読むと、タイトルの意味がわかりました。
2021/12/17 07:40
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投稿者:satonoaki - この投稿者のレビュー一覧を見る
表紙に作り物のゴリラが思慮深そうな顔をして、こちらを見ています。
言葉の海は、言葉をもつ人間世界のことのようでした。
言葉をもつがために、面白い反面たいへんに危ういのだなということもわかりました。
山際さんも小川さんも、読み手に伝わりやすい言葉で対談してくださっています。
山際さんの「歩くことは大事」「物事をよく考えられる」「妄想を含めて、いろんな考えが頭に浮かぶ」、なるほど、歩くことは脚にも頭にも大事なのだと思いました。
車の免許を保持せず、公共交通機関か自転車以外は歩いてばかりの私が、よく考えてきたかどうかは謎ですが。
時間を置いて、読み返したい素敵な一冊になりました。
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投稿者:イシカミハサミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ゴリラ研究の最前線。
小説の最前線。
なかなかない交わりだからこその
深い内容だった。
現実の動物を対象にしているからこそ、
架空の、人間を対象にする小説では踏み込めない
領域にどんどん入っていける。
小説として完成されたとき、
どれほどの光景が削がれてしまっているのか、
考えずにはいられない。
「人間てそうなのか」と、ゴリラを通して知る
2024/09/29 07:23
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投稿者:大阪の北国ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
対談なので読みやすくわかり易い。特に小川洋子先生の科学談義は読者が学術的な専門知識を持ち合わせていないことを前提にしているため、平易に高名な学者先生の説明を引き出して下さる。山極先生はゴリラ研究において当代一の研究者であり、その一端を大変わかり易く聞けたことはありがたい。
山極先生ご自身が仰っている如く、ゴリラや霊長類の研究を通して、実は人間の行動、ひいては「人間とはいかなる生物か」を知る大きな手掛かりとなるのである。私もそうなのだが、ゴリラそのものの動物学的研究成果に興味はない。そうではなく、ゴリラ・チンパンジー・オランウータン・サルなどの研究を通して見えてくる人間そのものの行動原理に本書を読みながら引きずり込まれていった。また本書で面白かったのは、行動に加えて「コトバ」の発明とそれが単なる伝達手段を超えて「思考の道具」として担ってきた大きな役割、言い換えれば「コトバ自身が自己成長するなかで生まれてきた哲学などの形而上的思考」は人間を規定する大きな要因になっていることを言葉の海に生きる作家、小川先生と語り合っているくだりである。
また、仲間たちと共生する動物としてその生き方、森からサバンナに出たときに人間に起こったこと、「生物学的男らしさ女らしさ」は当然のことながら男女同権意識だけでは払拭も克服もできず誤った結論を導くこと、子供を殺すゴリラの習性、遊びや家族愛と性行動、父親の役割など読み進めて「なるほど」と頷くこと頻りである。ゴリラ学、そして「人間学」を知る入口として読み応えのある一冊であった。
後半には舞台を屋久島に移し、山極先生が小川先生とその大自然の中を歩きながらサル、そして人間の本質について語ってくれる。屋久島紀行としても楽しめた。
おもしろい組み合わせの対談
2022/04/05 11:48
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
私が大好きな作家の一人、小川洋子氏と、ゴリラ研究の第一人者、山極寿一氏二人による、まるごとゴリラについての対談本。興味深かったのは、ゴリラはこどもを殺すということ(殺すのは自分の子供ではないとのこと)、強いゴリラを育てていくための手段だという
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
屋久島へ行った時のことが書かれている辺りから一気読みでした。ゴリラの生態のお話は、どちらかというと、興味のない者には、そんなに面白くはなかったのですが……。
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非常に面白かった。
ゴリラや他の霊長類との比較でヒトを知る、と要約してしまうとつまらないのだが、いろいろ考えさせられながら、ユーモアもありつつ叙情的な対談。
