紙の本
真実とは個人的な視点である。
2021/10/04 12:26
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投稿者:L療法 - この投稿者のレビュー一覧を見る
責任の根拠となる、意思、自由な意思に基づく決定はあり得るのかを、行動時に測定された神経の働きや、法学、哲学などを縦横に引用して、責任が、社会のための一つの装置であり、物語的なものであること立証していく。
これは現実とは何かってことにも関わる。
真実は個人的な視点である。
個人は、自由意志があやふやである以上、あやふやなものとなる。
いろんなものを沈殿させた、流されゆく個人が、そのほかの何かと絶えず交差する時に生じる、あぶくのようなものが、実態のある意思のように見えて、その見せかけが、責任の根拠のようなものになる。
(体験が沈殿物の一つだし、想像もまた体験だろう。虚構も沈澱する。)
あぶくは、外的状況による、偶然が形作る。
責任あるいは、自由意志が必要とされるのは、社会あるいは共同体のためである。
それは、巡り巡って個人のためにもなるかもしれないが、ついでのようなものだろう。
この虚構は、虚構だからけしからんと言ったものではない。
そもそも事実の存在すらあやふやになりかねない考えではあるが、作者による立証を否定するのは難しいだろう。
なかなか衝撃的な本。
本書は、フランスでの出版を、やんわり拒絶されたとのこと。
(フランスの人文書は、数百部という小さな市場のようです。図書館だけに置かれるのでしょう。)
ホロコーストに関する責任という、ナイーヴな問題に難色を示したのだろうと、作者は推測している。
紙の本
人間の自由意思の概念イデオロギー性を暴き、社会秩序維持装置の仕組みを炙り出す画期的な一冊です!
2020/04/10 11:14
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、人間が本来もっている自由意志の概念イデオロギー性を暴き、あらゆる手段で近代が秘匿してきた秩序維持装置の仕組みを炙り出そうとした画期的な書です。私たちは、人間というものは、自由意志を持った主体的存在であり、それゆえ、自己の行為に責任を負わなければならないと信じて疑いません。そして、これこそが近代社会を支える人間像だと確信しています。ところが、社会心理学や脳科学では、この見方に真っ向から疑問が投げかけられています。これは一体どういうことなのでしょうか?同書では、その点を詳細な分析と説明で解明していきます。
紙の本
押し付けられた責任
2020/07/09 08:58
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦時下での民族虐殺から、秩序を保つための死刑制度の欺瞞までを暴いていきます。「責任」の名目のもと、人類が繰り返してきた過ちに暗澹たる気分になってしまいました。
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哲学に興味はあるけど、カントやニーチェのことは有名な言葉だけ知っている程度。哲学関連で読んだことのある本は『愛するということ』(エーリッヒ・フロム)、『幸せになる勇気』(岸見一郎)、中島義道氏の著書数冊程度で、哲学書を一から紐解いたこともなければ、心理学と哲学の明らかな違いを述べることさえ難しい。そういうレベルの私が挑戦し、長い時間をかけて読破しました。理解度はまだまだ他の皆さんには及ばないかもしれませんが、私なりの感想を。
読んだことのある関連書は『服従の心理』のみ。『イェルサレムのアイヒマン』はいずれ読めたらと考えています。
専門的な用語は逐一ググッてみて、概要を簡単な言葉で表してくれているもので一時的に理解したとみなして読み進めました(でないと全く前に進めない)。
<内容として、主に私が深く印象に残ったもの>
・「自由に行動できるから責任がある」のではなく、「責任のために自由を規定する」
・個人は外因要素が集積した沈殿物
・美しさや賞罰、道徳などは根拠があって決められているものではなく、大衆が認めるから基準ができて定められるもの
・格差を認めるために人間は自由であり、努力すれば上流階級へいけると思える仕組みができあがっている(努力しなければ自己責任、となる)
