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投稿者:マー君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
小説家で探検家?の開高健氏の短編集。
さすが元広告マンだけあって読みやすい。それでいて氏の好奇心の旺盛さが伝わってくる。
さすが。
食べ尽くし、飲み尽くし
2022/08/29 15:07
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投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
1970年代の作品集。ごく日常的な情景を描いているようだが、やはり世界が少しづつ変化していることへの敏感な反応があるような気がする。
「玉、砕ける」香港で垢すりの店に行って、帰りに大きな玉になったやつをおみやげにもらったという話なんだけど、行ってくる経緯での現地の友人たちとのやりとりが面白い。その他愛もない会話に紛らして、作家の老舎が死去したという最新ニュースがそっと伝えられる。その「玉」のたとえとしてはひどい話だが、そういうペーソスが持ち味なのかもしれない。
「飽満の種子」サイゴンで外国人向けにアヘンを吸わせる店(?)があるというので、つちかったコネをつたって探し出すのだが、そこに辿り着くまでの過程が迷宮のようだ。コクトーやグレアム・グリーンのアヘン体験を引用したりして、憧れが膨らんでいく。そうなるともう実体験がどんなに素晴らしかろうと、空想のピリオドでしかなくなり、辿り着くまでの過程の方が輝いて見える。
「貝塚をつくる」サイゴンにいる間でも、釣りがやりたいという。釣り場を知っている人間を探して、同好の華僑を見つけ出し、意気投合、釣り三昧を楽しむことができる。とっておきの穴場を教えるというので付いて行くと、その離れ小島に兵役拒否した地元の若者が隠れ住んでいて、その秘密を守れる人物かどうかを見定められていたというわけ。
「黄昏の力」人はなぜ日が暮れると酒場へ出かけてしまうのか。飲むことによって見えないものが見えてくるのだろうか。開高健の場合も、余人には見えない何かが見えていたのだろう。
「渚にて」釧路に住む友人を訪ねて、例によって釣りの話とか食べ物の話とかする。ヘンテコな知人が一人いて、知的なのだが、都市文明とは相入れないような、なんというか開拓民の末裔そのままのような人物を造形したのか、脚色したのか、これと流氷の景色の印象深さが、北海道の強烈なイメージとして提示されている。
「ロマネ・コンティ・一九三五年」超おいしいワインの逸品を開けようというだけの話だが、1970年頃でこういうワイン事情を滔々と並べるのは、世界各国で仕込んできた蘊蓄なのだろう。しかも高くて美味いものを飲もうというのではない、手を尽くして掘り出し物を入手して味わおうという、今風の高尚さや品の良さとは真逆の山師的な挑戦でもあって、グルメとか目利きというよりは、狩猟的な獰猛さをいかに発揮するかにかかっている。そうなると瓶の栓を抜くところまでが主題であって、中身を口にしてからのことは枝葉末節なのか。
巨魚でも酒でもアヘンでも、それを求めるあくなき貪欲さが常に核にあって、ウィットやペーソスでコーティングされているけど、社会矛盾や経済格差をかいくぐり、押し返して、欲求を満たそうとする個々の力が強調されているように思う。それがベトナムだけでなく、日本でもどこでも、そして世界が変容していく中でも普遍的なものだということを発見したとも言える。
開高健の短編小説を読むなら、この作品がオススメ
2018/06/06 15:36
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この短編小説の初出は1978年3月の総合誌「文藝春秋」だから、1989年に58歳で亡くなった開高健にとって晩年というには早すぎて、後期の作品とした方がいいだろう。
ただ、開高はこの後あまり多くの作品を発表していないので、印象的には晩年期の好短編といいたいところだ。
この時期の開高は「闇」三部作の最後の作品がなかなか出来ず、困窮を極めていた時期であったが、短編小説は燦然と輝く逸品ぞろいである。
なかでも、この「玉、砕ける」は内容的にはかつての中国の政治事情とか文学事情がわからないといささか困難だが、作品としての構成がとてもいい。
ある朝どこかの首都で目を覚ました「私」は日本に帰ることを決断する。「私」はベトナム戦争従軍とか世界の紛争地帯を飢えたように渡り歩いていた開高健自身と思われる。
開高はベトナム戦争を実体験することで、『輝ける闇』と『夏の闇』という記憶にとどめたい長編小説をものにしたが、あとが続かない。
そんな倦怠が作品全体にある。
香港の銭湯で垢すり体験をする「私」はまるで皮一枚はがれるくらいの垢をそぎおとされるのだが、それこそ「私」が抱える倦怠の日々そのものだ。
それが、この都市を去る直前に北京で中国の文学者老舎が殺害されたというニュースを耳にする。
そのことを「私」に告げた中国人の不安そうな男の前で、けれど「私」の文章はここにきてまるで生き返るかのように精気にあふれる。
その時、倦怠の象徴のようであった垢の玉が砕け散る。
開高健はこの作品で1979年に川端康成文学賞を受賞した。
名短篇である。
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恥ずかしながらこの方の本は初めて読みます。
名前だけはずっと知っていたんですけれどもね。余談ですが健はケンと読むと思ってました… タケシだったんですねえ…
文章は流麗で形容詞が豊富でとてもきれいな文章だなあと思いました。書かれていることは必ずしも美しいことだけを表現しているわけではないのですが表現方法がきれいだなあと思いました。けれども好きか嫌いかで言ったらどうだろう?
