電子書籍
すっと理解できる。
2020/06/29 10:20
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投稿者:さな - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の思考を簡単に追うことが出来ます。
2020年6月現在、未だ無知や怯えによる差別などの問題が尽きません。
ひとりひとりが落ち着いて行動できるように、皆に読んで欲しい本です。
紙の本
渦中の国から届く
2020/04/24 19:50
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
多くの犠牲者が出ているイタリアにおいて、著者のシンプルな表現に切実さが滲み出ています。いざという時にはカリスマ的な指導者よりも、飾らない言葉のほうが大切なのでしょう。
紙の本
Withコロナを考える一冊
2020/05/21 23:17
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
コロナ禍のローマで暮らすイタリア人作家の不安を綴ったエッセイ。科学に対する不信、終わることのない自粛生活をどこかシニカルに描写している。Afterコロナの話が取り沙汰されることが多い中、末尾の文章で筆者は少し違う問いを投げかけてる。
「本当に我々は以前と全く同じ世界に戻りたいのか」。2ヶ月以上テレワークを続けて、毎日ワイドショーの声が耳に入り、外を眺めることもなく過ごして、本当にこの問いについてよく考えるようになった。少なくともウイルスが以前の生活様式の負の部分を浮き彫りにしたことは忘れない方が良いんだと思う
紙の本
武漢風邪の特質は。
2020/06/28 20:20
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投稿者:ライサ - この投稿者のレビュー一覧を見る
これほど短期間に世界中に広まった疫病はない。
数字は抽象化関係の描写。WW1と同じ……速度の衝撃は速度の二乗に比例、これと同じ。
多は異なり。
ただこの本は反グローバリズムに対して反対派という奇妙な立場をとる。
そもそもこれほど武漢風邪が流行った背景の一番が、無責任なグローバリストらの暗躍があったからだ。
日本はコロナの被害が少なかったとはいえグローバリズムを右も左も推進しまくっているので経済は世界一戻る見込みが少ないとも言われている
この本は、特に後半は差っ引いて読む必要がある
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GW自宅で読むには最適な本。イタリアの小説家が2020年2月29日から3月4日に書いた新型コロナウイルス感染症にまつわるエッセイ集。日々変わる状況と自身の心理の変化をつづると同時に、素粒子物理学の博士の顔も持つためか、感染者グラフを数学的に捉えたり、ウイルス感染症という現象を「ビリアードの球の衝突」に例えてわかりやすく解説、今の時期は特に共感を持って読めます。そして、日本語訳に特別に載った「筆者あとがき」の「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」。訳者も「宝石のような文章」と言っているメッセージ性の強い文章は、いつか復興が始まっても「何が元どおりになってほしくないのか」それをこの感染症を体験したことで、今こそ学ばなければいけないと教えてくれます。
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家にいるのが善!とされる生活になってから、なんだかずっと本を読もうという気持ちになれなかった。
TwitterやYoutubeだけは毎日ものすごい時間見ていて、たぶん受動的に情報が入ってくるのが楽で心地よかったんだと思う。
そんな日がずっと続いて、ふとAmazonでこの本を見つけて久しぶりに読んでみたいなという気持ちになった。
思えばこのコロナのことが始まる前から、私は「自分で想う」ということを昔に比べてサボっていた。
なんだかいろいろなものをただ受け流して、それでその場をしのぐことを重ねてきた。
自分の仕事に対して覚えている違和感も、きっとそのへんにありそうな気がする。
私、本当にこれ、いいと思っているの?という違和感。
今回この本を読む時間を持って、改めて本って自分と話す時間をくれるものだと思った。