言葉というのは、長い進化の歴史の中ではまだ新しいからどこか安っぽいんだとか
樹上生活の哺乳類がコウモリとサルに分かれ、飛ぶ方を選ばなかったサルは、鳥になりたかったという思いがあり、同じ祖先から分かれた我々は、その思いを受け継いで、今も飛ぶことに憧れるのではないかとか
家族、社会、性、様々なことについて。
お二人の語り口も実にいい。
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小川洋子さん相手だけれど、前半はゴリラや生物の話がほとんどだった。ほ乳類の中でコウモリは飛ぶ能力を身につけたかわりに、夜の世界にとどまったなどなど、前半にもいくつも興味深い話はあるのだが、何と言っても後半、屋久島に行ってからの二人の話が抜群におもしろい。いやもう、二人ともその世界に入りこんでいるのだと思う。小川さんが足を滑らせた話が何度も出てくる。とても象徴的な出来事だったのだろう。ロゴスの世界で生きている小川さんを、山極先生がピュシスの世界に連れ込んだ。そんな感じがする。しかし話しているうちに、小説の世界はロゴスだけではなく、実はその奥でピュシスにつながっているということに気付いていく。いやあ、屋久島に行ってみたい。日食のとき行こうとしたがすでに宿はいっぱいだった。森の中のトイレ事情とかを聞くとちょっと二の足を踏んでしまうところもあるが、いつかはきっとその森を歩いてみたい。そしてたっぷりのピュシスを受け止めたい。視覚や聴覚だけでなく、触覚や嗅覚、ときには味覚も使って。
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山極さんと小川洋子の対談、まるでNHKのスイッチインタビューのようだが、ゴリラに生きることの根本を見つつ我々の存在そのものを問い直す、洞察に満ちた対談。
タイトルが素晴らしい
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生まれた時から、言葉が当たり前にある環境だから、言葉ですべての物事を定義してしまうこと自体の意味や、不可解さについて考えたことなかったな
言葉遣いなど、言葉に達者な人でありたいなあとは思っていたけれど、そのマイナス面についてもあるのね、やっぱり物事って全て両面性がある。。当たり前って危険ね
普段よく人間で(笑)話題になる恋愛、結婚、親子関係その他、人間も動物の一種と考えるとなんだか単純化された
今は特に戦争について考えさせられることが多いから、争いのテーマの部分も納得しながら読みました
共存、想像力は私にとって永遠のテーマ!
戦争が存在する理由:言葉 死者 共感性 (トーテム 農耕社会 科学 アイデンティティ 宗教)
ーそれがなぜ本性のように語られるかというと、人間が言葉によって比喩の能力を手に入れたから。
ーその簡単さが不気味です。簡単であればあるほど、こちらの都合によっていくらでも操作できる。誇張もできるし、嘘もつける。
ーA=B.B=A コップという言葉とコップそのもの、テロリストとイスラム教徒
本来間違っている理論をすんなり通してしまう通路
ーもともと違うものを、同じ価値基準でまとめ上げる〜言葉を使うというのは、世界を切り取って、当てはめて、非常に効率的に自分の都合のいいように整理しなおすってこと
ー現代の人間は、その一体感が進むあまり、集団の中に自分を没入させて尽くすような意識に行きついてしまいました。他者のためとは違う、集団のため。これは動物には絶対にない心の在り方です。
言葉の網ですくい切れないものが溢れている世界に、つい最近まで人間は他の動物と一緒に暮らしていた。言葉に頼れば頼るほど、僕たちの世界はそれ以前に獲得した豊かな世界から離れていく。それは生物としての人間にとってあまりにももったいない損失なのではないか。〜長い進化の歴史を通じて鍛え上げてきた感性の中に言葉を調和させることで、より幸福な世界を手にすることができるのではないか〜
それぞれの生物に与えられた時間があり、それをあるがままに生きるのが生命の営みというものだ。それぞれの生物は持って生まれた能力に従って世界を構築している。〜
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タイトルや表紙からは、ゴリラの生態やコミュニケーションに関する本のように見えるかもしれないが、それに留まるものではない。
言葉を使わないコミュニケーションを実践してきた山極氏。言葉で表せないものを言葉で伝えるという難題に常に取り組む小川氏。霊長類学者と小説家が、言葉という接点を通じて、人類の来し方行く末を考える対談である。
人間はどういうわけで自然界から逸脱してきたのか。特に、人間が言葉を得たことの功罪について考えさせられる。
