門用語がこれでもかというぐらい頻出するので、従来なら私のような耐性のない読者は途中で投げ出してしまうのだが、本書にはむしろぐいぐい引きずり込まれた。
それは専門用語が、最小限の説明で(一応は)納得できるように本文に巧みに織り込まれているからで、読み進む上での障害にあまりならないのだ。「簡潔にして当を得た」とはまさにこのことだと思う。
7つあるコラムも興味深いものが多かった。
「ミステリーを読んでいるかのよう」という評も何人かから聞くが、そう思わせるのも著者の筆力のたまものである。やたらセンセーショナルにしたり、作りすぎてもいけないが、ただの学術論文になってしまっては一般層からはほとんど見向きはされないだろう。本書はそこのバランスもとれているように思う。
狂牛病対策は「リスク分析」でいいのか、著者が主張するように全頭検査をまだ続けたほうがいいのか、ぜひ本書を判断材料の一つに加えて欲しい。
ある調査では6割以上が反対だそうだが、「アメリカ産牛肉輸入再開、賛成か反対か国民に聞いてみよう」なんてことは小泉首相は言わないんだろうなあ・・・結局、再開が決まってしまった。
ルソーの言葉は、時代と地域を越えて日本にも当てはまるのだろう。
《イギリス人は、自由だとおもっているが、それは大きな間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけで、議員が選ばれるや否や、イギリス人は奴隷となり、無に帰してしまう》
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自然と人が「食」を通して、いわば流れの中の淀みのような存在。
題とはまったくといっていいほど異なる、思考フレームを揺さぶる書
やはりBSEはまだ未知な部分が多く、吉野家に足を運ぶ気にはなれない。
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狂牛病のとこより「動的平衡」を説明してるところのほうが面白いかなあ。あと、システムの一部を代替しても全体からしっぺ返しがやってくる(たとえば肉骨粉で急速に子牛を育てても、母乳を飲まなかったことで子牛の免疫が育たず、多く狂牛病になってしまう)というアイディアが一貫していてよかった。
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筆者のシェーンハイマーの「動的平衡」説に関しては誇張もあるらしい。
ただ、牛肉輸入に関する決着の仕方がおよそ科学的知見とは関係ない政治的ご都合主義の産物であることはよくわかる。
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力作。生物と無生物の間より、私はこちらをお勧めします。
からっとしていて、内容がヘビー。
地産地食は重要な課題かと。
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福岡伸一3冊目。今までの復習のような読書。プリオン説・・・に比べて題名の通り一般向けな感じ。080618
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-2005.07.06記
著者の福岡伸一は1959年生。訳書にR.ドーキンスの「虹の解体」などがある分子生物学専攻の学者で、時宜につきすぎるタイトルに比して、本格的な先端科学の知見に触れえる硬派の良書である。
先ず著者は、狂牛病の発生及びその蔓延の背景について、
そもそも「<スクレイピー>という羊の風土病であったものが、イギリスにおいて<BSE-狂牛病>へと変異し、世界へ拡がり、<CJD-ヤコブ病>という人間の病へと、種の壁を越えて乗り移ってきた連鎖の背景」を明らかにしていく。
発生国イギリスの致命的な責として、「<種の壁>を越えさせた人為である-レンダリング-という名のリサイクルで作られた高濃度の病原体が残存したままの「肉骨紛」がイギリスから世界へと輸出、分散された」ことを挙げて告発する。
「狂牛病の病原体はヒトの消化システムが不可避的に持つ<脆弱性の窓>を巧妙にかいくぐって私たちに乗り移ってきた。タンパク質、その構成要素である20種のアミノ酸に分解されるが、これはまだ身体の<外側>の出来事である。消化管は皮膚が身体の内部に折り畳まれた、いわば<内なる外>だからだ。消化管からアミノ酸が血液中に取り込まれるとき、初めて<体内>に入ったことになる。入れ替わっているのはアミノ酸より下位の分子レベルである。現在では、タンパク質、脂質だけでなく、私たちの身体を形作っているすべての臓器、すべての組織のありとあらゆる構成分子が、速度の違いこそあれ、代謝回転していることが判明している。」