色々なことを示唆している短編だとは思いましたがもう少し色々なことを経験した後読んだ方が面白かなと。
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こないだ飲みの席で、これまでに一番よかった本は?って話題になって、本も映画も基本二度と見返さないおいらは途方に暮れた。
その日からしばらくなんとはなしに考えてたら、開高 健の「裸の王様」ではなかろか、と自分なりの結論。でも案の定内容はうろ覚え。
だからって訳やないけど、久々の開高。
詩的で私的な短編集。
読んでみて、やっぱり一番影響を受けたのは開高な気がする。
中・高校生までは三島 由起夫だとは思いますがね。
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ワイン通になれるほど裕福でもないし、ワイン通になろうと試みるほど、愚かでもない。
ただ、ロマネコンティを飲んだときのことだけは、よく覚えている。
投資の世界で大成功をした友人が開いたホームパーティだった。友人は、ちょうど離婚したばかりで、寂しくってしょうがない時分だったので、やたらパーティを開きたがった。
学生時代からの長いつきあいなので、いきおい、前のカミさんのこともよく知っていて、離婚の相談にもいやいやつきあわされていた仲だった。
投資などという、下世話な世界で成功しているわりには、ギャツビーのようにというと言いすぎだが、かなりロマンチックな性質で、学生の頃からつきあった別れたカミさんと一緒に買った馬鹿でかいカーテンが他のマンションには合わないからという、ほぼわけのわからない理由で、田園都市線沿いの高級マンションに住み続けていた。
「小説家は耳を澄ませながら深紅に輝く、若い酒の暗部に見とれたり、一口、二口すすって噛んだりした。いい酒だ。よく成熟している。肌理がこまかく、すべすべしていて、くちびるや舌に羽毛のように乗ってくれる。ころがしても、漉しても、砕いても、崩れるところがない。さいごに咽喉へごくりとやるときも、滴が崖をころがりおちる瞬間に見せるものをすかさず眺めようとしているのに、艶やかな豊満がある。円熟しているのに清淡で爽やかである。つつましやかに微笑しつつ、ときどきそれと気づかずに奔放さを閃かすようでもある。咽喉へ送って消えてしまったあとでふとそれと気がつくような展開もある。」(開高健 ロマネ・コンティ・1935年 文春文庫)
開高健の最強の文章で書きつくされているようには、その夜のロマネコンティの喉ごしなど覚えているはずもないが、大酒を飲んだ翌日に、若さということを割り引いても、宿酔がまったくなかったことへの驚きだけは、よく覚えている。
友人は、そのあと、再婚し、遅くではあるが、子どもにも恵まれ、投資運用というよりは、娘のお受験に必死の、単なる親馬鹿となり果てている。
たまに二人で飲むときも、日本酒が多くなり、ぼくがワインを頼むと、胃が強いんだなあとわけのわからない感心をするありさまだ。めっきり色気も薄れてきたようだ。
ロマネコンティを飲んだときに、すぐ書店で、開高健の「ロマネコンティ・1935年」を買いこんで読んだ。その頃は、まだ30代前半ぐらいで、彼の、老練な筆先から、現れる、こんな件の妖艶さを味わうことはできなかった。物語は、二人のワイン通が、満を持して開けたロマネコンティの質が悪いのに愕然とするという話だが、落胆の中で、そのワインの来歴を描写する部分が見事だ。
「もともと感じやすくて、若いうちに美質を円熟させるようにと生まれつき、そのように育てられていたこの酒は、フランスの田舎の厚くて、深くて、冷暗な石室のすみでじっとよこたわったきりでいるしかないのに、旅をしすぎたのだ。それが過ちだったのだ。ゆさぶられ、かきたてられ、暑熱で蒸され、積みあげられ、照らされ、さらされ、放置されるうちに早老で衰退しまったのではないか。
(中略)
早熟だけれど肉がゆたかで、謙虚なのに眼のすみにときどきいきいきした奔放が輝くこともあった。爽快そして生一本だった娘は、旅をさせられるうちにあるとき崩れ、それからは緑色の闇のなかでひたすら肉を落としつづけ、以後の旅はただゆさぶられるまま体をゆだねてきた。今夜はじめて外へ出されはしたものの、腕はちぢまり、掌は皺ばみ、鼻が曲り、耳に毛が生え、くぐつながらに、背を丸め、息をするのがせいいっぱいで、一歩もあるけそうにない。」