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霊長類学者山際寿一と作家小川洋子の対談集。山際さんは京都大学学長になる人を巻き込む言い方が出きる人だなと感じ入った。小川さんは対話する人のこれまでの経験や記憶のかけらをうまく言葉にさせる力がある人だなと思った。山際さんの人だけが持つ家族を結びつけるものを愛と叫ばせたのは、小川さんの力だなと思い、吉本の対幻想を思い起こさせた。ゴリラの子殺しの話は結局原因が自分の子供を残したい雄の欲望の発露なのか、人に生息域を狭められたことによる反動なのか結論が出ていない。なんとも陰鬱な話だがゴリラもチンパンジーも子殺しをするなら、人間の児童虐待も動物としての性なのかとも思ってしまった。さまざまな感慨を生む刺激に満ちた対談である。
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ゴリラについて作家と霊長類学者が語り合う。言葉を持たない霊長類を研究するには、彼らの活動を言語化しなければならない。その過程でいろいろな発見がなされるわけであるが、作家の想像力と学者の観察力が出合い、ゴリラを介在して二人が見出したものを言語化していくのを読むのは有益であり、楽しい。
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ゴリラを通して人間を推し量る良著だと思う。
驚いたのは、ゴリラも同種の子どもを殺す行為をすることがあること。しかもそれは、ひょっとしたら人間がゴリラの生息地を追いやったことに起因するかもしれないこと。
つくづく人間は何のために生きているのかと疑問に思う。自分たちだけさえよければいいという考えの、単なる傲慢な種だとしか思えない。
戦争や殺人が絶えない。人種差別も未だにある。どうしたら人間の傲慢さを打ち消すことができるのだろう。無理だろうな。
それならまだ、うつ病に苦しんで生きている自分の方が害がなくていいのかもしれない
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人間の独特の能力であるフィクションを駆使して世界の可能性を紡ぎ出す作家と、サルやゴリラを通して人間を理解しようとしている研究者。この対比は、巻末に紹介される両者の往復書簡にて、研究者側が表現したものだ。本著はまさに、霊長類が保有する物語や現前性について、それを比較探求する事で真理に触れんとする試み、或いは、その探求や比較の楽しさを伝える本だ。
例えば、子殺しの意味について。社会生物学的に解釈すれば、自分の子どもを殺したオスは、自分の子どもを守れなかったオスより強い。だから一層、これから作る子どもを守ってくれるに違いない、とメスが見なす。こうした仮説は、人間側が自らの感性でゴリラ側に当て嵌めた物語だが、その証拠も出てきているとの事。そこには進化論的意義、遺伝子の利己性と共に、種全体の社会的関係性が関与する。メスが抵抗仕切れない肉体的差異とか、殺しが容認される社会形態とか、それでも全滅はしない合理性とか。他にも、オランウータンを除く昼行性の霊長類では、メス単独、メスだけの集団は存在しないが、オスは単独やオスだけの集団は見られるなど。
では人間は。人間ばかりが、自然に反する独自の物語を用いて、その自然状態を意識的、持続的に変更させていく。フィクションはまさしく人工物であり、言葉の意味を組み合わせる事で、複雑な社会形成を可能にした。同じ日々を繰り返す霊長類と、日々の変化を積み重ねる霊長類の差。その原点としての言葉の海という表現は、まるで原始の海がシアノバクテリアから多様性を構築したように、一方では、変わらぬ森と共に生きるゴリラの対比。二つのアプローチによる書。素晴らしい。
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ゴリラの専門家(霊長類学者)の山極寿一さんと、小説家の小川洋子が、ひたすら対談する。対談集なので、徹底的に突き詰めるというより、ふわっと終わった感がある。学者は、霊長類のゴリラの特性から、人間との共通点、違う点、なぜ違いが出たかについて語る。小説家は、なぜ人間界にだけが戦争や暴力や強姦が起きるのかを考えている。山極さんは『言語』、それによるメタファー、そして死の記憶等の、他の動物にはない人間特有の特性だとする。それは人間が文明を築き上げた源でもあり、それがまた、戦争、暴力をも引き起こす源でもあるのか。個人的には、ゴリラの子殺しの話が興味深い。自分の子どもを殺した男ともつながれる。それは死の記憶がないから?ゴリラと人間の大きな違いは、罪の意識の有無かもと思ったが、それも言語による幻想なのか?資本主義が効率化を善とする風潮を生んだが、子育ては効率化できないもの。ゴリラを見習って共同で育てるべきと言うが、言うは易しだわなあ・・・。