紙の本
人生のちょっとした煩い
2019/12/31 22:16
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本の著者は「アメリカ文学シーンのカリスマ的存在」と著者欄にあるが、私にとっては未知の作家だった。しかし訳者が村上春樹ということもあって手にとって見ると、想像以上にはまり、一気に読み終えてしまった。一人称で書かれた小説の、正常なようなおかしいような微妙な認識のずれがおもしろい。
紙の本
想像していたのとはちょっと違いました。
2009/07/13 21:35
6人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K・I - この投稿者のレビュー一覧を見る
2009年のある月。文春文庫で村上春樹訳の本が3冊発売された。トルーマン・カポーティの短編集、ティム・オブライエンの長編、そして、『人生のちょっとした煩い』。
僕は大型書店に足を運ぶ機会があって、3冊とも購入した。カポーティの短編集と、ティム・オブライエンの長編は両方とも単行本を図書館で借りて読んだことがあった。しかし、文庫を購入した。
カポーティの短編は機会を見て、読んでいる。最初からではなく、気になったものをぱらぱらと。やはり、そういったことができる短編というものに、僕は限りない愛着を感じる。
この、グレイス・ペイリー『人生のちょっとした煩い』の単行本はブックオフで見かけたことがあった。表紙の絵がよかったので、気になって、ぱらぱらと目次を見たりしたのだが、結局購入はしなかった。同じ作者の『最後の瞬間のすごく大きな変化』は図書館で目にしたことがあった。しかし本の状態が古いということもあって借りはしなかった。
もしかしたら、僕は女性作家を避けているのかもしれない、と思うこともある。たとえば、フラナリー・オコナー。アメリカの作家で短編と聞けば、興味をそそられるのだが、彼女の「全短編」が文庫化されても、検討はしたものの、購入はしていない。
前にも書いたように僕は山崎ナオコーラの小説が大好きで、だから、すべての女性作家の書いたものがいまいち好きになれないというわけではないのだが、たとえば、僕は作家の作品にその人の生き方や考え方といったものを求めてしまう傾向がある。「小説なんて、フィクションなんだから、それがどれだけ巧妙に作られているかが問題で、そんな、「私小説」みたいな、読み方をするのは間違いだ」と主張されるかもしれない。たしかにそういう考え方もあるだろう。でも僕にとって「文学」とはその作者の人生や考え方、生き方、思想と切っては切り離せないものである。だから、いくら、「読み物」として、ポール・オースターの『幻影の書』がうまくできていたとしても、評価はできない、というか好きになれない、もう一度読み返そうという気にならない。
僕は一般の人に比べて知識が豊富とはいえないし、世間知らずだ。グレイス・ペイリーという人の短編集を読んでいて、彼女がユダヤ人であるということが大きな影響を作品に与えていると思った。僕はつい「アメリカ」というと、「キリスト教」とイコールで結んでしまいそうになるが、それは間違いで、アメリカには色々な宗教の人たち、そして色々な人種の人たちがいる。つまり、クリスマスに違和感を持つなど、その辺の事情が分からないと、なかなか直感的には理解しにくいと思った。
「変更することのできない直径」という話にについて、訳者の村上春樹は、「つい、「チャーリーがんばれよ!」と声をかけたくなってしまう」と書いているが(「チャーリー」というのは、この話の主人公の一人)、僕にはこの話はロリコンの男のかなり「気持ちの悪い」話だと思った。なんで、こんなに感想が180度違ってしまうのだろう?僕の読み方は間違っているのだろうか?第三者の意見を聞きたい。
「訳者あとがき」で、村上春樹はレイモンド・カーヴァーの名を上げている。たしかに、この『人生のちょっとした煩い』でもカーヴァーの短編のテーマ(という明示的なものではないにせよ、それに類するもの)に似たものがある。「暴力」「男と女の不和」「狂気」。
しかし、これは「訳者あとがき」で知ったのだが、グレイス・ペイリーは「影響を受けた作家として、ジョイスとガードルード・スタインの名を挙げて」いる。そして、村上春樹はカーヴァーの文体との比較を行っているのだが、僕は上記のようなテーマには、カーヴァーの文体がふさわしい、という感じがする。抑制的で、感情を排し、簡潔に。しかし、これは僕の偏見かもしれない。カーヴァーの作品を読んでいる人は多いだろうから、このグレイス・ペイリーさんの短編集も読んでみて、感想を聞いてみたい。
