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名短篇、さらにあり (ちくま文庫)
『名短篇、ここにあり』では収録しきれなかった数々の名作。人間の愚かさ、不気味さ、人情が詰った奇妙な12の世界。舟橋聖一「華燭」、永井龍男「出口入口」、林芙美子「骨」、久生...
名短篇、さらにあり (ちくま文庫)
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商品説明
『名短篇、ここにあり』では収録しきれなかった数々の名作。人間の愚かさ、不気味さ、人情が詰った奇妙な12の世界。舟橋聖一「華燭」、永井龍男「出口入口」、林芙美子「骨」、久生十蘭「雲の小径」、十和田操「押入の中の鏡花先生」、川口松太郎「不動図」、吉屋信子「鬼火」、内田百〓(けん)「とほぼえ」、岡本かの子「家霊」、岩野泡鳴「ぼんち」など。文庫オリジナルでご堪能下さい。【「BOOK」データベースの商品解説】
収録作品一覧
華燭 | 舟橋聖一 著 | 7−28 |
---|---|---|
出口入口 | 永井龍男 著 | 29−43 |
骨 | 林芙美子 著 | 45−71 |
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紙の本
名短篇、かくもあり
2008/07/21 10:41
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐吉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
先に紹介した北村薫・宮部みゆき編『名短篇、ここにあり』の続編である。今回もまた二人の選による日本人作家の短篇12篇が収められている。ちなみに『ここにあり』、『さらにあり』の二巻を通じて、作品は、基本的に最近のものから順に並んでおり、続編となる本書では、昭和の高度成長期の作品に始まり、戦後の混乱期、昭和初期、そして大正時代のそれへと時代を遡ってゆく。
著者はすべて明治生まれの作家で、明治37年(1904年)生まれの舟橋聖一を筆頭に、永井龍男、林芙美子、久生十蘭、十和田操、川口松太郎、吉屋信子、内田百間、岡本かの子、岩野泡鳴、そして明治5年(1872年)生まれの島崎藤村の11人である(川口松太郎のみ二篇収録)。
さて、前刊『名短篇、ここにあり』は、帯の惹句に「意外な作家の意外な逸品」とあるとおり、現在も多くの読者に親しまれている、比較的最近の著名作家の「隠れた名品」を集めた短篇集だった。対照的に本書では、(こう云っては語弊があるかもしれないが)より長い時を経ているがため、今では人々の口の端に掛かることの少なくなってしまった作家の作品が主である。が、その分、それぞれの作家の本領が存分に味わえる、掛け値なしの傑作が揃っている。ちなみに本書の帯の惹句は、「面白いというのはこういう作品のこと」。やや控え目だった前回とは打って変わって、ずいぶん威勢のいい啖呵である。
冒頭は、結婚式での「空気の読めない」スピーチをそのまま作品にした、舟橋聖一の『華燭』。こうして軽いユーモア小品から入る構成は、半村良の『となりの宇宙人』を前菜にした前刊と同じだ。以下、強く評者の印象に残った作品をいくつか拾ってみると、林芙美子の『骨』は、戦争で夫を亡くし、街娼に身を落としてなお赤貧に喘ぐ女の姿を描いて生々しい。岩野泡鳴の『ぼんち』では、電柱に頭をぶつけ死ぬかもしれないというのに、それでもなお執拗に芸者遊びに興じようとする主人公の姿に、人間の可笑しみと哀れさが入り混じる。久生十蘭の『雲の小径』、内田百間の『とほぼえ』は、ともに作家の持ち味が存分に味わえる、いわゆる「奇妙な味」の作品だし、川口松太郎の『紅梅振袖』は、人情噺でありながら、それをすでに遠くなってしまったものとして眺めるような視線にかえって共感を覚える。通読してみると、バリエーションが実に豊富で、さながら短篇小説のフルコースを味わっているかのようだ、と云ったら持ち上げすぎだろうか。
