- 販売開始日: 2012/05/01
- 出版社: 新潮社
- ISBN:978-4-10-115603-3
男振
著者 池波正太郎 (著)
若くして頭髪が抜け落ちる奇病を主君の嗣子・千代之助に、侮蔑された17歳の源太郎は、乱暴をはたらき監禁される。別人の小太郎を名のって生きることを許されるが、実は主君の血筋を...
男振
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商品説明
若くして頭髪が抜け落ちる奇病を主君の嗣子・千代之助に、侮蔑された17歳の源太郎は、乱暴をはたらき監禁される。別人の小太郎を名のって生きることを許されるが、実は主君の血筋をひいていたことから、お家騒動にまきこまれることになる。しかし、源太郎は、宿命的なコンプレックスを強力なエネルギーに変えて、市井の人として生きる道を拓いていく。清々しく爽やかな男の生涯。
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これぞ逸品
2006/02/15 15:45
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:伊豆川余網 - この投稿者のレビュー一覧を見る
堪能。再読して今さらながら、池波作品の風通しの良さに感銘を覚える。
本書が、今はなき「月刊太陽」に連載されていたころ、10代だった当方は関心のある特集に応じて同誌を時々購入していた。特集以外で最も夢中にさせられたのが、この小説。連載開始時、主人公・堀源太郎が自分とほぼ同齢だったこともあって、源太郎が若殿側近の俊秀として将来を約束されていたにもかかわらず突然の奇病で運命が変転してゆく展開に目が離せなくて、毎月同誌の発売が待ち遠しかった。
いま、池波正太郎の年譜をひもとき、本書が連載されていた1974年を見ると(池波51歳)、唖然とせざるを得ない。前年来『鬼平犯科帳』を「オール讀物」に、『剣客商売』を「小説新潮」に、『必殺仕掛人』を「小説現代」に書き続けており、毎月の連載としてこれだけでも恐るべき筆力だが、なんとこの年1月から『真田太平記』の連載が、「週刊朝日」で始まっている(完結は1982年末)。本書の「太陽」連載は、7月号から翌年9月号だ。
もはや永遠の時代小説のヒーローとなった鬼平も梅安も秋山親子も、明治の講釈場が産んだ豪傑譚をさらに魅力的に仕立てた長編読物も、池波のスケールの広い作家活動の賜物で、我々を今も尽きること無い読書の愉悦に導いてくれる諸作を同時代に次々と紡ぎ出していた事実に改めて敬服する。だが、こうした代表作中の代表作誕生の合間に、『男振』のような佳編が産み落とされていたことは、どれほど賛嘆しても賛嘆し過ぎることはない。
本書は江戸時代を舞台にしたお家騒動ものだが、悪人らしき悪人は登場しない。主人公の将来を閉ざそうとする敵役はいるが、その実像の描写は最後までないし、物語の中盤以降主人公に及ぶ魔手も確かに卑劣ではあるが、胸が悪くなるような嫌悪感を呼び起こすようには描かれていない。かといって、本書が底の浅い通俗小説かというと、まったく違う。巧みなストーリーと、女性も含めて魅力的な脇役という定石は当然ながら、そもそも主人公に突然起こった奇禍の設定が、抜群だった。この設定を少しでも誤ると、話は陰惨もしくは猟奇趣味を帯びるか、逆に滑稽過ぎて共感に至ることは絶対なかっただろう。
人は同情されるよりも嘲笑されることで、さらに身の不運を呪う。若者であればなおさらで、等身大の人間としての主人公の悩みを真摯にとらえ、脂の乗り切った手練の作家が自在の表現力で描いたとき、繰り返し賞味し得るまことに愛すべき一編となった。
魅力的な場面はいくつもあるが、前半、牢にあって温かい麦飯に食感を覚える箇所などは、物語が緊迫の連続だけにまことに効果的で、これはもう鬼平をはじめとするシリーズ諸作の食事場面に負けない鮮やかさ。また終盤、「男振」という題名の意味が明らかになる場面も、ここまで読み進んできた読者の胸の奥に必ずや熱い潮を満たさずにはおかない。
