何もなかった場所に立ちかえること
2020/07/28 15:19
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投稿者:魚太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
これはまさに「入門書」であり、この書を読む人のほとんどだれもが、自分は憲法9条について入門すらしていなかったと自覚するだろう。現憲法成立過程の紆余曲折が、克明に記されている。戦後日本の政権がアメリカに追従することを基本としており、日本の政治を支配する階層の人々が、アメリカに従属するという態度に徹することで、日本社会における自らの地位を維持し続けているという現在までの現象の原因を、その始まりから解き明かすことにもなっている。カギを握っていたのはマッカーサー、昭和天皇、ダレスという人たちであり、政治家をはじめ敗戦後の日本の独立を確保しようとした他の日本人の影は、結果的に薄い。平和条約締結時の日本の交渉は失態に終わり、現在に至る。ひとまずのあとがきに著者は、「八月十五日の「廃墟」という、”何もなかった場所”にまで立ちかえり、「新しい日本の建設」について考えようとした試みだった」と述べている。そこに戻らない限り、混乱は続く。
憲法9条を巡る戦後から日米安保条約締結までの歴史
2020/09/05 13:56
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本の中には、憲法9条を巡る戦後から日米安保条約締結までの歴史が描かれている。その前段としての、戦中の思想界の出来事もまず描かれている。大変興味深いものがあった。ただ、この人の書くものには、全面的には同意できないなにかがある。同意というより感覚的に相容れないようなものかもしれない。物事を少し後ろからシニカルに見ている傍観者的なもののような気がする。はっきりとどこがということもないのだが、何か引っかかりを感じる。
本人の手によらない文章が多い筈
2019/08/05 22:00
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投稿者:坪井野球 - この投稿者のレビュー一覧を見る
次の一文が、加藤典洋本人の”文章”なのか、非常に疑わしい。
「[歴史を一旦非専門家の目で振り返ると]その結果、無限の混乱が整理され、多くの謎が解けます。」
敗戦後論の主旨→平和憲法の選びなおし。+法の感覚の取り戻し。
この本の主旨→平和憲法の経緯、基盤はあやしい。
高得点のレビューをつけているなかに、今までの読者はいないだろう。
とてつもない違和感を抱くはずだから。
見出しのセンスは、従来の著者には全くなかったもので、とても驚く。
たとえば、9条云々と、マッカーサーのスキャンダルは全く関係ないだろう。
むしろ、この本自体がスキャンダラスと考える。
帯の売り文句に”この一冊で、すべての憲法議論は終わる”とあるが、
読めば判るように、とりあえずのあとがきが最後に置かれている。
これが決定版とは、本文には書いていないし、その論調もない。
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加藤氏の遺著となってしまった。次があったはずなのに。この問題提起はきっと大きな論争となる(ならねばならない)が、それを受けて立つはずの加藤さんはもう何も返してこない。
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憲法9条は1条とともに、昭和天皇を護るために作られたものでした
占領が終わった後、憲法9条は、日米安保とセットで存在することになった
日本の占領をめぐっては、連合国内で激しい主導権争うがあった マッカーサーとアメリカ本国との対立
高い能力と、過大な自負心、そしてバランスを欠いた人格 マッカーサーは若い日、偏りと弱さを抱えるマザコン青年でもありました。 軍司令官としての能力に疑問符 並外れた自己宣伝能力 大統領候補
マッカーサーは日本や連合国に対してhあ、ポツダム宣言虫の無条件降伏政策を押し付け、一方、アメリカ本国に対しては、ポツダム宣言遵守を理由に指示に逆らって、連合国からも本国からも独立した、独自の政治的立場を築こうとした
1948年暮れアメリカ大統領選にむけた地方での予備選の段階でマッカーサーが大敗
平和条約と安保条約締結のための特使ジョン・フォスター・ダレス特使が送り込まれる
ケナンとダレスの出現により占領政策は大きく転換
マッカーサーとケナン、ダレスの関係は映画地獄の黙示録のよう 独立王国を築いて本国の命令を聞こうとしない元グリーンベレー隊長のカーツ大佐