本書のようなアンソロジーの利点はいくつかあるが、その一つに、それぞれの作家の全集でしかお目にかかれないような、知る人ぞ識る作品を取り上げることができる、というのが挙げられる。前刊ではその点が際立っていた。また、それまであまり馴染みのなかった作家の作品に、気軽に触れることができるというのも、アンソロジーの魅力の一つである。続編の本書では、その恩恵に浴した読者が多かったことだろう。もちろん評者もその一人である。そうして興味を覚えた作家があれば、いきおい、その作家の他の作品も読んでみたいと思うし、加えて本書の場合、それぞれの作品が書かれた時代背景に関心が向かえば、同じ時代の他の作家の作品を読んでみようと思う人もあるかもしれない。
本シリーズは、健在の、あるいはまだ記憶に新しい作家については、彼らの意外な側面を示してみせ、一方、読まれる機会の少なくなりつつある作家については、彼らの真骨頂とも云うべき作品を紹介する。そればかりか、同時に、日本の近代文学史における短篇小説の流れを、ざっとではあるが俯瞰できる造りにもなっている。心憎い演出である。
『ここにあり』、『さらにあり』のいずれも、巻末には、解説に代えて、北村と宮部が所収作品について語った対談が載せられている。お定まりの薀蓄を傾けた作品紹介ではなく、二人それぞれの作家ならではの作品の「読み」や、逆に純粋に読者としての思い入れなどが忌憚なく語られていて、これがまた楽しい。
紙の本
現代カナ表記にするだけで、古典色は一掃されます。でも、面白いのは古い名作の凄さより、今の小説って互角じゃない、っていう現代文学への想いです・・・
2008/11/14 19:52
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
機会があれば名作といわれる類の作品を読んでおこう、というのが最近の私ですが、といって実際に読みたいもの、となるとこれが案外少ない。ま、普段、その手のものを読みつけていないため、勘が全く働かないというのはあります。そこで頼りになるのが編者と値段。そして気持ち、カバーデザイン。今回の担当は神田昇和。
カバー後ろの案内ですが
『名短篇、ここにあり』では
収録しきれなかった数々の名
作。人間の愚かさ、不気味さ、
人情が詰った奇妙な12の世界。
舟橋聖一「華燭」、永井龍男「出
口入口」、林芙美子「骨」、久
生十蘭「雲の小径」、十和田操
「押入の中の鏡花先生」、川口
松太郎「不動図」、吉屋信子「鬼
火」、内田百「とほぼえ」、岡
本かの子「家霊」、岩野泡鳴「ぼ
んち」など。文庫オリジナル
でご堪能下さい。
解説対談 北村 薫・宮部 みゆき
となっています。仮名遣いが現在のものとなっているので、どれを読んでも抵抗感は全くありません。すべて面白いのですが、はたしてこれが後代に残る名編かといわれると、正直、態度を保留したいところです。それは、現代小説にもっと面白いものがある気がするからです。
ただし、これだけは言えそうです、過去の作品だって表記を改めれば、私たちも楽しめると。そういうものは意外と多いと。たとえば藤村の一篇ですが、これは老人問題を扱ったものとして読めば、ああ、昔も痴呆老人の問題はあって、施設に入れられる側は嫌だったんだなあ、なんだか施設の様子はあんまり現在と変わらないみたいだなあ、とか思ったりします。
そういう意味では、この本、初出記載がないのは不親切だと思います。例えば永井龍男ですが、1990年までご存命だったわけで、この作品だって亡くなられる直前に書かれていれば、現代小説でしょう。まわりくどい言い方になりましたが、各作品がいつ書かれたかくらいは書かれて当然ではないでしょうか。
川口松太郎の「紅梅振袖」なんて、今の泡坂妻夫の作品といわれても肯いてしまいます。美術が好きな私には「不動図」も面白い。永井龍男「出口入口」も、モノクロ映画で見たら楽しめるだろうな、なんて思いますし、大好きな久生十蘭の「雲の小径」、こんな作品読んだことあったかしら、って思います。
巻末の各作品をめぐる北村と宮部の会話も、真面目な二人の性格がよく出ています。それに及びもしない印象記で恐縮ですが各話についてごくごく簡単にまとめたおきました。
◆華燭(舟橋聖一 1904-1976):結婚披露宴での祝辞が、いつの間にか長い暴露話になって・・・
◆出口入口(永井龍男 1904-1990):部長になったばかりの男の通夜が終って重役が帰ろうとすると、靴がない・・・
◆骨(林芙美子 1903-1951):戦犯大臣が死刑台に立って死んだあと、その骨を貰いたいと大臣夫人が嘆願して・・・