再読してもうひとつ思うのは、作者が、「月刊太陽」という、いわば趣味の良い雑誌への連載ということをかなり意識していたのではないかということと、その成功だ。鬼平なり梅安なりでは、市井の裏面が舞台だけに、男女の描写は随分となまめかしい体臭が漂い、それが娯楽小説の身上にもなっている。だが、本書では、奇禍に襲われても(あるいはそういう境遇であればこそ)、女性への本能を抑えきれない若者特有のエロスがきわめて上品に描かれており、そこがまた再読していて好ましかった。「オール讀物」や「小説現代」の読者にはやや欲求不満だったかも知れないが、それは池波の意図したことだったろう。
フルコースで味わう濃厚な食材だけが食の魅力ではない。淡淡とした一品ながら、玩味すべき逸品というのもある。
いまやそれらがすべて、手軽に味わえる。池波への敬意と感謝は計り知れない。
時代小説を超えた池波の真髄
2011/10/16 21:50
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ドン・キホーテ - この投稿者のレビュー一覧を見る
池波正太郎の長編時代小説である。主人公は某藩で藩主の子息の遊び相手を勤めていた。ところが、何かの拍子にあろうことか子息の頭を殴って、幽閉の身となった。何かの拍子というのは主人公の奇病が原因であった。このような書き出しで、ストーリーは進んでいくのだが、展開が早く、場面が次々と変化していくので飽きがこないのである。
幽閉されたが、不思議とお咎めはなかった。普通は藩主の子息の頭を殴れば、お咎めがあってしかるべきであろう。そこで読者に何等かのひっかかりを与える。続いて数年を経てまたしても異常事態が発生するが、この際も監禁されたが、それ以外はとくに罰は下されなかった。名前を変えさせられた程度であった。
この辺りからこの主人公には何かの出生上の秘密があると読者に確信させるわけである。藩に仕える武士とその子息である主人公の親子の情愛が描かれている。当然、二十一世紀の現代とは社会の有り様が全く異なるし、とてもこのような関係はありえないと思うのだが、実にうらやましい父子の関係である。父親が子の躾に関心を持たなくなる現代である。というより子の躾に気を配る時を与えてくれない社会になってしまったのか。いずれにしてもここで描かれているような父子の関係は、父が子に接する仕方が今のような接し方では到底為し得ないものであろう。
池波は一地方の藩に関わる御家騒動を描いているのだが、その設定を借りて幕府とは異なる事情を抱える藩政の一端を読者に紹介しているようだ。藩主は地元と江戸を定期的に往来しなければならないが、藩主にとっては地元を留守にしている間が一つの大きな危機であることが分かる。
この主人公の生き方は読者にとっては異論があるかもしれないが、そう思わせるように池波がリーダーとしての素養十分な性格を設定しているのであろう。資質はあり、家柄もあるにも関わらず、わが道を行く主人公もある。その結果、うまく収まるし、主人公自身の幸福もあることを池波は描きたかったのかもしれない。時代を越えた男の生き方を描いた池波正太郎ならではの作品であった。
文章もタイトルも、村上豊さんの表紙も、秀逸でした。
2020/01/18 10:29
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:satonoaki - この投稿者のレビュー一覧を見る
池波作品を多数読んでいるわけではありません。
『鬼平犯科帳』も、馴染めずに途中で放り出してしまっています。
しかし、『男振』、これは一気に読んでしまいました。
武家ゆえに己の運命を振り回されてしまった源太郎でしたが、世話になった人たちのことを忘れず、武家を離れて自分の道を切り拓いていった生き方に、胸が熱くなりました。
良き心を持った人には、良き人が集まってくるといわれますが、源太郎を見ると「まさに」と思います。
お順も、出てくる場面は抑え気味の回数で少なめでしたが、少ないからこその描き方だと思います。
歳を重ねた私ですが、今からでもお順のような心根で生きていこうと思いました。