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紙の本
スピノザの世界 神あるいは自然 (講談社現代新書)
著者 上野 修 (著)
スピノザの思想史的評価については多くのことが言われてきた。デカルト主義との関係、ユダヤ的伝統との関係。国家論におけるホッブズとの関係。初期啓蒙主義におけるスピノザの位置。...
スピノザの世界 神あるいは自然 (講談社現代新書)
スピノザの世界
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商品説明
スピノザの思想史的評価については多くのことが言われてきた。デカルト主義との関係、ユダヤ的伝統との関係。国家論におけるホッブズとの関係。初期啓蒙主義におけるスピノザの位置。ドイツ観念論とスピノザ。現代では、アルチュセール、ドゥルーズ、ネグリ、レヴィナスといった名前がスピノザの名とともに語られる。スピノザはいたるところにいる。が、すべては微妙だ。――<本書より>
神は制作者ではない。神にも人間にも自由な意志は存在しない。
すべての事物を必然ととらえたスピノザ哲学の魅力!
スピノザの思想史的評価については多くのことが言われてきた。デカルト主義との関係、ユダヤ的伝統との関係。国家論におけるホッブズとの関係。初期啓蒙主義におけるスピノザの位置。ドイツ観念論とスピノザ。現代では、アルチュセール、ドゥルーズ、ネグリ、レヴィナスといった名前がスピノザの名とともに語られる。スピノザはいたるところにいる。が、すべては微妙だ。たしかにスピノザについてはたくさん言うべきことがある。そのためにはスピノザの知的背景と時代背景、後代への影響、現代のスピノザ受容の状況を勉強する必要がある。けれども、まずはスピノザ自身の言っていることを知らなければどうしようもない。そのためには、スピノザがどこまで行ったのか、彼の世界を果てまで歩いてみるほかない。彼が望んだようにミニマリズムに与し、彼の理解したように事物の愛を学ぶほかないのである。――<本書より>【商品解説】
目次
- 1.企て
- 2.真理
- 3.神あるいは自然
- 4.人間
- 5.倫理
- 6.永遠
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紙の本
大きな自然の必然の中にある自分。スピノザが禅僧のようにもみえてくる。
2007/03/22 17:07
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
新書で短く、良く書かれたスピノザの解説書である。主に「知性改善論」「エチカ」を扱い、スピノザは世界をどんなふうにみていたのかを説いていく。
スピノザにはニーチェが感動し、アインシュタインやフロイトも影響された。最近の脳科学でもとりあげる研究者もあるなど、気になる哲学者である。しかし「エチカ」の幾何学のような書き方にとまどったり、「神あるいは自然」の意味するところになかなか理解がたどりつけなかったり、難しいと感じていた。この本はまず、スピノザを読んだ者が感ずるであろうひっかかりを素直に同感してくれるところから始めてくれるので取り付きやすい。スピノザの確かめようとした「最高の喜び」とはなにか?スピノザの言っている「神」とは「永遠」とは「真理とは」?スピノザの裾を引っ張りながら、スピノザに問いかけ、スピノザの答えを聞くような文章で、著者は著者の理解したスピノザを語ってくれる。
スピノザの独特な言葉の使い方、「神」も「自然」も「永遠」も「真理」も、多分自分が使っているのとは違う使い方なのだ、と考えるところから始めること。そうすると、スピノザの「エチカ」の幾何学的証明の始まる前提が、かなりよくみえてくる。よく言われる「神あるいは自然」というのも、著者がいうように「スピノザのキャッチコピー」のように使われている感があるが、この「自然」も現在われわれの多くがイメージする「自然」だと思ってしまっては理解を妨げる。著者もところどころで「とにかくそういうことにしておこう」と言う言葉を使っているが、そのぐらいの気持ちで読み進むことが必要なのだろう。そのうち、スピノザの前提そのものを疑うことも可能では、と考えてみるぐらいはできるようになる、かもしれない。
この本を読む前と後とで、すこしばかりスピノザのイメージが変わった。「必然的に流れていく大きな自然、神の中にあって存在している自分」。それを感じることが最高の喜びである、となればこれは、なにか「禅的なさとり」にも似ていないだろうか。まあ、もしかしたらこの本の著者の解釈がそういうものである、ということなのかもしれないが。
原著の邦訳の引用もたくさん入り、本文の中でもどの部分でそれを言っているのか、をたくさん入れてあるので原著にあたって自分で確かめることもしやすいのはありがたい。できれば巻末に索引、引用した原著の出てくるページ数の一覧などがあれば、もっと読み込めるのだが。(結局自分でつくってしまった。。。)
あとがきにあるように、「手軽に手に取れて、しかもじっくり中に入り込めるようなスピノザの入門書」。おすすめである。
紙の本
デタッチメントの哲学
2005/05/22 16:49
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
上野修さんの『スピノザの世界』は、スピノザの異例・異様な思考世界をとても上手に、コンパクトかつ無味乾燥に解説している(これは悪口ではない)。「『エチカ』のこのあたり[第5部の最後、定理21から42]を読むといつも異様な緊張を感じるのだが、きっとそれは、証明している自分自身が証明されているという特異な必然性経験をしてしまうからだろう」とか「このあたり[同定理32の系]に来ると『エチカ』はいったい何ものが語っているのかわからなくなってくる」とか、スピノザ小旅行のガイドブックとしては最高のフレーズだと思う。
考えているのは自然(事物)であって、私(精神)ではない。──本書のキモは次の文章のうちに凝縮されていると思う。《スピノザの話についていくためには、何か精神のようなものがいて考えている、というイメージから脱却しなければならない。精神なんかなくても、ただ端的に、考えがある、観念がある、という雰囲気で臨まなければならない。》
講談社の『本』5月号に掲載された短い文章(「スピノザから見える不思議な光景」)に、上野さんは、スピノザの哲学は「人間」的なものの籠絡からの静かなデタッチメントを教えてくれるといった趣旨のことを書いている。これもまた、スピノザを語るのに最高のフレーズだと思う。これに匹敵するのは、「神に酔える人」と呼んだノヴァーリスの言葉か、ジルソンの『神と哲学』に出てくる次のフレーズ。「スピノザの宗教は、哲学だけによって人間の救済に到るにはどうすればよいかという問に対する、形而上学的に百パーセント純粋な解答である。」
一つだけ気になったのは、たとえば『エチカ』第2部でデカルト由来の心身合一の問題がいとも早々と解決されてしまうことにふれた箇所で、「…「物体B」の観念になっている思考も「身体Aの変状a」を漠然とでも知覚しちゃうのではないか」と突然会話風の表現が出てくるところ。これと似た表現が「あとがき」にも出てくる。「…それら観念がみな無限に多くの私の(?)並行する精神であるということになっちゃうのではないか」。これはちょっと、デタッチメントの雰囲気にそぐわない。