再軍備親米単独講和と非武装永世中立全面講和という2つの主張
9条は国連の集団保証体制、つまり国連軍を前提に書かれたものだった
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9条成文化の歴史的経緯を中心に検証されているが、それが集団的自衛権や、沖縄の米軍基地の問題とどのように関わっているのかということについても、まるでもつれた糸を解きほぐすかのように精密な考察がなされている。
自国の憲法なのに、それがどのように成立したかということについて、自分があまりにも無知であったということを思い知らされた。
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改憲すべきなのか護憲すべきなのか、自分なりの意見を持ちたくて本書を手に取った。
本書では、日本国憲法ができてから日本の占領が終わるまでの過程が綿密に書かれている。今まではただ漠然と「アメリカが作った憲法」ということしか知らなかったが、アメリカと言ってもマッカーサーとアメリカ本国のすれ違いであったり、マッカーサーと連合国軍・極東委員会の対立であったり、GHQがたった2週間ほどの期間で憲法草案を作成した事実であったり、知らないことの連続だった。そして何より、自分も含め多くの日本国民が自国の憲法の成立過程すら知らないという事実に驚いた。
正直本書を読みきった今でも、自分の中で改憲か護憲かの考えはまとまっていないし、本書の内容もあまり理解できていない気がする。なぜ日本が明治維新で欧化を進めたにも関わらず天皇主権は維持され、自らの力で完全に民主主義化することができず、結果軍部の独裁状態になってしまったのか。8月15日の終戦で何もかも失った日本国民は、「平和主義」という考えがまだないときに、どのような日本になることを望んだのか。過去を見つめ直し、反省しなければ、明るい未来は無いだろう。
勉強不足を実感した一冊だった。いろんな本を読んでから再度読みたいと思う。
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天皇制に宿るイデオロギーは、隷属とは異なる現人神への信奉に根付いており、敗戦という局面において存亡の危機に追いやられる。誰もが疑念に思わぬよう施された新憲法は日米の思惑が合致した経緯がある。どこまでも翻弄される "国民の象徴" は日本人の責任の捉え方を歪曲していく現代へとつながっているのではないか。とにかく偉い人は責任を取ろうとしない、責任を取らなくてもいい "象徴" だと自称する稚拙な大人である。さらに政治を考えなくなった民も "力には力を" と武力行使を是認するようであれば、軍事裁判を免れた(昭和)天皇は嘆くであろう。この先、時の権力者は責任を取らないよ、まんまと逃げちゃうからね。彼らは尊い犠牲を軽視するだけでなく天皇同様免罪されると信じ込んでる。だから私は "戦争の放棄" を堅持する。
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まだ読んでいる途中だが、ついチカラが入ってしまうテーマですが、“目くじら立てて議論する”ことは避けよう、余裕を持って、誰しもの問題となるものは、誰しもが参加できる姿勢で臨もう、という考え方に同感しました。
その考え方を頂けたことを、まず大事にしたいです。感謝
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憲法9条というものがなぜこれ程不思議な法なのか、を解説する書。
ポツダム宣言受諾(終戦)から、日本国憲法成立までの細かな歴史分析で説明する。焦点はダグラス・マッカーサー。彼個人の性格と当時の状況が9条(日本国憲法)を作ったとする。
マッカーサーは当時、次期アメリカ大統領に成るべく行動していた。この中で最大の実績として「太平洋戦争を終わらせ、さらに最高に邪悪な敵国を国連憲章に合致する史上初の平和主義国に生まれ変わらせた」を作りたかった。
これを実現するにあたり、日本側の実情も味方した。「昭和天皇の助命」を至上命題とする日本政府の目標と、実績実現のために天皇制が利用できると見たGHQの利害とが一致した。
しかしその後マッカーサーの次期大統領の可能性がなくなり、「死に体」となったマッカーサーはアメリカ本国から冷遇される。
敗戦の慚愧の念で苦しむのに、GHQから「絶対必要」と利用され続け、退位も出来ない昭和天皇。彼はそもそもマッカーサーの平和主義や憲法9条を全く信頼していなかった。ポストマッカーサーとして派遣されたジョン・ダレスは、マッカーサーの「非武装/米具撤退/国連に平和を委託/永世中立国」方針と全く違う日本政策を持ち込む。「日本をアメリカが軍事占領し続け、共産圏の防波堤にする」というもの。この政策は昭和天皇の意見と一致した。