グレイス・ペイリーさんは2007年に亡くなったそうだ。そして、3冊目の短編集の翻訳も村上春樹訳で出る予定だという。僕はその3冊目の短編集が出たら、買うかどうか迷っている。正直言って、期待していたのとはちょっと違った感じなので、「絶対に買う!」という気にはならない。ただ、「訳者あとがき」の後に、グレイス・ペイリーさんの短いエッセイが載っていて、その文章はとてもよかった。また、その人生における執筆の位置づけ(のようなもの)にも好感が持てる。だから、アメリカでの発行順序では2冊目の『最後の瞬間のすごく大きな変化』も読んでみて、3冊目が出たら、買うかどうか決めようと思っている。
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ちょっと個人的には合わなかったような感じです。物語に入り込めなかったという感じです。私にとっては読みづらかったかなあ。
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女は散漫で思いつくままに喋るから、話があっちこっちに飛ぶ、なんて云われます。ええ、思いあたりますとも。この小説も筆者の思考の流れるままにひょいと飛躍するところがあるので、ぼやっとしてると置いてきぼりを食らうことがあります。でもちゃんと帰ってくるから大丈夫です。
そんなわけで、時代とか社会背景とか民族がなんちゃらとか、そういう問題はいっさい置いといて、ようは50年代のガールズ・トークだと解釈すると、もろもろ腑に落ちました。原題は“The little disturbances of man”なんですけど、訳者の村上春樹センセイは「女の人生の煩いのモトはたいてい男だからね、フフフ」といいたいのかもしれません。
もしあなたが、親しい女ともだちと週末の午後のお茶会に、小説より奇なる人生のちょっとした煩いをとりとめもなくおしゃべりする習慣があるなら、グレイス・ペイリーという新しいメンバーのための椅子を用意してあげてください。
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ペイリーの第一冊目の短編集。
自由でユーモアがあって、その時代の人々の生活をふんわりと掬い上げている物語の数々。
くせになる作風で魅了されます。
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村上春樹の翻訳作品なので、気になって買ってみた。
最後まで文体に馴染めなかった感があり、楽しんで読むことができなかった。村上春樹訳ということもあり、『グレート・ギャツビー』のようなものを期待して読んだのだが、心に強く訴えてくることもなかった。
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グレイス・ペイリーの 人生のちょっとした煩いを途中まで読みました。村上春樹訳なので買ってみたのですが、文章が読み解けず、物語を追うことができませんでした。実は数ヶ月前に途中まで読んでみたのでしたが、物語が頭に入ってこなかったので、期間をおいて再読してみたのですが、やはりダメでした。逃げてゆく愛もそうでしたが、どうも英米の純文学系(?)の小説とはkonnokは相性が悪いようです。SFやミステリーは特に問題なく読めるんですけどね。なぜでしょうね。
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表紙がEdward Hopperの切ない絵で嬉しかった。
この小説を訳した村上春樹によると、ペイリーの英語はとても独特な言い回しらしい。
だから日本語だとあまり面白くなかったのかな、、?
途中で読むのをやめてしまいました。
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訳者の村上春樹もあとがきに記したように、じつに骨のある文体で、読みやすいか、と言われれば読みにくいと思う。
内容は、タイトルが端的に表した、「人生のちょっとした煩い」。
ドラマティックでスマートとは正反対、つまり平凡かつ事情持ちの人々の、ほろ苦くペーソスな人生のある瞬間を、タフな客観で切り取った短編集。ユダヤ系の人々の生活がよく出てきます。
悲劇でもメランコリーでもない、「薄ら不幸」という、この感覚。ふいにちょっと笑ってしまうような、おかしみと哀しみ。
展開や共感に心躍る!という楽しみ方ではありませんでしたが、「うーん、良い」と、思わず。
読めば読むほど味の出てきそうな、そしてゆっくり味わいながら再読したい一冊。
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「ペイリーさんの小説は、とにかくひとつ残らず自分の手で訳してみたい」と村上氏が語る、
アメリカ文学のカリスマにして伝説の女性作家の第一作品集。
キッチン・テーブルでこつこつと書き継がれた、
とてつもなくタフでシャープで、しかも温かく、滋味豊かな十篇。
巻末にデビュー当時を語ったエッセイと訳者による詳細な解題付き。
アメリカ文学、ヘミングウェイに続きグレイスペイリー。
訳が村上春樹。