などと、狂牛病の発症システムを詳述したうえで、いわゆるシェーンハイマーの<動的平衡論>に関して解説しつつ、対処の基本姿勢をどう考えるべきか結論づけてゆく。
「シェーンハイマーの<動的平衡論>-生命は<流れ>のなかにある。 チベット医学の生命観を記した17Cの「四部医典」によれば「身体という小宇宙と環境という大宇宙は絶えずともに手をたずさえて躍っている」とされる。食物を構成する分子のほとんどは高速度で分解されて外へ出てゆく。生体を構成している分子はすべて高速に分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。私たちの身体は分子的な実体としては数ヶ月前の自分とはまったく別物になっている。」
さらには、「<動的平衡>のもつ意味-外界(環境)の変化に応答して、自らを変えられる、という生物の特性、つまり生物の可変性、柔軟を担保するメカニズムとなる。動的平衡は、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるが、その仕組みは万全ではない。廃物の蓄積速度が、それを汲み出す速度を上回り、蓄積されたエントロピーが生命を危険な状態に追い込む。これはタンパク質のコンフォメーション(構造)病として最近注目されている。その代表例がアルツハイマー病やプリオン病である。」
「クールー病、ヤコブ病 CJD、狂牛病 BSE、スクレイピー。これらはいずれも同じ病気、すなわち伝達性海綿状脳症が異なる動物種で発生しているものである。動物とヒトとの界面にこれまでなかったような病気が現れる。あるいは単一ではほとんど問題とならなかったごく微量の化学物質が複合的に作用して予期せぬ問題を引き起こす。操作が新しい操作を必要とする事態を引き起こす。問題はすべて、人為的な操作に対して環境がその平衡を回復するために揺り戻しをかけている、その揺らぎそのものといってよい。ならば、第一に必要なのは、環境が人間と対峙する操作対象ではなく、むしろ環境と生命は同じ分子を共有する動的な平衡の中にあるという視点である。炭素でも酸素でも窒素でも地球上に存在する各元素の和は大まかにいって一定であり、それが流れゆくなかで作られる<緩い結び目>がそれぞれの生命体である。できるだけ人為的な組み換えや加速を最小限に留め、この平衡と流れを乱さないことが、環境を考える-我々の生命を大切にする-ことに繋がるという認識が必要である。」
狂牛病と直接は関係しないが、シェーンハイマーの動的平衡論に基づいた論旨から臓器移植についてこんな記述もある。
「<臓器移植>という考え方は<生命連鎖>から遠い考えであり、生物学的に非常な蛮行と云うべきものであり、究極のカン二バリズムであるといえよう。臓器に対する強い免疫学的攻撃、つまり拒否反応にさらされつづける。牛の場合、胎児期に胎盤を通じて受け渡される抗体はほとんどなく、受動免疫のほぼすべてを出生直後の初乳に依存している。出生後まもない、生命がもっとも侵襲を受けやすいパルネラブルな時期に、経済的要請に基づく安易な人為操作として肉骨粉入りスターターを母乳代わりに与えた、という二重の操作の果てに、イギリスの狂牛病は立ち上がってきたのである。」
もう一つ、脳細胞も含めてすべての細胞が入れ替わっていくとすると、記憶というものは細胞内分子レベルの保持機能ではないことになるが、ではいかなる構造で保持されるのかについての記述が関心をそそる。
「記憶はどのようにして保持されるのか-個体も細胞も、それらを構成する分子自体は流れに流れ、数週間から数ヶ月間にはそっくり更新されてしまうのであれば、そこに不変性や同一性を求めるのは困難になる。個体の個別性、そこから派生する自己同一性、さらには記憶の一定性やその真実性は、すべて不確かな幻想とならざるを得ない。記憶を分子レベルの物質に対応させて保存することが、動的平衡の掟からいって不可能であるならば、個々の構成要素は入れ替わっても、全体として情報を保てるような、分子よりも上位の構造が記憶を保持している、と考えざるを得ない。それは細胞のネットワークである。記憶とは、一言でいえば、ある特別な体験に際して、脳の神経細胞ネットワークの中を駆けめぐった電気信号の流路のパターンが保持されたものだということだ。絵柄全体<神経回路網のパターン>を変えることなく、常にサブレベル(下位)で代謝回転が進行している。まさに記憶は、<記憶を想起したそのときに作られている>といってもよい。」
農水省の役人たちも本書を読めば、アメリカの外圧を跳ね返してでも、輸入再開にストップをかけたくなろうと思うのだが、そんな気配はまったくなく、あちらのお国事情に急き立てられるまま、われわれの食の安全を担保しようとしない。
―'05.07.06 記
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[ 内容 ]
