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地元消防士が初めて語る福島原発事故。事故から九年を経て初めて語られる事実がある。
2020/04/03 16:01
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投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
東日本大震災の原発事故下で不眠不休の活動を続けた双葉地方広域市町村圏組合消防本部(福島県)の消防士たちの活動を記録した書籍。東日本大震災。応援はおろか満足な情報もない中、救助・救急活動に携わった地元消防士たちの覚悟、怒り、苦悩、そして葛藤。読みながら何度息をのんだことか。もう9年ではなく、「まだ」9年なのだと著者は記す。そして、自分の無力を感じ「バトンを渡す」という思いで書き続けてきたと。1人でも多くの人がそのバトンを受け取るべきだ。今も『孤塁』を守る人たちに思いをはせながら。
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忘れないぞ
2020/05/24 11:16
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投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
9年前の東日本大震災は自然の力に驚愕させられた。それとともに福島原発事故という人間が造り出した最大級の惨事と重なったことに重大な意味がある。自然災害は規模の大小を問わず常に起こりうるが、対策を施していくことによって被害を軽減させることができる。しかし、この原発事故は起こらないと信じ込み、津波対策を十分に想定しなかったが故に起きてしまったことにより、災害被害を大きく増幅させてしまったものだ。
本書は原発事故の地元を所管する双葉消防本部の震災時の活動記録である。原発事故の消火活動について東京消防庁や自衛隊ヘリなどの活躍が報じられ、国民の多くは地元の消防署員がこれほどの活躍と悪戦苦闘を演じたことは知らないだろう。消防署員自身の家族は全国各地へ避難する一方で地元に残り消防活動を行っている姿には職務とは言え感動する。少ない情報と見えない放射能汚染の中での活動である。人々の震災記憶が薄れていくのも早いが、知られていない双葉消防本部の活動は忘れる記憶にもならないのだろう。
原発事故に対する東京電力の一連の対応には怒りをこえて呆れてしまう。夫々の立場で様々な意見があろうが、津波対策工事をしておけば地震津波の襲来は防げないが、被害は軽傷で済んだであろう。事故は起きないとするゼロリスクを標榜していたのであればそのための対策は十分に安全側の外力を想定して実施しておくべきだった。そのちょっとした安全側の対策を行って事故を免れた別会社の原発も近傍にあるのだ。東京電力の責任は筆舌に尽くせないほど重い。
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福島第一原発事故で活動した地元消防士の記録
2021/06/14 07:20
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投稿者:YK - この投稿者のレビュー一覧を見る
福島第一原発事故では東京電力の原発職員の方や、自衛隊やハイパーレスキューなど数多くの方の献身的な活動のおかげで、最悪の状況を脱することができました。その一連の事故の下、地元消防である双葉郡消防本部に属した130名余りの消防士の方の活動の記録です。
原発事故があった場合に消防が担うべき役割は避難誘導とされていましたが、空間線量が上昇している事実も知らされないまま任務に従事する状況となっていました。事故の状況が悪化するにつれ、消防の担う役割が、なし崩し的に原発構内での消防活動への協力へとエスカレートします。それでも錯綜する状況から、その活動によって被るリスクなどの正確な情報は伝えられないままでした。
1号機、3号機の水素爆発の後、構内活動への協力要請を受諾するかどうかの会議では「特攻隊と同じではないか」、「自分たちは捨て石になるしかないのか」とまで追い詰められていました。
