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2007.06.11
「神の子どもたちはみな踊る」「かえるくん、東京を救う」「糖蜜パイ」の三篇がよかったです。
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○2008/05/02
記念すべきカウント100は村上さんでした。
嫌いじゃないんだけど読んでる最中から、なんか、違うなぁ、とずっと思っていた。
連作短編だと言うんで各話すこしずつ繋がってたりするのかな、とか思ってたけど、題材が共通してる、というわけか。
一番気に入ったのが、タイランド。たぶん加納さんの沙羅は和子の…の天使の都、だと思うんだけど、なんだか読んでるとそれが浮かんできた。シチュエーションが似てただけなのかもしれないけど、ただ心を癒して帰っていくだけではないところ、とかかな。
わたしの好きなはずの文章の持つ雰囲気がしみこんでこなくて、素直に入り込めなかった。
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2004年4月4日読了。
初村上春樹作品。
意外と嫌いじゃなかった…!!というのが驚き。
でも地元の図書館にはあんまり置いてないんだよなー。
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村上さんらしく、難解なストーリーと読みやすい文章。
内容は「阪神大震災に影響された人たちの物語」のオムニバス形式
おススメは表題の「神の子どもたちはみな踊る」と「かえる君東京を救う」
特に後者に登場する人物「かえる君」の台詞回しがどれもまっすぐでカッコよく、心に響く。
村上春樹って読んでみたいけど・・・って人には十分おススメできる。
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村上春樹と出会うまでに自分は随分と道草を食っていたように思う。そもそも流行りのものに飛びつきたくないという天邪鬼である。それは昨日今日始まったことではないし、ただ単に狭量なだけとも言えるけれど、ノルウェイの森が巷間話題になっていた頃既に自分の活字人生は、小説をほとんど読まない、技術書の時代に入っていたことも一因である。しかし今こうしてこの歳になって初めて読む村上春樹は決して遅すぎたという感がない。むしろ極めて適時だとすら思える。「意味」を求めつづけていた頃の(その形容は決して完全な過去形になってしまったわけではないけれど)性急な自分に、今、村上春樹を読んで味わえている「何か」を感じられただろうか。その疑問に対する答えが否定的であることは、余りにも確信可能である。
求める、という言葉で、「意味はどこかにきちんと存在していて、ちゃんとした手順を踏めば目の前に現れてくるものだ」という認識のもとに取る行動を、ここでは指しているつもりなのだが、そこには、意味という存在を何か命名し得るものへ還元することのような心持も含んでいる。つまり、本を読めば文字があり、文字を辿れば論理が立ち上がり、論理の結果ないしその過程全般が「意味」ということなのだ、という認識だ。若い時、その明快な過程に投影し得ないものは理解の対象外であり、無意味であると思ってきた。
もちろん意味は決して、記号と実体という直線的な二項間の関係の中に存在するものではない、と今は気づいている。解るということは、不意に何かの投影された像が、記号と実体の間に飛び込んでくる、ということである。それを文脈のなせる業といってしまえば言い得るのかも知れないが(そして「神の子どもたちはみな踊る」において阪神淡路地震がその文脈なのかも知れないが)、意味なんてものは頭が理解するより先に身体の中に入り込んでしまうものじゃないかと思うようになった今では、そんな還元的な言葉の外にあるものが(そしてそんな判り易すぎる隠喩じゃないものが)意味であって、若い頃の自分が無意味と投げ捨てていたものを丁寧に手にとってみようとする行為が、行為そのものが意味を成り立たせているんだろうと思うのである。還元することはどこまでも平たいけれど、行為は立体的な次元を付与する。
そんな頭の隅の思いをちらちらと振り返りながら村上春樹の短篇を読んでいると、この中途で投げ出されたような文章たちの結末が、実にきちんと意味を持っていることに気づくのだ。それは単に文章を読むということを越えて、何か描かれている行為を追従するような心の動きによって初めて立ち上がる「意味」で、ひょっとするとそれがどういうことだか言葉には還元し得ないようなものなのかも知れないと思う。それは決して常に同じ答えに辿り着くような過程ではなくて、もっと開かれた何かを志向している文章だ。翻訳された文章のようであると評されることもある村上春樹の言葉遣いは、その記号に染み付いた「意味」様のものから自由になるために必要なことなんだろう。少なくとも自分にとってはそう作用する。
と同時に、何故自分が柴崎友香やレイモンド・カーヴァーを気に入っているのか、その理由も教えてくれる、そんな村上春樹読みなのだった。
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村上春樹の作品で一番好きみたいです。
いつも何かを考えさせられるから好きなんですが、なんか今回は。いや今回も考えさせられましたがね。なんか晴れやかな、いつもと違う感じがしました。
これはいい!!