飲む、打つ、買うという重層的な大人にしか書けない、官能がそこにはある。そのあたりが少し分かる程度には、大人になったかもしれない。
ワインや人生にも熟成の時間が必要なのだろう。
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半ルポ式の短編小説群。大人の推薦図書。
綴る言葉は鋭利なのだけど、輪郭のぼやけた作品で
次の短編にかかるとそれまでよんでいたものが思い出せなくなる。
ざっとして感想を述べれば、漂うように生きる開高さん楽しそう、につきる。
生き方は適当なんだけど、スコールのように唐突に感受性の雨が降り出し、
むんと湿り気を感じさせたり、足元をぬかるませる。
それを正確かつ叙情的に書けるってすごいねー。
六編それぞれの感想と解釈を。
「玉、砕ける」
本編あったので貼る。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/late/kaikotakeshi.html
玉とは、垢すりに行きこそげおとした垢を丸めた玉。
自分の皮。汚れと重みのある過去。鬱積していた疲労。
それらを香港の友人に連れられていった店で清められ、玉にして手渡される。その友人との議題は次の通り。
「それは東京では冗談か世迷言と聞かれそうだが、ここでは痛切な主題である。
白か黒か。右か左か。有か無か。あれかこれか。どちらか一つを選べ。選ばなければ殺す。(中略)
どちらも選びたくなかった場合、どういって切りぬけたらよいかという問題である。(中略)
二つの椅子があるとほのめかしてはいるけれど、はじめから一つの椅子にすわることしか期待していない気配であって(中略)こんな場合にどちらの椅子にもすわらずに、しかも少くともその場だけは相手を満足させる(中略)どんな返答をしたらいいのだろうか」
そして議題の答えに近しいものとして老舎の話が出てくる。
質問に答える事なく見事な田舎料理の話をする老舎。
しかし彼もまた批判されるのだ。
つまりこの問いの対処方を、誰も見出すことができない。
重くて鋭利で閉鎖的で黴くさい話だった。
読んでいて自分に毒がたまってしまうので少しずつ騙し騙し読んだ。
「飽満の種子」
阿片でゴロゴロフワフワするお話。
「阿片は嫉妬深い。魔力はあるけれどひめやかな性質で、雪、雷雨、北風などのほかに、満腹、酒精、牛乳、酸っぱい匂いなどに出会うと、まるで日なたにおかれた薄氷の一片みたいに消えてしまうのである。」
というように、フワフワするにも阿片は気むずかしい、と阿片のたしなみを説いている。
阿片を形容する言葉が、
「満点のそれは、比類ない、気品ある、澄明そのものの無窮であり、静謐であった」とか
「それほど淡麗な無化はかつて味わったことがなかった」とか
ことごとく死に近い、と感じた。
「貝塚をつくる」
釣狂の社長と仲良くなり、無人島に隠れた息子を尋ねる話。
無人島生活では物を徹底的に利用するのでゴミはでない。
しかし貝の殻だけは使い道がない。それが貝塚となる。
それを見て
「若い猟師の渋くて苦そうな肉からの分泌物に見えた」
と表現している。
よけいなお世話だよ、と思った。
「黄昏の力」
とにかく呑んだくれて酒浸りである。暗い浅草の穴に潜り込んで、
目の焦点のない女達と座布団の上で繋がり、
膣から硬貨をひねりだす女や膣で筆をもって書をかく女を眺め、
すれたブルーフィルムを卑下た小屋にこもって鑑賞する。
自堕落の場末、欲の掃き溜めといったかんじ。
男は品のない暗い世界でも、気をはらず楽しく過ごせて良いね。
「渚にて」
私は気ちがいですよと言った閉低患博士と、湿原だけを描き続ける画家、
そして人間が手でできる仕事ならなんでもできるという、不思議な屈強さをもつ男に出会う。しかし数年後、再会した男は叩きのめされていた。
大きな器の朴訥とした男で、器用で、力強く自然と生きていても、
人として情の面で弱いとは。人は脆いね。でもこのお話が一番好き。
「ロマネ・コンティ・一九三五年」
希少なワイン、ロマネ・コンティ・一九三五年をあける。
ワインは期待外れに死んでいた。
虚無の味を口に含んで、フランスで出会った女を思い出す。
下半身にオレンジの果汁をふりかけ、