自分のココロに電話をかける時間。
私がなにかを想うということは、実は積極的な行為なのだと思い出させてくれた。
そしてそれは、サボってはいけないものなのだ。
コロナのこの生活になってから、いいことも悪いこともあるような気がする。
映画館にいけなくなった。
会社帰りに飲みに行くこともできなくなった。
毎日どこかで自分がかかっちゃうんじゃないかって怯えるようになった。
運動量が減って、便秘になった。
会う人は大切な人だけになった。
「これをしていなければ自分じゃない」なんて思うことはなくなった。
スーパーで働いている人すごいと思うようになった。
手をよく洗うようになった。
前よりも料理がテキパキ作れるようになった。
これはコロナが終わっても、続いていってほしいと思う自分や社会のあり方も増えている。
ジョルダーノさんは、あとがきで私たちに呼びかける。
「コロナウイルスが過ぎたあとも、何に元通りになってほしくないか」忘れたくない物事をリストにしよう、と。
自分のことも、頼りないと思った政府のことも、自分が頼りないと思ったそのことも。
仕事のこと、社会のこと、日本のこと、世界のこと。
たぶん私はたくさんのことを想って、でもそれを忘れてコロナが過ぎたあとを迎えてしまう。
3.11のときもそうだったと思う。
でも、忘れちゃいけないし、何より「想う」ことをサボってはいけない。
もう一度たくさん「想おう」。
この本を読んでそう思った。
また本をたくさん読みたくなっているなと、自分を観察してる。
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冷静な科学の視点と、小説家らしい感性に訴える文章で、今の状況とどう振る舞うかを分かりやすく分析している。良い本だった。
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イタリアでコロナ感染が爆発し始めたころの1週間程度の著者のエッセイ。今となって読むとなんてことのない文章。コロナ後の社会をどうしたいか考えるきっかけにしたい。
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イタリア人作家による、イタリアがパンデミックに陥る直前の2020年2月29日から3月4日までの日々の記録。
著者はこう語る。
「いったん恐怖が過ぎれば、揮発性の意識などみんなあっという間に消えてしまうだろう。病気がらみの騒ぎはいつもそうだ」
まさにそのとおりで、世間の雰囲気に流されているのか、最近は自分の中にも気の緩みを強く感じる。志村けんが亡くなったのが3月29日。どれだけショックが大きくても自制は2ヶ月間ももたない。人の心は弱い。また有名人が犠牲にならないといけないのか。
読みながらそんなことを考えている。
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新型肺炎まっさかりのイタリアからの記録。
文章が詩的。私には冗長に感じる。
でも論理が整理されて読みやすい。
数字と遊べるタイプの人の文学。
エイミーベンダーっぽい。
よく言われる外出自粛などの予防がなぜ必要なのか、数字で説明してくれる。
考え方がわかりやすい。
科学的な根拠と、今の状況と、感じたことと、それぞれが区別された上で混じり合って、バランスがちょうど良い。
で、書かれているちょっと前のイタリアの反応と日本の現状がそっくりだから、日本の先行きも期待できない。
でも日本はまだイタリアやその他の国から学べる場所にいる。
後書きが感動的。
覚えておきたいのは、感動的なエピソードだけじゃない。
発売前の無料公開版で読了。
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【No.261】「今、僕たちが体験している現実の前では、どんなアイデンティティも文化も意味をなさない。今回の新型ウイルス流行は、この世界が今やどれほどグローバル化され、相互につながり、からみ合っているかを示すものさしなのだ」「僕たちは日常の中断されたひと時を過ごしている。それはいわばリズムの止まった時間だ。歌で時々あるが、ドラムの音が消え、音楽が膨らむような感じのする、あの間に似ている」「僕は病気になるのは別に怖くない。じゃあ何が怖いかって?流行がもたらしうる変化のすべてが怖い。