紙の本
涙を流しながら読んだ古文書
2015/05/10 21:54
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投稿者:れいんぼう - この投稿者のレビュー一覧を見る
「涙を流しながら読んだ古文書」という題の磯田さんの講演会を聴いてこの本を購入した。
磯田さんが涙を流しなら読んだという古文書とはこの本に登場する仙台藩吉岡宿の危機を救った商人たちを記録した「国恩記」のことだ。
穀田屋十三郎ら9名の商人は貧困で衰退する吉岡宿を再建するために、倹約してためた私財を投じて1000両を工面、それを仙台藩に貸し付けして利子をもらい再建費用にするという事業を計画。前例主義の武士たちとの苦しい交渉を重ね、遂にこの前代未聞の財政再建事業を成功させたという話は本当に泣ける話だった。よく時代劇に登場するような強欲商人とは次元の違う、まさに無私の人たちがここにいる。
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無恥な日本人へ
2012/11/15 11:04
4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hitsun - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近、小説を敬遠している。知りたいのは事実と、その背後にある真理である。絵空事、空論に割く時間などない、と考えるようになっている。
磯田の著を読んでみてもいいかと思ったのは、『武士の家計簿』の著者であり、作品中の会話を資料にもとづいて構成した、と知ったからである。半ばノンフィクションなのである。
一巻の過半は十三郎をはじめとする仙台藩の肝煎(庄屋)達の苦闘の経緯である。しかしもっとも共感したのは中根東里である。学者なのに本も残そうとしない。姪のための書き残しが1冊あるだけで、無私という点で傑出している。日本には庄屋階級が50万人いただけでなく、在野にこのような知識階級があったことが文化的特色なのだろう。
それにしても、磯田の語り口が、ちょっと司馬遼太郎に似ていると感じるのは、私だけだろうか。知らず知らずのうちに影響されたのではなく、意図してやっているのであればそれは無私とはいえない。
ともかく、近いうちに佐野を再訪してみたいと思うようになった。これまでは買いそびれた干し羊羹を食ってみたいという野卑な動機しかなかったのだが、泥月庵跡の植野小学校を訪ねてみたいからである。司馬が敗戦を迎えた地でもある。
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「素直なる心ことばはいにしへに帰らん道の姿なり」
2017/01/04 12:08
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投稿者:読書はじめました - この投稿者のレビュー一覧を見る
「穀田屋十三郎」「中根東里」「太田垣蓮月」が起こした奇跡と生き様が書かれた3話。
「太田垣蓮月」さんの生き様に感動した。
注意:下記に少し詳しく書いてしまいましたので未読の人は読まないでください。
絶世の美女で文武両道(和歌・舞・薙刀・鎖鎌・忍者のように竹竿を使って城の塀を飛び越えたり)と誰もが羨む才能に溢れた人。
普通ならば失敗しても容姿を利用して良い処に嫁げばと思ってしまうが、
この人はそれまでの不幸な人生を繰り返そうとせず、自身の信念から尼となり、
唯一不得手な埴(はに)細工を生業にして、人に良いように利用されても、
人々のために20年間もコツコツと貯めたお金(生まれ故郷に橋を架けようと貯めたお金)など惜しげもなく飢饉で苦しむ人々に寄付したり、
揚句自分が死んだ時にと作っていた棺桶まで人にあげたりと、本当に無私の人だった。
蓮月の弔いで「これはいくつめの棺桶やろな」と村人が呟いた時には、涙がこぼれそうになった。
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素晴らしい私たちの御先祖
2016/03/12 14:29
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投稿者:暴れ熊 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私たちの国にはこんなに素晴らしい御先祖がいらっしゃった。名も無き民に至るまで、凛とした人たちであった。江戸期の農民や町人の素晴らしさを知った。このような人たちの物語を知ることが出来たことに感謝。ただ、文章に関して言えば、読点の打ち方がどうもおかしい所が散見され、違和感を覚えたので☆4点。意図的にそうしているのならともかく、その点が残念ではあった。