非武装中立/国連主義を成し遂げたいマッカーサーと、どうにか日本の独立を実現したい吉田茂は、朝鮮戦争の最中アメリカ政府と交渉しようとするが、昭和天皇はダレスを介し、吉田/マッカーサーの頭越しにアメリカ政府と交渉を行った模様。これは天皇外交であり二重外交であった。
しかして、ダレス/昭和天皇が希望する政策は叶い、それは現在まで残され、これが憲法9条の歪みとなって現代日本を「混迷と崩壊の時代(p325)」にさせている。
昭和天皇マッカーサー会談での「全ての責任は私にある」発言には証拠がない。それどころか「責任は東絛にある」と発言していた (「全」ではないが「責任はある」とは発言)。但しこの発言は会談録かろ削除された。一方!東京裁判ではこの削除が「裏金」として使われた。「削除されたのは責任発言だ」とでっち上げられ!裁判に挑む軍人たちに耳打ちされ、それか「天皇を救うため軍部の悪行を全て証言する」動機に使われた説109
9条の、自衛権も認めない戦争放棄。我が身を省みず「捨身」で究極の平和理念を世界に先がけて実行する、という姿勢への熱狂は、護国の鬼となって「捨身」で敵への特攻を敢行するカミカゼ攻撃の自己犠牲への熱狂に通じる。賛美と陶酔の形が同じ。これは私たち日本国民みつきまとう最大の落とし穴といえるかもしれない。188
9条はマッカーサーの押し付け(大統領選のための箔づけ)であったと同時に、日本国民側の必要装置であった。新憲法で、天皇の民主化によって生まれた道義心の「空白」(天皇を戴く日本の正統性と神聖さの喪失)を、戦争放棄の理想の「光輝」によって「埋め合わせ」するという装置192
ジョン・ダワーは自著で、昭和天皇について、あれだけ十分に軍国主義の傀儡になった天皇が、今度、民主��義の傀儡になれないことはないだろう。というアメリカ側の判断を書いている194
昭和天皇は1948年、自分の忠臣の東条らが絞首刑になった日、泣きはらした。退位したいと願ったが、アメリカから拒否された。生きていけないと思った彼はカトリック教に接近した。原武史の書に詳しい。197
昭和天皇は75年の記者会見で戦後初めて「戦争責任」の質問をされた。そこで「文学方面のことは」「よくわからない」と答える。この答えのように、被侵略国の人民、日本国民などへの良心の呵責などなく、ただ皇祖皇宗に懺悔してただけだと(著者)は思っていた。しかし発見された「謝罪の詔書」などを分析したら、感慨も生まれ自分の考えの迂闊さを感じた310
私の信じていることがある。歴史をいったん非専門家の目で振り返ることは、人間が未来をまっさらに構想するうえで欠かせない作業なのではないかということ。その結果、無数の混乱か整理され、多くの謎が解ける。328
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昭和天皇とマッカーサーを中心として、憲法9条の成立背景、安保条約以後の変容について論じた本。かなり面白い
#創元社 #加藤典洋 #9条入門
マッカーサーの政治的野心が見え隠れし、昭和天皇の免罪を勝ち取り、天皇象徴化による国民の空白を埋めた憲法という位置づけ
憲法に相互主義の規定がないことについての論考は、一読の価値がある。相互主義とは 他の国が従うなら、自国の交戦権を制限して国連に委譲すること。9条について、改正議論が出るとしたら、相互主義の部分であろうと思う
「1条(天皇の民主化)によって生じた日本国民の空虚が、9条(戦争放棄)の理想の輝きによって 埋められた」という結論は なるほどと思った
著者の憲法1条9条論
*1条9条は 昭和天皇を護るために マッカーサーが書かせたもの
*天皇の免罪が、世界の平和を脅かさないことの保障としての9条
*天皇制の廃止でなく、民主化によって天皇主権を否定し、天皇制の存続による軍国主義復活の排除
9条
*戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否定
*日本政府は、1970年初頭まで「自衛権ほ否定も書き込まれている」という解釈に立っていた
*相互主義の留保なく、戦争放棄条項を憲法においた
大統領候補だったマッカーサーの政治的野心
*天皇の東京裁判からの保護
*アメリカと世界に向けての画期的な憲法の提示
マッカーサー「敗戦国である日本こそ、世界平和に向けた精神的リーダーシップをとるべき」
天皇の免罪
*天皇に法的責任はある
*軍部が天皇の意思に反して戦争を起こしたため、免罪理由あり
*天皇を助けることで 国民の信頼を得、傀儡として利用する価値はある