アメリカ産牛肉輸入再開に向け政府は全頭検査を緩和する方向にあるが、著者の見解は時期尚早。
狂牛病は原因も対策もまだ何も分かっていないからである。
本書は警告を込めて現状を解説しつつ、一歩踏み込んで問題を考察する。
病原体はどうやって牛からヒトへと種の壁を越えたのか。
そもそもヒトはなぜタンパク質を食べ続けなければならないのか。
その問いは、生きているとはどういうことか、という問いにも繋がっていく。
食と生命をめぐる出色の論考。
[ 目次 ]
第1章 狂牛病はなぜ広がったか―種の壁を越えさせた“人為”
第2章 私たちはなぜ食べ続けるのか―「動的平衡」とシェーンハイマー
第3章 消化するとき何が起こっているのか―臓器移植、遺伝子組み換えを危ぶむ理由
第4章 狂牛病はいかにして消化機構をすり抜けたか―異物に開かれた「脆弱性の窓」
第5章 動的平衡論から導かれること―記憶は実在するのだろうか
第6章 狂牛病病原体の正体は何か―未知のウイルスか、プリオンタンパク質か
第7章 日本における狂牛病―全頭検査緩和を批判する
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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BSE問題について分子生物学の分野から迫る。日本でのBSE騒動はすっかり収束した感があるが、まだまだ病気自体にも未知の部分が多く、感染のメカニズムや病原体すら特定されてない(プリオン説も仮説にすぎない)とは驚き。専門的になりがちな話題を読みやすく読める。
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生物と無生物のあいだ(2007年)の前に書いていた、もう牛を食べても安心か(2004年)。非常に面白いと思う。得意の「動的平衡」を軸に、狂牛病の恐ろしさやプリオンなどをわかり易く書いている。すごくいい。
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プリオン病説への異論から、遺伝子組換え食品や臓器移植まで、、、、ちょっと論理の飛躍を感じるけれど、、、、動的平衡はこのときからでています。
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タイトルと内容は、それほど関連がありません。突き詰めると牛は食べるな、という事になってしまします。
ヒトがなぜタンパク質を取らなければならないのかと、消化するとはどういう事なのか、という事がよく分かりました。「消化管は皮膚が身体の内部に折り畳まれた、いわゆる内なる外だからだ。」という表現でとてもよく理解できました。
しかし、肉骨粉の輸出に関するイギリスの悪辣さには驚きました。
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(2013.07.13読了)(2013.06.28購入)
【目次】
はじめに-狂牛病が問いかけたもの
第一章 狂牛病はなぜ広がったか―種の壁を越えさせた〝人為〟
第二章 私たちはなぜ食べ続けるのか―「動的平衡」とシェーンハイマー
第三章 消化するとき何が起こっているのか―臓器移植、遺伝子組み換えを危ぶむ理由
第四章 狂牛病はいかにして消化機構をすり抜けたか―異物に開かれた「脆弱性の窓」
第五章 動的平衡論から導かれること―記憶は実在するのだろうか
第六章 狂牛病病原体の正体は何か―未知のウイルスか、プリオンタンパク質か
第七章 日本における狂牛病―全頭検査緩和を批判する
おわりに-平衡の回復
主な参考文献
☆福岡伸一さんの本(既読)
「生物と無生物のあいだ」福岡伸一著、講談社現代新書、2007.05.20
「できそこないの男たち」福岡伸一著、光文社新書、2008.10.20
「動的平衡-生命はなぜそこに宿るのか-」福岡伸一著、木楽舎、2009.02.25
「世界は分けてもわからない」福岡伸一著、講談社現代新書、2009.07.20
「ルリボシカミキリの青」福岡伸一著、文藝春秋、2010.04.25
「フェルメール光の王国」福岡伸一著、木楽舎、2011.08.01
(「BOOK」データベースより)amazon
アメリカ産牛肉輸入再開に向け政府は全頭検査を緩和する方向にあるが、著者の見解は時期尚早。狂牛病は原因も対策もまだ何も分かっていないからである。本書は警告を込めて現状を解説しつつ、一歩踏み込んで問題を考察する。病原体はどうやって牛からヒトへと種の壁を越えたのか。そもそもヒトはなぜタンパク質を食べ続けなければならないのか。その問いは、生きているとはどういうことか、という問いにも繋がっていく。食と生命をめぐる出色の論考。