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磯田さんはあの『武士の家計簿』の著者であり、幕藩体制という視点とその中で生きた武士のからみを書いたが、今回は江戸に生きた、無私の日本人、正確に言えば一つの村と二人の人物を掘りおこした。どれも心が洗われる話である。一つ目の村は仙台藩吉岡宿の人たちで、かれらはお殿様にお金を差し上げるという名目で賦役を免除してもらい、利子を得て宿場が消滅するのを防いだ。磯田さんは、こうした義を貫き通す人々の性格を一人一人生き生きと描くだけでなく、かれらの運動を通し、江戸時代における身分制度、官僚制度の不条理さを解き明かす。ぼくにはここが面白い。しかも、かれらは事が成就したのちも後々まで手柄を誇ることがなかったという。二人目は、小さいころから学問好きで、唐音(中国語)で中国の古典も読め、享保年間には詩文の才でよく知られていた中根東里という人である。かれは荻生徂徠にまで可愛がられたが、徂徠から離れようとしたことで弟子たちから攻撃を受ける。その時、東里は世に認めてもらおうと思った自分を恥じ、自分の詩文をことごとく燃やしてしまうのである。のち東里は、草鞋作りで糊口をしのぐ。そんな貧窮にあっても、困った人がいれば自分の書物を売って金をあたえたりした。そして、読書をつづけ、最後は王陽明の哲学にたどりつく。東里との対照で、徂徠が俗物として描かれているのが面白い。最後は大田垣蓮月という藤堂家のお殿様と京の芸子の落とし胤(たね)の女性の物語。彼女は美しく、男勝りの剛毅さをもっていたが、それが逆に平凡な人生を送るのを妨げた。実際、彼女は、夫運も子供運も悪く、一人残され、最後は尼になりながら養父の世話をする。蓮月は最初和歌の指導で糊口をしのごうとしたが、その美貌が邪魔になると悟ると自ら歯を抜いて老女のようになってしまう。また、のちに陶器づくりを始めるが、それは当時の美人の条件であった指を汚くするためでもあった。なんと壮絶な生き方か。彼女のつくる陶器は歌を彫り込んであったので評判を呼び、暮らしは豊かになる。しかし、困った人がいれば自分の財をあげてしまい、最後まで貧乏なままで暮らす。蓮月は幕末の動乱にも遭遇するが、その中で攘夷を無意味なものとし、幕府と官軍の戦いで多くの人が死んでいくことにも異義を唱えた。それは江戸の無血開城にもつながるという。三つの話は、江戸に生きた無名の人々の中に、日本人が世界に誇る大事なものがあるのだと訴える。
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「殿、利息でござる!」の映画を見て、本も読んでみた。穀田屋十三郎は映画で知っていたが、中根東里と大田垣蓮月の話しもたいそう興味深かった。特に中根東里には琴線にふれるものがあり、最近は滅多に本を購入しないが、これは手元に置きたい本だと思う。
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穀田屋十三郎の章は読み物として面白い。筆者の想いの込め方も穏やかで、バランスがよかった。
一方で、あとの2章は筆者の語り書きの様相が強く、且つ、説教じみており、せっかくの題材の良さを活かしきれていない。
全体として、現代において光のあたらない江戸期の偉人に注目し、世に著した点は評価できる。
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ごく普通の江戸人であった「穀田屋十三郎」とその同志、更に「中根東里」「大田垣蓮月」ら三人の生き方に、ひとの幸せとは何かを問う一冊。
読むまでは一切知ることもなかった、その名前。
泉下に苔むした三人の清冽な生涯が、読後もずっと心を捉えて離さない。
ひとり目の穀田屋十三郎については「殿、利息でござる!」の場面をあれこれ思い出しながらの読書となった。映画で熟知しているはずの展開でも、著者の持つ文章力に惹きつけられ、しばしば涙で先が読めないほど。
話の途中で差し挟まれる当時の江戸についての様々な知識も興味深い。
後書きによれば、この本の成り立ちは少し変わっていて、東北の仙台近くの「吉岡」というところに住む老人からの手紙で始まったという。
貧しさのあまり今にも滅びそうな吉岡を、命がけで救った九人の先人たちがいたというのだ。
どうかこの話を本にして、後世に伝えて欲しいという老人の願いに突き動かされ、著者がいつものごとく史料を集め出し、とうとう「国恩記」という古文書で出会っていたく感動。
そして九人の話を書きだしたらしい。
貧しい町を救うと言っても、現代とは政治の仕組みもまるで違う。
お上の許しなく、三人以上が秘かに集まってご政道について語れば、それは「徒党」となり謀反同然の行為とみなされる。
秘密裏に、ひたすら真摯に語り、訴え、まるで将棋倒しのように同志の輪が広がっていく様は感動そのもの。
驚くことには今もなお、穀田屋十三郎のご子孫の皆さんは「先祖が偉いことをしたなどと言うてはならぬ」という教えを固く守り、謙虚に勤勉に暮らし続けているという。
本当に大きな人間とは、世間的に偉くならずともお金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかな方に変える浄化の力を宿らせた人である。
学びの道に生きた「中根東里」と、周囲を慈愛の心で包み込んだ「大田垣連月」とも、妬ましいほど幸せにみえるのは、私ひとりではないだろう。
他人よりも自分、「自分大好き」などという言葉が恥ずかしげもなく使われる現代。本来なら口に出していうのも憚られるものだ。
だから勉強して理性を磨き、自分も他人も同じく大切に思えるようにする。
しかしここに登場する三人は、自分よりも他者を思い、今よりは未来を思い、そのために生涯さえも捧げた。
