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プークが丘の妖精パック (光文社古典新訳文庫)
プークが丘の妖精パック
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紙の本
いったいなぜ、この作品が100年も未訳だったのだろう。イギリスの歴史を語る楽しい「歴史むかしばなし」
2007/04/20 17:23
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
二人の子供が「真夏の夜の夢」の劇で遊んでいて、偶然、妖精のパックを呼び出してしまう。パックは二人に、彼らの住む土地、イングランドの昔の話をその時代の人を呼び出して語って聞かせる。イングランドの歴史を子供に聞かせようとしてキプリングが書いたお話だそうです。キプリングは「ジャングル・ブック」ぐらいしかしらない日本人は多いのではないでしょうか。こんな楽しいお話もあったのか、と思う作品です。
まるで、田舎に行ったらおじいさんやおばあさんが「この裏山ではね。。」と昔の戦争や、その又昔のお殿様の話をしてくれるような、そんな雰囲気です。あちらの国でも、子供はこうして自分の国を教えられていたのかな、と状況が目に浮かぶようです。新しい時代の子供たちと、昔の人物たちの会話もユーモアのある、楽しいものです。
イングランドにもローマ人がいたこと。ノルマン人が攻めてきたこと。攻めてくる二つの民族の間で立ち回らざるを得ない土地の民がいたこと。イギリスの歴史の一幕を書いているのですが、その中にどこの時代、どこの国にも起こった話でもあると感じさせる内容があります。闘った人々の心や生活にも、違和感無く共感できるものは多いです。例えば二つの民族に侵略され、どちらにつくかと苦労する民の話は、アジアの隣国をも想起させるもの。戦争の中でも芽生える友情、信頼。若者特有の反抗や熱情。家族への思い、それを聞く子供たちの感想。どの国、どの時代にも共通する何かを見出し、目頭を熱くする場面もありました。立ち回る人間のこすっからさ、それがその場では一番よい方法だったような事件があったりもします。子供向けに書かれたそうですが、まず大人が読んで楽しむ部分がおおいでしょう。
1906年の作品ですが、日本では100年たってやっと翻訳されました。キプリングは「愛国的過ぎる、アジアへの偏見がある」といわれていた時期もあったようです。このおはなしの中でも、侵略してきてイングランドに住むようになった兵士の「ノルマンではもはや無く、イングランド人p144」と言う言葉や、最後にのっている子供たちの歌で「私は永遠に故国のもの」などと言わせているあたりが「国粋的」と言われたのかもしれません。しかし、インドで生れ、6歳までインドいたと言うキプリングは、土地の人々の大切さ、融和することの難しさを人一倍知っていたとも考えられます。このおはなしにはそんな一面の方が強く出ていると思います。
ラテン語の詩がでてくるあたりなどは、いかにもイギリスの、教育を考えた子供向きの話だな、と思わせます。エピソードのそれぞれを挟むように挿入されている詩も、さすがキプリング、雰囲気をだしています。ぜひ、原語の音感でも読んでみたくなりました。
いったいにこの光文社古典新訳文庫の訳者には、本当にこの本を今読んで欲しいという気概が溢れています。この本などもその好例でしょう。あとがきなどにもその思いがよみとれ「読むことの嬉しさ」「読めることの嬉しさ」をひとしお深くしてくれます。「あとがき必読」のシリーズでもあります。
紙の本
トネリコの魔法に語らしめよ
2011/06/30 23:26
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
キプリングという人は、インドで生まれ育ち、作家としての地位を得てからイギリスに戻った人だ。少年時代の一時期にイングランドで教育も受けている。大英帝国を外から、散文的な感覚で眺めた経験がある人とみなしたい。インドを舞台にした作品も素晴らしいが、イングランドの歴史を題材にした本作も、愛郷心とコスモポリタンとしての視線が混交して、子供向けファンタジーの域を越えた悲哀を奏でている。
オークとトネリコとサンザシの森の繁る、キプリング自身が家族と住んだサセックスの地。その森で二人の子供達が一人の妖精に出会う。シェークスピアにも登場するパックであり、彼の言うところでは古くからその土地をずっと見て来たのだという。そのパックが古い古い友人を(時間を越えて)招いては、子供達に昔語りを聞かせてくれるのだ。
それは古くにはたくさんいたという神々や妖精の話から始まって、それからローマからの征服者や、フランスの敵対者、北方からの侵略者、ブリテン島の古い種族とのせめぎ合い、それらに関わった人々が、この地で時間を越えて交錯していたことが、かわりばんこに語られる。
彼らは、王、百人隊長、兵卒、様々な土地の様々な出自を持ち、よってイングランドにとっての正義やナショナリズムなどは求めようもない。彼らも自身の利益、欲望に従って行動するだけで、英雄的と言えるようなものでもなく、時には駆け引きも奸計も用い、しかし公正さや思いやりといった行動規範に支えられている。しかしだからこそ、子供達が夢中になるハラハラドキドキに溢れていながら、大人も楽しめる苦さを備えた歴史物語ともなっている。
歴史の中に名前を埋もれさせているそんな彼らの残したものは、少しずつ積み重なって、イングランドの大きな歴史の流れの鍵になることもある。
そんなダイナミックな歴史観を見せながら、いつの間にか森と土と川と海が物語の半分を占めてもいる。その土地をもっとも愛しているのは、人々が移り変わっても変わらぬ大地を見続けて来た妖精パックなのだろう。そしてパック自身も、時とともに人々から忘れ去られる運命にある。
なにかこう、イングランドの森がこれから失われて行くことを、ロンドンからデヴォン、サセックスと移り住んだキプリングが予感したか、その兆しを既に見て取っていたのか、その哀借の情がこの物語を書かせたんだろうなあとも思えてくる。