一方、自身の家族への連絡、安否確認はほとんどできないまま、活動を強いられる状況となっていました。「消防士の使命は国民の生命、身体、財産を守ることだ。しかし、自分の家族も国民だ。どうして自分の家族を守り、”避難しよう”と導くことができないのか。家族の恐怖や苦労をしのび、声を上げて泣いた(本文抜粋)」
さらに過酷であったのは、空間線量の高い地域からの傷病者の搬送の際、受入側の地域で差別のような視線を向けられたことでした。自らの家族が避難先で、放射能汚染を持ち込んでいるのではないかと疑われ、スクリーニングの証明書を持参するように依頼されたり、「我々は汚物ですから」と証言した消防士もいました。
最も危険な最前線で活動せざるを得なかった人たちが差別的な視線にさらされた事実は、昨今のコロナウイルス感染の拡大の状況下で活動されている医療関係者の家族への”いじめ”があったという報道を思い起こさせます。非常時において一般の市民の気持ちの余裕がなくなりつつある今こそ、寛容な気持ちを持ち続けることの重要性を認識させられるノンフィクションでした。
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偉大な消防士たち
2021/01/31 09:25
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投稿者:nobita - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み応えのあるドキュメントで且つ生き様である。老若男女に読んでほしい。地震被害・原発被災を消防士の眼から鋭くみている。自己犠牲で戦った消防士の姿を感じ、日本も捨てたもんではないと思った。一方、当事者能力・責任を持たない原発を推進してきた政治家・東電は捨てなければならないと強く感じた。
44年前に仙台で研修し、岩手、青森、福島など東北6県の方々と接する機会があった。私が住んでいる広島の方と異なり、とても心優しい方々が多かった。新聞で女川での震災死亡者の名前を見たとき、とても辛く思った。この本を読んで、今年こそ、東北にお祈りに行かなければならないと思った。
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消防士たちが戦った記録を今こそ岩波書店の作品で読む
2020/12/19 12:12
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投稿者:ミエル - この投稿者のレビュー一覧を見る
震災時の休む間もなく救助活動する消防士たち。大地震だけでも想定を大きく超えていた。わずかな情報しかないなか津波や原発にも直感で立ち向かうしかなく、本当に運良く生き残った消防士たちの活動を追った作品。消防士たちは震災のすべてを体験させられた。もし原子炉が爆発していたとしても、双葉郡の消防士たちは出動させられていただろう。今でも災害時の情報の流れ方は課題になったままではないかと感じた。
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涙なくしては読めない。
震災事態の悲惨さにもそうだけど、原発の被害に、発災当初誰の手助けも受けられず、情報もほぼないまま現場の過酷な活動に身を投じた消防士たちの気持ちや、無念さや、憤り、いろんなものが次々と押し寄せてくるようなドキュメンタリー。
何が悲しいかって、これは一般には語られていないこと。自分たちがヒーローになる必要はないと言った彼ら消防士たち。でもあまりに報道では闇のなかに放置しすぎてきたのではないか?
事故は起こらない、そう研修で1ヶ月前聞かされた中で、原発の自己現場に向かわざるを得なくなっている。
高い線量の中、死の不安から逃げられないまま、いろいろな家族や背景をもった彼らは、ほんとうに「孤立無縁で」活動しなければいけなかったのか?
薄い段ボールを敷いただけの狭い場所に、寒さに耐え、まっすぐ寝ることも叶わず夜を過ごす日々。食べ物も満足にない。
来るはずの援助隊の支援もうけられない。
未曾有の大災害に日本中が混乱するなか、情報が錯綜というか伝達がすっぱり途絶えてしまったのも仕方がなかったのかもしれない。でも、この現場で起きたことを記録にとどめ、なかったことにならないようにすることは必須だ。
あとがきにもあった、掘り返さなくてもいい記憶、辛い気持ちを呼び起こす取材はお互い辛かっただろうと推察する。