江戸人が普通にもっていた[廉恥]を、どうにかして自身の内にもたぎらせたいのだが、私はその方法さえ知らない。。。この本を傍らに置き、繰り返し読むことにしよう。
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清冽で一本芯の通った生き方は、物質文明に汚れ、ブルジョアイデオロギーに犯された現代人とくらべると、強烈なインパクトがある。物やお金に対するしがらみをなくせば本来の生き方方向性がみえてくるはずなのだが・・・
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歴史学者の書いた本なのに、歴史小説としてきちんと読める。
公益の心とはなにか、日本人がかつて持っていた(?)ものはなにか、自分だけがよければそれでいいのか。
日本教、先祖そして子孫という長い時間の流れのなかの一地点として自分をとらえるという視点の重要さ。
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「穀田屋十三郎」「中根東里」「大田垣蓮月」3篇のうち、「大田垣蓮月」のみ読了。
ひらがなが多いやわらかい文章で、本文の上品なフォントがよく合っている。
最初の夫・直市との結婚生活のくだりは、自分が同じ立場なら、蓮月とまったく同じように考え同じ決断をしたと共感できるところ。自分が我慢をすることで万事収めようとしたり、放蕩夫でもその孤独さを思いやって見放せなかったり…。
蓮月は心の強い女性だが、その強さを「我慢する」方向から「人に与える」方向へ振り向けたことで、後半生は満たされたものになったように見える。
なぜ、与えられるようになったか?
蓮月は前半生で、夫も子も養父も一人残らず失う。得たものに執着しても、更なる悲しみしか招かないと考えたことだろう。それは不幸な考え方に違いないが、「失うものが何もない」状況まで落ちたからこそ、人に与えられるようになったのではないか。
蓮月の「無私」の根底にあるものは不幸な境遇だと思うので、「よし、私も蓮月を目指そう!」とは思わないし、今は思う必要もないと思う。
しかし、このような人生を生きて、最後には満たされた人がいたと、知ることができてよかった。
1点気になるのは、史実と創作がごちゃまぜに記されている点。再現ドラマを見ているようで感情移入はしやすいが、「どこまでが真実なのか?」という疑念がつきまとう。研究者の書く文章には、どうしても史実どおりの正確さを求めたくなるのだ。
とは言え、世間一般の偉人でなく、清浄な生き方を貫いた一庶民にスポットライトをあててくれたことがうれしい。古文書の中には、光を当てれば現代の標となる人間がまだまだいるだろう。人文科学軽視の悪しき風潮に押されず、研究を続けていただきたいです。
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こんなに偉い人々がいたことに驚き
誤った市場至上主義の◯◯先生とか,業腹な△△代議士とかに読んでほしい本。
2013/01/19図書館から借用;放っておいたのだが,返却期限が近づいてきたので,01/29の朝の通勤電車から読み始め;02/03の朝に読了
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電車の中で読んでいて、思わず何度か落涙しそうになりました。
こんなにも素晴らしい日本人が過去に存在したことを教えてくれる本。
真似はなかなかできないだろうけど、ちょっと元気のないときに頑張ろうと勇気づけてくれる本だと思います。
手元に置いて、子供に読んでもらいたいです。
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映画「殿、利息でござる!」を観て、知った本。
読んでいて胸が熱くなる。
素直に正直に生きたいと思った。
史実と物語が私にとってバランスよく、小説のように楽しく読むことができた。
穀田屋十三郎
中根東理
太田垣蓮月
自分より他人を大切にして生きる
無私の日本人
そこまでしなくても…というほど欲がなく、悲惨な生い立ちや境遇を抱えていても、人として擦れない。(硬い玉のように、苦労すればするほど、心が磨かれて美しくなる)
このような人たちがいた、ということに心が動く。
人はどんな場所でも時代でも
心根ひとつでどんな風にも生きられるのだ…と
勇気付けられた。
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学者の書いた本なのに、かなり情緒の深い歴史小説になっている。
ただ、司馬遼太郎以上に事実に基づいて逸脱していない。
「とんでもなくいいひと」を書いた本なのだけど、
心の汚い私には、ついつい
「非道な殿さま」ばかり目についてしまった。
それでもなお、無私になる人がいるということが、
私欲にまみれた私に、脅迫であり解き放たれる気持ちにもなる。
学校時代、歴史とは欲であると教えてくれた社会の先生がいた。
あれ以来、興味を持てなかった歴史を、
安心して見られる気持ちになった。
そして、歴史学者の著者も、無私の日本人となる決意を感じる。
私にはできない、そうなりたい、いやできない、そうなれればいいな・・・