1~4章くらいまではサクサク読み進めることができましたが、5章以降からは難易度がぐっと挙がって専門的な話が多くなり、読書スピードが目に見えて落ちていきました。しかし、それでも読み進めることができたのは、知的好奇心のせい、と言ったら格好をつけていると思われるでしょうか。
「規範論ではない」と著者自身が言っているように、本書は「こうあるべき」といったべき論から離れて、あるがままの世界の仕組みを俯瞰し、「こういう風になっているんだよ」と次々に教えてくれるような内容でした。
本書もかなり苦労して読了したのにも関わらず、著者の別著作も読んでみたいと思えるほど、読了後には目を開かされた思いで爽快感があり、達成感も一入です。何となく暮らしていたら絶対に気づけなかったようなことに、(本書を読んだことで)気づくことができました。
題の『虚構』という部分に惹かれて読むことを決めましたが、ここがまさに争点であり肝だったのは、読む前から理屈では理解できなかったものの、自分の着眼点を素直に褒めたいと思います(笑)
「増考」の内容もかなり難しめでしたが、自由意志と因果律、責任と自由について、より深く理解するためにはとても重要な内容だと感じました。
巻末の解説を読んで本書全体の内容をざっとおさらいすることができて、しかも分かりやすい形に変換してくれていたのでとても助かりました。
文庫版と単行本、どちらを読もうか迷っている方がおられましたら、文庫版をお勧めします。
じっくりと取り組んでみて分かったことですが、哲学書を読む最大のコツは「結論を急がない」「慌てない」「なるべくコンディションが整っている時に読む」ですね。
時間をおいて、またいつか再チャレンジしてみたい本です。
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正直長いし、読むのに時間をかけすぎた。むしろ尾崎さんの解説が端的にまとめられていてわかりやすかった。ナチスの実験はなかなかに興味深かった。
責任が分散化されると所在が曖昧になる、というのは今も便利に使用されている。
線を引きながら読んだので、時間をあけてから再読したい。
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2年ぐらい前に衝撃を受けたあの本が文庫化してる!ということで読みました。
これはすでに単行本読んだ人でも読む価値ありだと思います。
単行本は手元になく違いは正確にはわからないですが
最後に「補考」の章が付け足されています。「あとがき」で筆者が「内容にはほとんど手を入れていない」と述べる通り、本文の展開としては大きくは変わっていないのかな?読み返すとかなり新鮮な発見もあったりして、内容が濃くなってるように感じましたが単純に忘れてるだけか。
「補考」が一番重要でオイシイところだと思います。「大澤真幸・河野哲也・古田徹也・國分功一郎・斎藤慶典諸氏の考究と対峙し」、筆者の主張をより際立たせるような結びの章となっているため。
初読の時より知識が増えた今読むと、また違った疑問が生まれてきました。もう一回読みたい
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責任を根拠付ける自由意志は存在するのか、虚構とは何を意味するのか。著者は実証科学の知見に従いながら、丹念に規範論に挑戦していく。文庫版に補考が加筆され、著者の問題意識がより明確に示されたのは、本作全体を理解する上で大変助けになった。
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べき論も倫理も道徳も「人間の現実から目を背けて祈りを捧げているだけ」の「雨乞いの踊り」にすぎない
ブラックボックスの最後の扉を開けたとき、内部ではなく外部につながる逆転の位相幾何学
虚構の物語
近代における神の代役
個人の内部に宿る「とされる」自由意志
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死刑制度は、誰もが責任を感じさせないシステムになっているからこそ、維持可能である。
この指摘が、本当にショッキングだった。
第1章で、ホロコーストは、高度な組織化のもと作業分担が行われ、責任が分散化することによって可能だったということを具体的かつ丁寧に論じた後、第2章(表題は「死刑と責任転嫁」)で、終局的な死刑執行場面のまざまざしい描写にはじまり、死刑制度はホロコースト同様、分業体制がこれを支え責任が分散化されているからこそ(あるいは「無責任体制」だからこそ)、維持可能だと説得的に論じていくので、全体として第2章は、心情として読むのが非常につらかった。つらすぎた。
