もっと学ばなければならないのは、そうなる前のこと
2018/05/31 19:48
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投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
アニメ版『火垂るの墓』の監督、高畑勲が書いた『君が戦争を欲しないならば』を読みました。
監督は『火垂るの墓』について「これは反戦映画ではない」と言っています。
彼は、戦争がもたらした惨禍と悲劇の体験をいくら語ってみても、将来の戦争を防ぐためには大して役に立たない、と言います。
「もっと学ばなければならないのは、そうなる前のこと、どうして戦争を始めてしまったのか、であり、どうしたら始めないで済むのか、そしていったん始まってしまったあと、為政者は、国民は、いったいどう振る舞ったのか、なのではないでしょうか。」
という言葉はしっかり心に刻むべき言葉です。
タイトルそのもの問いかける本
2016/01/19 21:32
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投稿者:黒猫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
小学四年生の時、姉と焼夷弾の中を逃げ惑った九死に一生の記憶と、その後のGHQによって民主主義が指示され教師も生徒も判らぬままに手探りで対応していった様子や、日本国憲法が出来た当時の庶民の受け取り方など、講演の文章を書き起こした本書の為か、すんなりその時代の様子を知りました。ただ昔も今も恐ろしいくらい変わっていない「空気を読む」日本人の在り方を彼は警鐘する。一例として、「君死に給うことなかれ」を詠った与謝野晶子が戦争が始まったら手の平を返したような詩を出すなど、どんなに嫌でもある方向に動いてしまったら一丸となって突き進み成功を目指すだけの様相や、決して上の者は責任をとらない所は、日本の一般社会の中でも似たようなことが日常目にしたことがあるのでは?詩の影響力によって軍国少年少女となっていって死んでも、作った詩の作者が責任を問われることもない様子も、今のマスコミの様子との違いは?現在も何ら日本人は変わっていない本性を、まず一人一人自覚することが大事で、そのうえで違って当たり前で良い、江戸時代のように個性が尊重される社会を痛切に望みたいと、本書を読んで思った。シンプルだけに読みやすく、学校の授業などで議論として取り入れるのに最適な本だと思う。
今また読み返したい
2024/03/31 10:50
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投稿者:ほんねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分は戦争に対してどうあるべきか、今また読み返したい本です。
日本が戦争をしていた時代に生きていた人が書いたものの中でも、特にずしんときた文章でした。
お世話になりました。
2019/07/22 21:42
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投稿者:玉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
高畑さんの作品、言動、
それらが、胸にせまってきました。
若い人たちに、
火垂るの墓をすすめるときも、
そして、本書、
高畑さんの重い体験が、
まるで、
その場で聞いているような気持ちにさせられました。
たくさんお世話になりました。
想いを、これからも、引き継いでいきますよ。
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投稿者:kyobei - この投稿者のレビュー一覧を見る
高畑勲さんが、2015年6月29日、79歳時に岡山市戦没者追悼式の平和講演会で語られた講演録に大幅に加筆され収録されたブックレット。
高畑さんがこれまで誰にも詳しく語ったことのない、9歳時に経験した岡山空襲の恐ろしさと九死に一生を得た奇跡が「語ってこなかった戦争体験」として記され、「民主主義教育一期生としての戦後体験」、「戦争を欲しないならば、何をなすべきか」の2篇が続く。空襲体験、新憲法として日本国憲法を示された経験を持つ人だからこそ語ることができる内容。
最後から2番目の小見出し「『平和を繕う』ために」の段落に記された、ジャック・プレベールの呼びかけを無視することはしたくない。
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「平和を繕う」、今大切なことだと思う。
最後のページの「言っておきたいこと」のまとめに主張は全て集約されているが、共感するところしきり。
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2015年6月29日岡山市民会館で開催された、岡山市主催による岡山市戦没者追悼式・平和講演会での講演記録を大幅に加筆、収録。ということで、とても読みやすい。同調気質の恐ろしさに一人でも多く気づいてほしい。
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「ずるずる体質」「責任を取らない体質」の絶対的な歯止めが、憲法九条。体質を変えるか、憲法を守るか。どちらが簡単だろう?