見慣れたこの社会を支える骨組みが実は、吹けば飛んでしまいそうに頼りない、トランプでできた城にすぎなかったと気づかされるのが怖い」「感染症の流行に際しては、何を希望することが許され、何は許されないかを把握すべきだ。なぜなら、最善を望むことが必ずしも正しい希望の持ち方とは限らないからだ。不可能なこと、または実現性の低い未来を待ち望めば、ひとは度重なる失望を味わう羽目になる」「みんなと一緒にいたい、みんなのあいだにいたい、大切なひとと一メートル未満の接近をしたい。僕らのそうした気持ちはとてつもなく強い。だから僕らは犯行してしまう。勝手に決められてたまるか、世間とのつきあいをウイルスなんかに邪魔させないぞ」「要するにこうした感染症の流行に際しては、僕らのすること・しないことが、もはや自分だけの話ではなくなるのだ。このことはずっと覚えていたいものだ。今回の騒ぎが終わったあとも」「中国の人間はぞっとするような動物を食べる。しかも生きたままで」「複数の科学者が同じデータを分析し、正反対の結論に達する時、そのどれが真理だと言うのだろう?専門家同士が口角泡を飛ばす姿を、僕らは両親の喧嘩を眺める子どもたちのように下から仰ぎ見る。それから自分たちも喧嘩を始める」「日常が不意に、僕たちの所有する財産のうちでもっとも神聖なものと化したわけだが、これまで僕らはそこまで日常を大切にしてこなかったし、冷静に考えてみれば、そのなんたるかもよく知らない。とにかくみんなが取り返したいと思っているものであることは確かだ」「この時間を有効活用して、いつもは日常に邪魔されてなかなか考えられない、次のような問いかけを自分にしてみてはどうだろうか。僕らはどうしてこんな状況におちいってしまったのか、このあとどんな風にやり直したい?この大きな苦しみが無意味に過ぎ去ることを許してはいけない」
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無料公開版にて。
あとから振りかえって書くのではなく、2月末(29日)から書きはじめることで、そのときどきの国民感情や空気みたいなものが記されているのがとても貴重。あとから振りかえって検証する本はたくさん出されるだろうけど、そういうものでは消されてしまう。かといって、ツイッターやブログでは流れていってしまう。その実況中継のような思考を、しずかに切りとって閉じこめたようなエッセイだった。
やはりあとがきの「すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか」という問いが心に残る。そう、できることならいい方に変わってほしいこともたくさんある。(でも悪い方に変わってしまいそうな予感もする。)
そして第13章の「もう一度、運命論への反論」。
「感染症流行時の共同体と言えば、それは人類全体のことだ」「この国の医療システムを守るために我々国民がどれだけ努力をしてきたか──もしも僕らがそんな自画自賛をしているところならば、それはすぐにやめていい」というあたりは、何かにつけて自国の感染者数が他国より少ないと(今のところは、にすぎないのだが)標榜したがる政治家にぜひ読んでほしいと思った。
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『今回の流行で僕たちは科学に失望した。確かな答えがほしかったのに、雑多な意見しか見つからなかったからだ。ただ僕らは忘れているが、実は科学とは昔からそういうものだ。いやむしろ、科学とはそれ以外のかたちではありえないもので、疑問は科学にとって真理にまして聖なるものなのだ』―『専門家』
発行されてから一年弱が経っていてもパオロ・ジョルダーノの記した言葉の意義は色褪せない。その事実はネット書店での売れ行きや図書館での予約待ちの数などを見ても確認できるが、その理由を「物事の本質を捉えているから」とか「冷静な未来予測に基づいて書いているから」などと言ってみたところで本書が多くの人に読まれていることの説明にはならないだろうと思う。
では何故、パオロ・ジョルダーノの言葉が多くの人に届くのか。それを一言で表すなら「誠実だから」ということになるように思う。