死刑を執行する者、言い渡す者、求刑する者、執行命令に署名する者、それぞれの心理負担を軽減するメカニズムなしには、制度が機能しない。
「受刑者を死に至らしめる罪悪感は、こうして組織全体に限りなく転嫁・希釈される。」
第3章以降では、責任の虚構性を論じています。
責任は、因果関係ではとらえられず、「主体」「責任」「自由意思」は、虚構性を巧妙に隠された、社会に必要な虚構にすぎない。これらを、脳科学の知見などあの手この手で論じています。
ただ、自由意思という概念を持ち込まないと、近代の処罰制度は機能しない。
スケープゴートを正面から受け入れる制度に戻ることは、もっとできない。
他方、処罰がない、社会規範からの逸脱がない社会は、突き詰めると恐ろしい全体主義でしかない。
死刑への責任の分散化は、さらに辿れば「国民の大半は死刑制度の維持を望んでいる」とする法務省、死刑制度の正当化の「根拠」たる国民の「意思」へ行きつく、とも考えられますが、その「意思」すら無根拠の虚構となってしまい、もうどうすればいいのか。
できることは、虚構性を認める視点を持ち合わせ、その上に立っていることを自覚して、社会に、処罰制度に、向き合うことでしょうか。
その他。
「殺意は、殺そうという心理状態でなく、このような状況では殺意があったと認めるという了解だ。つまり、意思と行為の関係は物理的な因果関係でなく、社会規範である。」
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責任は、秩序を保つために必要な虚構である。決して、その当人に原因があるから罰せられるわけではない。罰するために、当人に原因があったと決めるのである。
こういった「見たくないもの」を直視して社会のあり方を根本から問うことができる力は、早いうちに身につけておきたい視座だ。思春期にこれを読めば、もっと早くから社会課題に直接対峙できたかも。30代の今だからこそ刺さるのかもしれないですが。。
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本題は4章からだが、個人的には1.2.6章が1番面白く感じた。社会秩序というものがいかに根拠のないもので支えられていて、薄氷の上に成り立っているかという事がわかる。絶対的な神が消えた現代において法や道徳、自由、責任、これらのものを証明する根拠は存在しない。だが虚構は(たとえそれが虚構だとわかったとしても)それが真理であると信じないと社会が成り立たないため、そういう意味ではこの本は役に立たない。しかし、この本は確実に新たな視座を読者に与えるだろう。
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責任は因果律と関係ない。設定されるもの。虚構であるということの記述。
「自由とは因果律に縛られない状態ではなく、自分の望む通りに行動できるという感覚であり、強制力を感じないという意味に他ならない」
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実験から導かれる結果では、人の行動は権威に弱く、同調圧力に流され、役割を与えられると演じようとする。さらに、意思決定以前に行動が始まっていることも測定されている。
そこから自由意志を否定しながら、責任論を哲学的に考察する。禅問答のようになって当然結論は出ないのだが、そのままでは秩序ある社会は回っていかない。
だから、もやもやしていても、多数決が正義と決めつけて、どこで線引きするか決めつけながら、進んでいくしかないのでしょうね。
まあ、数々の実験の結果が正しいかどうかは諸説あるようですが、行きつくところはそれほど変わらないかもしれません。
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一般的には自由と責任は表裏一体の因果関係であり、なので法や規範の判断の元になる自由意志によって罰される。
ただ、人の行動は脳の信号を起点に人が意識を持つ以上、自由意志はないので責任はないはず。それにもかかわらず規範で人を罰する矛盾をつく。
結局自由も責任も、社会が決めた虚構であり、自由意志みたいな内側にあるものじゃなくて外側にあるもの。普遍的な規範を追い求めても袋小路じゃないかと問題定義している。