でもそうしなくては消えてしまう記憶たちをしっかりつないでおいてくれて、感謝の気持ちが沸いてくるなか読み進めた。
登場人物も多く、現場の地理にも詳しくないので一回ではすべて理解できなかったのだが、それぞれの人たちや、避けられなかった状況を想い、涙しながら読んだ。
大事なのは、起こったことを多くの日本人、政治家、電力会社、その電気を使っていた&今も使っているまさに私たちが、理解し、消防士たちに敬意を示し、今後起こりうる同じような事態への対策をすることしかないのではないか。
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本書は雑誌『世界』2019年3月〜9月号に連載されたものを大幅に加筆して2020年1月に単行本化された。消防士ひとりひとりが目撃し体験した現実は当時のニュース映像からは見えなかった角度と精度で過酷な現場を匂いや音まで生々しく再現する。読んでいるだけの私でさえ胸が苦しく申し訳なさにただ泣けてくる。(当時の事を語りたくない人、思い出したくない人が居るのは致し方ないけれど)結果として我々の世代が取り返しのつかない道を選び歩んできてしまった以上、原発による事故が起こったらどうなるのか、何が有ったのか、できる限り正確な情報を次世代に遺したい。バトンを受け取ったものの努めとして強くそう思った。
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テレビ語られないことが多くあります。何かへの忖度なのでしょうか。
命をかけてFukushimaを、そして日本を守った多くの人達がいたことを伝えていかなければならないと思いました。その時、政府が、自治体が、電力会社がどう行動し、何がうまくいき、何が悪かったのか。なぜ、地元消防士にここまでのことをしてもらわなければならなかったか。なぜ、“個”の命をかけた働きに頼らなければならなかったか。
この本は、あえて淡々と事実のみを書いています。第三者の想像や思いを廃し、単なる美談にしていないところに著者の強い思いを感じました。記録として残してもらった、この本を多くの人が読み、記憶の中に残し忘れないようにしなければならないと思いました。
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震災――地震と津波と原発事故――に襲われた双葉周辺。自らが住み、守ってきた土地の消防士たちの、記憶に止めておくことすら痛ましい悔しさや哀しさに満ちた日々が臨場感ともなって構築されています。必死さのなか、笑いもあり、とても親近感がわきます。
当時の、日常が壊滅したただ中に、まさに消防士当人になったように胸中は不安でいっぱいなまま、ひたすら目の前のことに対応し続けるしかない気持ちが大きく、一行、二行と読み進むなか、涙は出ません。最後の最後、8章の「孤塁を守る」、エピローグ、あとがきで、感謝と敬意でいっぱいになって号泣しました。
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福島第一原発を管轄する双葉消防本部。震災当時活動に従事した125名のうち、今も現役の消防士66名に取材した地元消防本部の苦悩と葛藤。特に後半涙なしには読めませんでした。
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福島第一原発事故では東京電力の原発職員の方や、自衛隊やハイパーレスキューなど数多くの方の献身的な活動のおかげで、最悪の状況を脱することができました。その一連の事故の下、地元消防である双葉郡消防本部に属した130名余りの消防士の方の活動の記録です。
原発事故があった場合に消防が担うべき役割は避難誘導とされていましたが、空間線量が上昇している事実も知らされないまま任務に従事する状況となっていました。事故の状況が悪化するにつれ、消防の担う役割が、なし崩し的に原発構内での消防活動への協力へとエスカレートします。それでも錯綜する状況から、その活動によって被るリスクなどの正確な情報は伝えられないままでした。
1号機、3号機の水素爆発の後、構内活動への協力要請を受諾するかどうかの会議では「特攻隊と同じではないか」、「自分たちは捨て石になるしかないのか」とまで追い詰められていました。