10篇の短編集なのだが、
通して思った事が、この人が書く話は、取り立てて特別な出来事を書いていない事が印象に残る。
だけども、読んでいて面白いし、何処か哀しみや憂いを含んでいる。
10篇のうちいくつかの感想を書く。
・さよならグッドラック
ある女の子の叔母が昔の話を語るお話。
叔母はある劇場の俳優と不倫をしていて、
その辺の経緯を昔話のように語る。
ヴラシュキンと言う名の俳優。
終盤、彼にとって人生がリハーサルのような物だったのねとローズおばさんが語る。
不倫はお互いのポジション設定が難しいのだろうなとか思った。
・淡いピンクのロースト
別れた旦那と子供を引き取った奥さんの話。
これもまた、男女の考え方の違いと言うべきか、
不思議な雰囲気でありながら、あたかもそれが当たり前の様に繰り広げられる。そういった構成を作り上げる事に圧巻しました。
愛の為とはなかなか言えないもんですよ。
・コンテスト
ユダヤ人の彼女とその男の話。
クイズに答えて賞金を手に入れる話。
これもまた独特の雰囲気がたまらなかった。
ホント言葉でこれだと言い表せられないような感覚が冴えわたっていると思う。このお話も結構好き。
・変更する事の出来ない直径
チャーリーと言う男が、裕福な家庭の女の子に手を出しちゃう話。
チャーリーの冷静具合とひねくれた感じが、なぜだか親近感があった。
女の子の父親とチャーリーのやりとりなんかを読んでいると、若干笑える。
・そのとき私たちはみんな、一匹の猿になってしまった。
下町で世界平和を維持する為に科学実験を行う科学おたくの青年の話。
彼は、イメージ的に頭のキレるガキ大将みたいな感じで、
仲間が自然と出来上がって最終的には毒ガスを作ってしまう。
イッツィークと言う猿は彼曰く、父親と猿との間に生まれた子供らしい。
よって彼の兄にあたるらしいが、真相は分からん。
読んでいて、不気味な感じがあった。
まぁ実の兄が猿って言う設定が不気味なのかもしれないけれど。
これはまた再読したらまた新たな発見がありそうな一冊でした。
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ペイリーさんの処女短編集です。
人生においてのうまくいかなさ、ちょっとしたズレを、相変わらず(こちらのが先に書いているのだから当たり前だけど)のユーモアと少しの皮肉、そしてイディッシュ語などのユダヤ文化風味で描いています。
「いちばん大きな声」がマイフェイバレット。
一家に一冊グレイス・ペイリー!
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「この本知ってる?」「何年か前に、本屋さんで見かけたけど買わなかったんだよね」という会話をして数日後、自分の本棚のすみっこに収まっているのを見つけた。あのとき、「人生のちょっとした煩い」というタイトルに惹かれる自分がちょっといやだなと思って書店の棚に返したつもりだったのに。
冒頭の初期作品は、ユーモラスでいきいきした印象。作家の書く喜びが前面に出ていて、そのワクワク感に同調して楽しめる。差しこまれる言葉のイメージが鮮やかで、ハッとさせられるのも心地よい。最後の2編はちょっと難解でぶっとんでいる。ひとつ読み終えるごとに、ほっと一息つきたくなる満足感。
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グレイス・ベイリーの最初の短篇集。訳者の村上春樹はあとがきでは全く言及していない作品なのだが、私が篇中でニューヨークに住むユダヤ人女性作家らしさが最も出ていると思うのは「いちばん大きな声」だ。この作品の視点人物は、小学校高学年のシャーリーだが、彼女は学校でのページェント(降誕劇)で、声の大きさを買われてプロンプター(?)に抜擢される。ところが、ユダヤ教徒である彼女にとって、そして彼女の家族にとっても、クリスマスは聖なる日ではなかったのだ。この文化ギャップが、彼女の作品の基調には常にあるのではないだろうか。
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翻訳はされている村上さんが言ってる通り、癖のある文章だと思います。「若くても、若くなくても、女性というものは」が好き。言葉遊びと諧謔の割合が丁度良い塩梅で混じっており、楽しく読めると思う。しかし、どうしようもない男が沢山出てくる話だった。と言ったら他人事のように聞こえるかもしれないが、読んでいて思わずぎくっとなる部分、この行動や言動は分かるなぁ、と納得せざるをえない箇所もあった。筆者の観察力と翻訳者の文章力がものをいっている、のかも。
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『最後の瞬間の〜』を意図せず先に読みました。スノッブな人とかエリートとかにはない、人間の逞しさが感じられて、やっぱり私はこの著者の作品が好きです。