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【追悼 高畑勲監督】
戦争体験を語られなかったとのことだが、こうしてブックレットという形になって残り、読むことができることに感謝したい。淡々と語られる空襲体験(再会が感動なんて嘘、ハグしない、の指摘はごもっとも。世の中そんなにドラマチックではない)、戦後民主主義第1期生として手探りだった様子が、声高ではないのにリアルに感じられる。日本人は「ずるずる体質」との指摘には、日本だけではないのではと思う。WWII前のドイツもずるずるとナチに引っ張られた。英国では「The Independent」紙がイラク戦争前に開戦反対の論陣を張っていたのにいざ開戦すると「始まったからには…」の論調に変わった(ただし「The Guardian」紙は開戦後も反対のままだった)。とはいえこの講演会が行われた2015年に議論されていたことや当時の雰囲気を(そういえばこんなだった)とハッと思い、忘れかけていた自分の情けなさに気づいたこと、氏が指摘する「倚りかかる」恐ろしさは心に刻んでおかねばと思う。引用されたプレヴェールの言葉とともに。
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【由来】
・図書館の岩波アラート
【期待したもの】
・高畑勲、というのが最初の理由。ブックレットなら読みやすそうだし、amazonでの評価も高かった。
【要約】
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【ノート】
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【目次】
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私は、サッカーやフィギュアスケート、テニスをテレビで観るのが好きだ。サッカなどチームプレーは、選手は日本代表で日の丸背負っているのだろうと思う。観客が大きな日の丸を掲げるのも理解出来る。でも、フィギュアスケートやテニスの個人競技の時にも大きな日の丸を掲げるのは、違和感を覚える。昔はあんなにしていなかったと思うが。
こんな気持ちを持っている人は、他にも多いのかもしれないと、本書を読んで感じた。
自分の国を誇りに思う事は大事だ。でも、自分の国だけ良ければという考え方は、時に悪い方向に政治を向かわせる。
一度、戦争を始めてしまったら、戦争に反対していた人たちも、家族を失わないように勝つ方向に進んでいく、という高畑の考えに、目から鱗、共感を覚えた。
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高畑勲さんは冒頭からこう言う。「火垂るの墓は反戦映画ではありません。」
さらに高畑さんは、国民学校(今の小学校)4年の6月29日に岡山市内で受けた空襲体験をもとにこうも言う。「戦争末期の負け戦の果てに、自分たちが受けた悲惨な体験を語っても、これから突入していくかもしれない戦争を防止することにはならないだろう。」
でも高畑さんは一貫した憲法9条改正反対、戦争反対論者だ。
一見、さっきあげた引用の内容と矛盾するとも思われるけど、通読して改めて高畑さんの思いについて深く考えてみると、次のような、ちょっとビックリする考えに突き当たった。
――高畑さんは、実はこう言いたかったのではないだろうか?『14歳の清太と4歳の節子を死に至らしめた直接の原因は、アメリカ人じゃなくて日本人にあるのだ』と。
たしかに戦争の相手国はアメリカで、空襲したのもアメリカ。
でも冷静に考えてみればわかる。アメリカと戦争するように「理性を失って」「突っ走った」のは他ならない日本人である。
この本を読めば、火垂るの墓に出てくる意地悪い親戚のおばさんや、仕方なく野菜を盗んだ清太を殴る大人を持ち出すまでもなく、幼い兄妹を追いつめたのは、当時の日本全体の世相であり、そういう「全員一致」の方向に(無意識であっても)突き進んだ日本人全員にあると直視せざるを得なくなる。
もう一方で高畑さんは、「全員一致」の暗雲が別に戦時中の話だけではなく、戦後70年を経てまだ日本や日本人を覆い続けているのではと表明する。その証拠として、表現者として、火垂るの墓の評価が1つのところに“落ち着いている”ことに一種の警戒感を持っているようだ。
さらに高畑さんは、戦中の「撃ちてし止(や)まむ」「進め一億火の玉だ」というフレーズに、戦後民主主義教育を受けた日本人にとって誰もが違和感を持つのだというのは今更否定できないはずなのに、オリンピックやワールドカップなどの際に、それらと似ているとしか思えないフレーズを平気で日本人の誰もが口にすることに素直な目で疑問を持っている。
いや、そのこと自体に疑問を持つというよりもむしろ、その雰囲気からはみ出る考えや意見を、日本人全体で封じ込めたり消そうとする傾向が今も厳然と残っていることに大きな疑問を持っているという方がより近いのかもしれない。
1つの国の国民が一つの方向に全体的に進む、というのは日本に限った話でもないのは私もわかっている。しかしそういう雰囲気になった時に、そこからはみ出る弱い立場の者(まさに節子など)や異なる考えを持つ者を、有無を言わさず隅に押しやる傾向が特に日本人は強いというのを、高畑さんと同様に、もうそろそろ日本人は自覚すべきではないだろうか。
高畑さんはそれを日本人の「体質」と表現している。体質は容易には変えられないので、高畑さんは日本人が戦争をしない状態を今は保ち続けているものの、ちゃんと考えていかないと、いつか戦争やむなしという雰囲気が大勢となる日が再び来てしまうのでは、と予言している。(そしてそれを防ぐ唯一の方法が憲法9条を改正させないことと高畑さんは言及している。)
良いところだけでなく悪いところも同じように描き込むことで事象の真実に迫るいう高畑流のリアリズムは、火垂るの墓でもいい面で出ていたと私は思うけど、この本での戦争や日本人に対する考え方にもそのリアリズムが顕著に表れているように感じて、好感をもった。
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火垂るの墓は反戦映画ではないと高畑は言う。
日本人の同町体質。憲法9条がなければ日本人はずるずる体質で戦争に突き進む民族であることを喝破している。空気を読む体質、反対勢力を排除する体質。高畑は読み取っている。
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倚りかかってしまう。
これは自分も含め、自分の周りでここ最近感じるていることを言っているのかもしれないと思った。
自分の意見を持たずに流されてしまう、持っていても空気を読んでしまう。流されてしまう。空気を読む、合わせる。それは状況によってはとても危険な方向に向かうことにつながってしまうのだなとおもった。それが戦争に向かわせたという高畑さんの意見はとても的を得ているのではないかなと思う。
いちいち一人一人が無視してしまうことに考えを持つっていうことはやっぱり大事なことなんじゃないかと痛感した。一度危険な方向に傾いた時に、自分を頼りにできるように学んでいく必要がある。また学ぶ理由が見つかった。
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「君が戦争を欲しないならば、繕え、平和を」
理想なくして対処はできない、それを忘れた政治家は第一にも第二にも利権のために国民を扇動しているだけで、それを政治と呼んでいる現状が悲しい