◆雲の小径(久生十蘭 1902-1957):大阪を飛び出すと、すぐに雲霧に包み込まれ一時間以上も灰白色の空間を彷徨し・・・
◆押入の中の鏡花先生(十和田操 1900-1978):押入れの中で読み返す古手紙に、鏡花先生の門今も出入りしているのかと・・・
◆不動図(川口松太郎 1899-1985):資生堂で開かれた石井鶴三の個展で手に入れた未完の不動図は・・・
◆紅梅振袖(川口松太郎 1899-1985):密かに想いを寄せていた女性の結婚式のためにと丹精をこめて縫い上げられた振袖は・・・
◆鬼火(吉屋信子 1896-1973):忠七はガスの集金であるのをいいことに、支払いのできない人妻に代償を求め・・・
◆とほぼえ(内田百〓(けん)1889-1971):初めての家に呼ばれて、少し過ごしてしまった男が入ったのは坂の上の氷屋・・・
◆家霊(岡本かの子 1889-1939):「いのち」という名のどじょう店に、何年も借金をしたまま鍋を注文する彫金師が・・・
◆ぼんち(岩野泡鳴 1873-1920):玉突きで負けて仲間たちに奢ることになった大店の息子は、その道すがら電柱に頭をぶつけ・・・
◆ある女の生涯(島崎藤村 1872-1943):老いて子供たちからも入院を勧められる母親の想いは・・・
解説対談 北村 薫・宮部 みゆき
です。そうか、タイトル見れば分かるんですが、この本には『名短篇、ここにあり』という前段があったんですね。何を措いても読みたいか、と聞かれれば「いいえ」と答えざるをえません。ただし、「いつかね」とコメントはしたい。そういうお話が沢山詰まったチョッとレトロな印象の作品集です。
紙の本
深みのある著名作家の短編集
2008/08/03 21:39
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ドン・キホーテ - この投稿者のレビュー一覧を見る
前編の『名短篇集、ここにあり』の続編である。やはり、古今東西著名な作家の短篇を集めたものである。アンソロジーには何がしかのテーマがあるのが通常であるが、前編も含めてこのシリーズにはそういうものはない。あるのは、短篇などお目にかかったことのない著名作家の短篇を登場させていることであろう。
著名作家とはいっても、最近の流行作家という意味ではない。本編に登場するのは林芙美子、永井龍男、吉屋信子、岡本かの子など、さらに島崎藤村までが加わっている。いわゆるそうそうたる文豪たちである。
この中には最近の流行作家は含まれておらず、それぞれの分野で名をなした人たちばかりである。時代設定や文体などもそれぞれ個性が出ている。
舟橋聖一の『華燭』は、結婚式のスピーチがそのすべてなのであるが、テーブル・スピーチでの暴露話で終わるかと思いきや、その内容は奥行きがあって読み応えがあった。短編でこれくらいの豊かさがあると、ますます短編志向になりそうである。
川口松太郎の『不動図』は、絵画を題材にとった掌編である。画家は石井鶴三である。信州上田に石井鶴三美術館があるが、私自身は二度も素通りしてしまった。不動図は石井が描いたという設定になっている。その不動図を巡るストーリーであるが、小説ではなく、随筆のようなタッチである。
岩野泡鳴の『ぼんち』は、もちろん舞台設定が関西である。遊び人仲間で撞球をしたが、賭けに負けた一人の負担で、宝塚まで遊びに行く道すがらを描いたものである。とくに焦点が何に当てられているという訳でもない。不思議な一編であるが、何となく味が出ているような気がする。
島崎藤村の『ある女の生涯』は、田舎で育った女性の生涯を描いたもので、晩年は東京に出てきたが、養老院などを転々として一生を閉じた女性が描かれている。さすがに、時代を感じさせる。夫婦、親、兄弟との人間関係は、どの時代でも変わらないはずだとは言え、現代に生きるわれわれから見れば、時代とともに肉親との関係もやはり変わらざるを得ないと感じさせる。
古い時代の小説が多かった本編では、書き方の個性も多様である。当時ではどうであったかは分からないのだが、改行がほとんどなく、全頁がほぼ活字で埋まっているものも多い。当然、きわめて読みにくい。上記以外でも途中で気力が途切れて、中途で断念しようかと思ったものもあった。
現代モノのアンソロジーばかりを読んできたが、テーマを決めずに集めてみると、時間軸での習俗の変化、雰囲気の違い、多様性などに気付かされるという収穫があった。