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紙の本
蘇我氏 古代豪族の興亡 (中公新書)
著者 倉本 一宏 (著)
稲目を始祖とした馬子、蝦夷、入鹿の4代はいかに頭角を現したのか。倉麻呂系は激変の時代をどう生き延びたのか。6世紀初頭の成立から権力の掌握、大化の改新、平安末期まで、蘇我氏...
蘇我氏 古代豪族の興亡 (中公新書)
蘇我氏-古代豪族の興亡
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商品説明
稲目を始祖とした馬子、蝦夷、入鹿の4代はいかに頭角を現したのか。倉麻呂系は激変の時代をどう生き延びたのか。6世紀初頭の成立から権力の掌握、大化の改新、平安末期まで、蘇我氏の栄光と没落を描く。【「TRC MARC」の商品解説】
蝦夷・入鹿父子は乙已の変で倒れたが、蘇我氏が滅びたわけではない。その成立から大化改新を経て平安末期にいたる六〇〇年の興亡史【本の内容】
著者紹介
倉本 一宏
- 略歴
- 〈倉本一宏〉1958年三重県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程単位修得退学。博士(文学、東京大学)。国際日本文化研究センター教授。著書に「藤原道長の日常生活」など。
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紙の本
大化の改新だけが古代国家への道ではなかったはずだ
2016/02/11 00:50
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:土方艦長 - この投稿者のレビュー一覧を見る
蘇我氏の本。常連が居て延々読み比べている分野である。筆者は「壬申の乱」以来の古代前期への参戦。『日本書紀』作成者たちによる現体制肯定の立場からすれば、潰すべき相手のおこなった治世は問題の多い時代として否定的に記述される。そのまま受けていては彼らの思う壷だろう、それが趣旨。細かい論証はともかくとして、否定されるべき前代の政治・行政機構を原始的なものとして描いている可能性は確かに高い。体制の変革(クーデター)がなくとも、この国は何となく進化していたのではないだろうか?大化の改新も何らかの偶発に依拠していることだってある。世の中は段階的発展的に「良くなっている」わけではなく、不連続な選択の結果にすぎないことを、再認識すべきである。
紙の本
面白い
2016/01/25 18:23
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ともクン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ほぼ同時期に岩波新書でも同じような書籍が出ましたが、どちらかというと本書=中公新書版の方が面白いし、とっつきやすいと思います。学問的にどっちの方が優れているのか素人の私には全く判断できませんが、物語としての出来としてはこっちの方が上だと、私には思えました。蘇我氏は古代史の題材として面白く、邪馬台国同様に、これまでも新書等で幾たびも取り上げられています。今後も切磋琢磨していただき、古代史がビビッドに語られ、古代の歴史が少しでも明らかになることを望みます。
紙の本
歴史は勝者によって作られる
2017/03/05 12:40
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:素敵な楽園 - この投稿者のレビュー一覧を見る
大化の改新で蘇我氏は中大兄皇子と中臣鎌足によって滅ぼされたと言われている。 権力を握っていた蘇我氏が悪事を行っていたので退治したかのように教えられてきた。それはどうも違うように感じた。これは権力闘争によるクーデターなのだ。 蘇我氏は滅びたと言われたが、この事件で実は蘇我氏の血筋は滅んでいない。 蘇我蝦夷と入鹿の蘇我氏宗家のみが滅んだのであって、他の血縁はその後も重要な地位を暫く維持していたことを説明している。 蘇我一族は倭国が古代国家へ歩む時代の重要な役割を担っていた。 歴史的に彼らにもっと光を与えるべきではないのか。 いずれ大河ドラマで蘇我一族が生きた時代をテーマに放送したら、蘇我一族が活躍した橿原市・大和高田市・葛城市をはじめとする飛鳥時代のエリアが脚光を浴びて、一大ブームが起こるのではないかと思いました。
電子書籍
蘇我氏の歴史
2020/05/16 12:55
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
藤原氏が天皇の皇后を出すような高貴な氏族になれたのは不比等が蘇我氏の嫁をもらって蘇我氏の高貴性を藤原氏に取り込んだからだという指摘は眼から鱗だった