一方、自身の家族への連絡、安否確認はほとんどできないまま、活動を強いられる状況となっていました。「消防士の使命は国民の生命、身体、財産を守ることだ。しかし、自分の家族も国民だ。どうして自分の家族を守り、”避難しよう”と導くことができないのか。家族の恐怖や苦労をしのび、声を上げて泣いた(本文抜粋)」
さらに過酷であったのは、空間線量の高い地域からの傷病者の搬送の際、受入側の地域で差別のような視線を向けられたことでした。自らの家族が避難先で、放射能汚染を持ち込んでいるのではないかと疑われ、スクリーニングの証明書を持参するように依頼されたり、「我々は汚物ですから」と証言した消防士もいました。
最も危険な最前線で活動せざるを得なかった人たちが差別的な視線にさらされた事実は、昨今のコロナウイルス感染の拡大の状況下で活動されている医療関係者の家族への”いじめ”があったという報道を思い起こさせます。非常時において一般の市民の気持ちの余裕がなくなりつつある今こそ、寛容な気持ちを持ち続けることの重要性を認識させられるノンフィクションでした。
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東日本大震災時に、福島第一原発がその救助地域に含まれる双葉郡消防士達の活動記録です。地震が発生した2011年3月11日から17日の活動を中心に書かれています。帯のコピーが衝撃的です。「きっと特攻隊はこうだったのだろうと思ったー」
原発の安全神話の中、絶対事故は起きませんと言われ続けてきた先に、原発の爆発事故が起きました。当然ながら爆発事故は想定していなかったので、高い放射線量の中現場の消防士の方々は決死の作業を続けていきます。決死という言葉が、誇張でもなんでもない過酷な状況です。
「原発事故は『起きない』とされていた。地域住民にも双葉消防の消防士らが受けた研修でも、『事故は起きない』とされ、安全であることの説明は繰り返されていたが、起きることは想定されておらず、起きたあとに対応する事前説明も準備も足りていなかった。原子力防災訓練で行ったことのない『給水』活動も、消防が突如担った」(143頁)
事前の想定が軽ければ軽い程、実際に起こった際は、現場にその負担は重くのしかかります。双葉消防の消防士達は、それこそ不眠不休で津波と地震で被災した現場で救助活動に当たります。過労死してもおかしくない程です。
「…災害現場の救助・救急活動における心得だ。Safty(安全)を確保するときに、まず『Self(自分自身)』を守ること、『Scene(現場)』の安全確認を怠らないこと、それらの安全が確保できて初めて『Survivor(被災者・患者)』に対応できる」(142頁)
つまり、高い放射線量下での救助活動自体が危険極まりない状態で、この状態では誰一人この区域には入ってはいけないのであり、そういう類の事故であったと言うことです。彼らは高い職業倫理の元逃げ出さずに救助活動に奔走するわけです。そこでの葛藤は本書の随所に見られます。
福島第一原発の爆発事故が起こってからは、現場に情報が殆ど集まらず、数少ない情報の中で悪戦苦闘の連続を強いられます。本書の殆どはそれに費やされていると言っても過言ではありません。
未曾有の事故が故に仕方ない面も否定はしませんが、県、国、東電はもう少し現場の人への支援はできなかったのかと思いました。
原発事故に限らず、重大事故が発生した際の対応(マニュアルや訓練)が非常に脆弱なものに感じます。日本だけかは知りませんが、万が一の時の準備不足が否めないです。
今回の新型コロナウイルスの初期対応、特にクルーズ船の対応は素人目から見ても杜撰でした。日本では感染症に対する専門部隊もない状態でした。
結局、事前の準備が脆弱なので、何かことが発生すれば現場の人間達が一番危険に晒されて、疲労困憊の中救助活動に従事して、首の皮一枚で医療崩壊がを免れている。いつも現場にしわ寄せが来るのです。そしてそれは、最終的には救助活度を待ち望んでいる市民達にきます。
そんな現場で奮闘された名もなき方々に、名前を与え、記録に残したのが本書です。
『「自衛隊やハイパーレスキュー隊のことは報道されたが、双葉消防本部の活動だけが報道されず、誰にも知られていなかったことが辛かった」』(206頁)
東日本大震災が発生した当初は、津波のシーンや原発の爆発シーンなどをよく目にしました。しかし、実際に現場で救助されているところはほとんど写ってなかったように思います。想像だにしていなかったです。