邦題「コロナの時代の僕ら」は、原題の「Nel Contagio」の「伝染のなかで」よりも一歩踏み込んだ表明のように見えるが、それは日本語版には今も早川書房が公開を続けている「著者あとがき」である「すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか」という一文が加わっていることと無関係ではないだろう。この「あとがき」が無ければ短いエッセイ群は、多少著者の身の回りの出来事に対する思いも滲むとは言え、どちらかと言えば「科学的」な色合いの濃い啓蒙の書とも言うべきものであった筈。現にWeidenfeld & Nicolson社から出版されている英国版のタイトルは「How Contagion Works: Science, Awareness and Community in Times of Global Crises - The short essay that helped change the Covid-19 debate」(伝染のしくみ:世界的な危機の時代の科学、意識、コミュニティ - Covid-19の議論を変えるのに役立った短いエッセイ)とあり、レビューもこれを「科学書(Science book)」「啓蒙書(Educational)と捉えているものも多い。それは感染拡大が起こった時に世界中が一斉に注目した数理モデル「SIR(感受性保持者(Susceptible)、感染者(Infected)、隔離者(Removed)」の簡単な説明から本書が始まることからも分かる通りで、科学者としてのパオロ・ジョルダーノ自身も、専門外とは言え、闇雲にヒステリックになる人々や報道を見て何か言いたい気持ちが強かったものと理解する。
しかし物理学者であり作家でもあるパオロ・ジョルダーノはただ単に「現状を冷静に捉えよう」とか「正しく恐れよう」というような何処にでも転がっていて誰の口からも出て来る言葉で今起きていることを説明し人々をなだめている訳ではない。科学者として判っていることは何で解らないことは何なのかを確認しつつ、それでも心を占領する不安や恐怖、そしてその反動として見えてしまう人の欲や自己中心的な志向にも向き合う様を誠実に短い文章の中に記す。それが多くの人々の共感を呼び、今何が本当に必要なのかを気付かせてくれる。その意味では「あとがき」で語られていることは言わずもがなの部分でもあるのだけれど、「僕は忘れない」と綴られる内容そのものではなくて「忘れまい」とする気持ちを明確に記しておくことに意味があるのだと思う。それ故、仮にこのエッセイ群の中で説明されていることが後々科学的に誤りであると判明したとしても、著者がこの書を記したことを多くの人は非難はしないと思う。
但し、もし「著者あとがき」が無かったとすると、エッセイ群の最後は「26. パン神」「27. 日々を数える」というやや大所高所からの言葉のように響く二章となり、「僕ら」という人称代名詞で示唆される視線の共有という印象には結びつかなかったかも知れない。そう考えるとこの本を日本語版で読むことが出来たのは幸運だったのかな、と思ったりする。
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イタリア在住の作家が2020年2月29日から、書き始めたエッセイ。
2月29日現在、世界の感染者は8万5千人、死者は3千人に迫るところから始まる。
イタリアもまだ全土で感染が広がっているのではなく、北部のある地域だけで感染が確認されていた時期。
エッセイの進みと共に、感染状況も悪化していく。
決して、難しい言葉で綴られることなく、感染のしくみについてもビリヤードで例えてみたり、内容はとても分かりやすい。
そして、著者あとがきの「コロナウイルスが過ぎても、僕が忘れたくないこと」は、今この局面に直面している人みんなに読んでいただきたい。
5月5日現在、世界の感染者は343万人。死者約240万人。
今では中国でもイタリアでもなく、アメリカが一番死者の多い地域になっている。
このコロナはどこかで起きている出来事ではなく、本当に身近で起きている事実を、私たち人間は直面しなくてはならない。そして、唯一の手段「家にいること」でコロナに立ち向かうしかないのだ。
状況はまだ刻々と変わっている。その度にこの作品を読み直して、自分の緩みそうな心を引き締めたいと思う。
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ずっと数えてばかりいる。感染者の数、死者の数、緊急宣言が解除される日までの日数。どうせ数えるなら、「僕らは人生のすべての日々を価値あるものにする数え方を学ぶべきではないだろうか」
この言葉にグッときた。コロナと向き合う。それは、非常事態という言い訳であきらめるのではなく、1つの通過点として前向きに捉える営みに繋がる。