紙の本
改めて蘇我氏の逞しさとその功績を巧みに利用した反蘇我氏(藤原氏)の強かさを知りました
2019/02/17 23:04
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:多摩のおじさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
今から20年以上も前に先日亡くなられた梅原 猛氏の「隠された十字架 法隆寺論で今までとは異なった古代史論や想像力溢れる
自由闊達な関 裕二氏の持論に出雲をはじめとする古代史~特に藤原氏と蘇我氏に興味を持ち続けていますが、以前に著者の
「藤原道長の日常生活」を読み、平安時代や藤原氏が専門とばかりと思っていたところ、本書のように古代への研究もされていると
知り、早速手にとってみました。
まず、「はじめに」や「おわりに」にある蘇我氏が、乙己の変や壬申の乱後も「大臣(オオマヘツキミ)」の家として、揺らぐことなく維持し、
壬申の乱後は蘇我氏から石川氏として、また平安時代も「宗岳(ソガ)氏」として生き延びていった事実には驚かせられました。
蘇我馬子による臣(マヘツキミ)会議の構成員の同族の官人による組織化が、特に河内を本拠とする氏族(石川)による本宗家とは
独立した動き~推古死去後の大王選定、山背大兄王討滅、乙己の変~へと表面化すると指摘し、以降、蘇我系と非蘇我系の両面
からアプローチしており、判りやすい展開でした。
特に首肯された内容は、以下のとおりです。
・626年推古天皇が亡くなる前日に田村王と山背大兄王に伝えた田村王を大王(舒明天皇)とする遺詔が持つ舒明天皇の危険性
~非蘇我系である舒明天皇には蘇我系と非蘇我系の妃に生まれた古人大兄王と葛城王(天智天皇)の存在、田村を推すとみら
れた蝦夷の叔父・境部摩理勢の討滅~の指摘(p.101~103)
・乙己の変での本宗家から石川麻呂の蘇我倉氏への「大臣(オオマヘツキミ)」としての地位の維持と天智天皇をはじめとした非蘇我
系王族が蘇我系の后妃を入れ(p.143~146)、壬申の乱後の天武天皇と蘇我氏の妃との婚姻の多さ(p.175~179)での
「大化前代における唯一の大臣(オオマヘツキミ)家であったという尊貴性が、いまだ根強く残存」、さらには「不比等が連子の娘・
娼子を迎え、武智麻呂、房前、宇合を産んでいる」や、石川麻呂の3人の娘(姪娘、遠智娘、乳娘)が天智天皇や孝徳天皇の
妃となり、天智天皇と遠智娘との間に生まれた持統天皇や大田王女は天武天皇とも結ばれた系図(p.177、187)や、連子の嫡子
で壬申の乱で天武天皇を救う「功績」の安麻呂による石川氏としての蘇我氏の再生(p.174~175)の事実に驚かされました。
また、「武智麻呂と房前、宇合が蘇我氏の血を濃く持っていたということは、八世紀の藤原氏と天皇家とは、蘇我氏を通してもミウチ関係
にあったこと・・・あたかも天智・天武兄弟と、蘇我氏と、藤原不比等の三者の血によって構成されていたかの観」(p.255)は
本書の最大の結論でしょう。
そのような中で、p.25の「大臣(オオマヘツキミ)」という職位」で、「マヘツキミの代表であると共にマヘツキミのによる合議体を主宰し、倭
王権を代表して外交の責任者となった。」とありますが、乙己の変の一要因と考えられている外交に対しては、第三章の「東アジア国際
情勢と入鹿」があるものの蘇我氏と敵対した反蘇我系である天智天皇の対朝鮮半島に対する外交策の違いへの言及がなかったのは
少し残念でしたが・・・
巻末の略年表や、冒頭の系図や各章にある地図や蘇我氏の血の濃さを示した系図は蘇我氏の変遷の理解を深めるにあたり俯瞰でき、
大変助かりました。ただ、理解を深めるために、目次にも小見出しの表記や索引があると更に良かったですね・・・
紙の本
蘇我氏600年の大河小説
2018/05/05 22:03
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:pinpoko - この投稿者のレビュー一覧を見る
古代史では避けて通れないはずの「蘇我氏」だが、この著書を読むまで近江朝が滅亡して蘇我赤兄が流罪となってからの蘇我氏については全く知らなかった。
なるほどあれだけの権力を誇った一族が、一人もいなくなるということはありえないはず。天武・持統朝から奈良朝へとしっかり生き残っていた。ただやはり律令制の時代にあってはその官位は徐々に低迷していく。五位以上の官人なら史書にのるのだが、それ以下になると姿を消すため歴史から抹殺されたように見えるだけだったようだ。
平安朝になると、史書ではなく貴族の個人日記に登場するというのが面白い。新聞の一面で扱われていた人物が、公職から退きやがてネットのゴシップ記事に再登場するようなものか。