仮に原発の安全神話に踊らされず、真っ当な事前対策を取られていたとしても、メルトダウンを起こした原発の前では、何も出来ないのではと思いました。「逃げる」しか手が無いのではないでしょうか。そもそも原発は必要なのかという根源的な問いを改めて考えさせられました。
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まるでその場に自分もいるかのように見える筆力がすごい、それゆえ大変さが伝わりすぎて読むのがキツイ、でも読むのを止められない
あまりにも辛い状況だけに人の優しさが余計に響いてくる
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休むことなく、一気に読み終えた。
福島原発事故では、この本に書かれているとおり、私も華々しく報じられた東京消防庁や自衛隊のことしか知らず、地元の双葉消防本部の消防士たちの孤軍奮闘、まさに孤塁を守ったことは初めて知った。
ほとんど書き手の私情を交えることなく、淡々と書き綴られた本書は、それだけに強く訴えかけるものがある。
あとがきで取材に応じてくれた消防士全員の名前が列記されている。
この人たちのオーラル・ヒストリーと言ってもいい。
前半では消防士たちが追い込まれた活動から、東電の混乱・無策の有様が改めてさらけ出される。
原発の危険性を熟知している東電の人間が、本社も現場もリスク・シナリオを全く用意しておらず、ひたすら「原発を守ること」だけを考えて対処していたことは明白になる。
後に妙に英雄視された現場所長も、消防士たちを含め、地域住民のことなどなにも考えていなかったことへの著者の怒りは、第6章「4号機火災」で、現場所長と東電本社とのやり取りをわざわざ転記しているところでわずかに垣間見える。
「記録に残らなければ、歴史から消えてしまう。」(141頁)
一人の消防士は「災害の真っ只中にあり非日常である双葉郡と、避難先に存在する日常との乖離を、肌で感じた。」(154頁)と書いているところは、個人的にも阪神・淡路大震災時に神戸の被災地を訪れたあと、大阪駅に戻ってネオン輝く街並みを見たときの違和感を思い出す。
テレビ朝日と福島放送が共同制作した「3・11を忘れない その時『テレビ』は逃げた』ー黙殺されたSOS」にも触れており(157頁)、この番組は私も見たが、そのときになお消防士たちが活動していたことには思いも及ばなかった。
被災地でも秩序正しいニッポン凄いを連呼し、美談ばかりを流していた一方で、盗難・放火事件があったことも記されている。(161頁)
震災後「絆」という言葉が流行したが「ないものを文字にするんだな…」(190頁)とつぶやいたり、芸能人たちが訪れてイベントをやった片付けを消防が手伝うこともあり、終わったあと「ふと、取り残されるようなさみしい気持ちになる。そうすると「祭り」なんて、なくてもいい、とすら思ってしまう」(192頁)というところは、なにも被害がなかった土地の人間の押しつけの傲慢さにようやく思いが及んでしまう。
あの大震災から9年経って、なお原発からは遠く離れた東京に住み、その電力をのうのうと使って暮らしている我が身は、なにをどうすればいいのだろうか?
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福島原発事故時の、地元双葉郡消防士たちの記録。
突如、地震、津波に加え原発事故と過酷な複合災害に見舞われた福島県双葉郡。装備・情報・受け入れ病院などが限られた中、刻々と変わる状況で、避難誘導・被害者の搬送などに不眠不休で奮闘する地元消防士たちには本当に頭が下がる。
当時は自衛隊の放水など画が派手な物に注目が集まったのだが(しかも事故収束にはほとんど役に立たなかったのだが)、地元消防士(を含め震災・原発事故対応に当たった人たち)の様な地道な活動にもう少し光が当たっていい。
特に3月16日、4号機火災の出動要請に、決死の覚悟で応じ原発所内に出動した消防士を待っていたのは、鎮火確認依頼と退避要請だったとは。この部分は東電に対し、怒りを覚えた。
暴走する原子炉に手を焼き、混乱していたのはわかる。だが、後にちゃんと双葉消防本部に詫びたのかが気になる。
当初、東電からの原子炉冷却要請には葛藤していたが、火災の通報に際し、「火災、と聞けばスイッチが入る」「消防士の性だ」との言葉には、心が震えた。
事故時にこの人たちの犠牲の上に成り立つような事業はあってはならない。