元恋人の写真を毎日少しづつ破っていく女を。
まずい酒とともに思い出すなんて失礼じゃないかw
そしてワインが飲めないので、表現は空論のようによく滑る。
この作品たちが深くて静かな威力をもっているのは分かる。
綺麗で空虚でどろりとしていて、
きっと人の心に澱を作るんだろうなというのは分かる。
分かるけど相容れない。
きっと酒も飲めない、鈍感で気の強い女だからだろうな。
でも言葉が鋭利で美しかったので、他も読みたい。
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・普通人ー「のらりくらりしている阿片喫煙者よ、なぜそんな生活をしているのか。いっそ窓から身を投げて、死んだ方がましではないか。」
・阿片喫煙者ー「駄目、僕は浮かぶから。」
・普通人ー「いきなり君の身体は地べたへ落ちるから、大丈夫死ねるよ。」
・阿片喫煙者ー「身体のあとから、ゆっくり僕は地べたへ行くはずだ。」
これは文中引用「阿片」の一節
結局、身体的実感を伴った言葉だけが長く読み手の中に残るんだ。
こういう一節に出会うといつも思うのは
読み手の想像力なんか二の次で
圧倒的な文章はある。
なるだけ沢山の読み物に触れなきゃだなってこと。
(引用しといてなんだけど
横書きだと魅力が半減するのが悔しい)
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222p 0917
表題作含む短編6編。1973〜1978年。タイトル買いだったためこか、意外にも、短編を読み進めるのに時間がかかった。テーマが阿片や酒など多岐に渡り、哲学的な記述も多い気がした。味わうにはまだまだ未熟だったか。
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ところどころ、すごく良く、ところどころ、かなり難解w どこまでホントで、どこからがフィクションなのかな~~???
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東南アジアの湿気を含んだ暑さを感じる短編集。「飽満の種子」アヘンでの酩酊に憧れ到達することができない主人公になんともいえぬ寂しさを感じる。
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うんちくっぽい感じもしたが良かった。食慾も徹していくと精神になるとの言葉があったがその通りだと思う。全ての欲は精神から出て肉体を通るが、突き詰めて純度が上がればまた精神に行き着くだろうと思う。
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取り上げているテーマは、食、酒、阿片、釣り
など。かなり猥雑な話や描写も出てくる。
けれども、それを超える文章の美しさがある。
ザラついた表面を、上質なカンナで削ったような
感じ。
在りし日の、見るからにワイルドそうな風貌とは
反対に、美しく、繊細な文章から成る短編は、
流れるように入ってきた。
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飽くなき好奇心と求道的探究心によって彩られた六つの短編から成る短編集。小説、というよりは体裁としてはノンフィクションに近い話ではあるのだが、異国の風景や美食、釣りの描写の写実性が素晴らしく、文章が文字通り五感へと突き刺さってくる。「読む」というよりは「味わう」文章であり、ここに描かれた男の世界は痺れるぐらい格好いい。どことなく退廃的な空気もあり、特にお気に入りなのはナマズ釣りの物語から無人島で隠れて暮らし、貝塚を築く青年の物語である「貝塚を作る」が個人的には一番面白かった。釣りの水しぶきや、ねっとりとした暑さ、ドリアンの香りが行間から漂ってきそうな圧倒的な描写力は一度読んだら焼き付いて離れない。他の作品も楽しみである。
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少ないボリュームに反し、内容は濃密。
川端康成賞を受賞した『玉、砕ける』、表題作を筆頭に、上質でビターな大人の文学を摘む様に楽しめる。
彼の食と性に対する拘りと、表現の巧さは読んでいて楽しい。