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神戸での阪神淡路大震災が全ての話に出てくる。
うーん、いまいちわからんなあって思う作品もあるんだけど、魅力的で次のページ次のページってページをめくる手が止まらない。
どれも素敵だけど「蜂蜜パイ」が特によかった。
かえるくんは元々ファンだからね!いいね、かえるくん!
出てくる登場人物が、輝いてる底抜けに明るい人間ではなく、どちらかというと素朴に生きて落ち着いていて派出てていない人ばかり。
不思議な雰囲気がする。
こわいなあ、ぶきみだなあとか思いながらも
読みたくて仕方なくなる。
なんか神秘的な匂いがするんだ。
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村上印の"僕"を封印し、一貫して神の視点"3人称"で語られる野心的な連作。
時期的にちょうど阪神大震災と地下鉄サリン事件がおこった、たった数か月に書かれた全6作品。
ぽいぽいスピーディーに短編を量産するのは、氏が自ら影響を公言するフィッツジェラルドの手法だし、「蜂蜜パイ」で描かれる主人公にも、そのスタイルが投影されている。
というのは、広告批評のロングインタビューでの後知恵。
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村上春樹の短編集作品。
村上春樹独特の消化不良感(でもどこか満腹・満足感)が最高です
逆にこれがたまらないです。
そしてどの話も秀逸で何かしら心に残してくれます。
手にとって後悔がないと私は思いました。
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09/09/14★★★☆
2回目。短編集
阪神大震災の後に6人の主人公に起きた出来事を書く
それぞれは全く関係がないが、時期(震災後)だけがほぼ一致している。
「神の子どもたちはみな踊る」
「かえるくん、東京を救う」
この二つがおもしろい。
前者は宗教者の親をもつ子供の話、少し1Q84にリンクする部分がある
後者は村上春樹の独特のくだらないユーモアが溢れてる。
「かえるくんが地下のミミズくんと戦う」なんてアホみたい
あと「アイロンのある風景」もいいです。
冬の海辺での焚き火が登場人物の過去と現在を照らす
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阪神大震災が背後にちらつく。はちみつのパイが食べたくなりました。あまりにも最初のきれいな旦那様が気の毒で。
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焚き火をする男に、自分には何もないんだと語って涙する女の子。深い虚無感を何とか救い上げようとする男の暖かさが印象的な「アイロンのある風景」がよかった。これからは希望を書いていくんだ、という「蜂蜜パイ」も村上自身の変化を物語る力強く感動的な宣言だ。陽炎のようなノスタルジアに拘泥していられなくなった、シビアになってゆく現在へとつながる日本の空気をも反映しているようだ。
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球場でのシーンがとても印象に残っていて、
ふとした時に思い出してしまうことがあります。
このように思わせる作品はなかなかありません。
他の作者と何が違うからなのかは説明ができないのですが、
そのように印象を残す書き方ができるところが村上春樹の
凄いところであり、私が魅かれているところだと思っています。
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そうだ、僕に蜂蜜を採る才能があって、彼女に蜂蜜パイをつくる才能があれば、僕らの間にはくだらない意味づけや契約事項なんか入り込む余地もなく、ずっと一緒にいられるのに。
僕には、あるいはひとりの人間には必ずその隣に誰かのための然るべき場所があって、人間として正しい人生を歩むということは、つまりその場所を占める然るべき誰かと一緒になって幸せに暮らすということなのだろうか。もしそうだとすれば、僕はその誰かを見つけなくてはいけません。でもたぶん、僕にはその然るべき相手を見つける才能が欠落しているんでしょう。もし仮に運良く彼女を見つけても、青天の霹靂のように大地が真っ二つに割れて僕らは離ればなれになってしまう、そんな気がします。
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これ短編集なんですよね、勝手に長編と思い込んで、読んでみたいと思ってたのですが…。
やっぱり、村上春樹さんの作品って不思議。
ファンタジックな雰囲気を醸し出していて、問題というか、謎は全て解き明かされない。
だけど歯がゆさが残るような不完全燃焼でもなく。
このファンタジックな感じが、好きなんだよね。