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舞踏会へ向かう三人の農夫 みんなのレビュー
- リチャード・パワーズ (著), 柴田 元幸 (訳)
- 税込価格:3,740円(34pt)
- 出版社:みすず書房
- 発行年月:2000.4
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高い評価の役に立ったレビュー
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2002/02/01 12:07
1枚のモノクロ写真から複数の人生を紡ぎ上げた物語。そして、大戦や技術開発の歴史、写真が可能にしたこと、自動車王フォードや偉大なる女優サラ・ベルナールの影響力など「20世紀」を注ぎ込んだ巨大な本。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
読んでいる途中で背筋がぞくっとした。これはすごいや…と。
はじめのうちは、小さく砕けた瓦礫を拾い集めるような作業を余儀なくされる本がある。きらっと光ったり、きれいに彩色されているから、その断片に引き寄せられつつ大切に読んでいく。すると、やがてやってくるのだ。その瓦礫をすべてつなぎ合わせたときにそびえ立つ、大伽藍の姿が目に浮かぶ瞬間が…。これは、そんな小説だった。建物全体が見えるような気がしたとき、ぞくっという感じが襲ってきた。
弱冠24歳の若者が書いた小説なのだそうである。絶対誰も読まないだろうという確信の元に(ちょっと嫌味な矜持に思えるけど)、小説など書くのはこれが最初で最後だと思って、とことん自由に、自分の知っていることを片っ端からつぎ込んで書いたということである。だからなんだろう。ひとつのパーソナリティーが持つ興味が、ホログラフィーのように様々な色できらめいたり、奥に別な像がいくつか見えたりして、結果として数限りないパーソナリティーを読者の目の前に出現させる。
決して余計なおしゃべりではなく、教養のひけらかしでもなく、流れをもった物語がよじり上げられている。だが、ちょっと本を置いてコーヒーを入れたり、スピンをはさんで続きを次の日に読むようにしておくと、「あれ、これって写真論だったかな」「二つの大戦を書いた歴史の本だっけ?」「ヘンリー・フォードの伝記みたいだな」「小説技法についての本じゃなかったよな」という具合に、小説以外のいろいろな要素が現れているのである。「逸脱」というのではない。小説というのは、これだけ多くのことを取り込める器なのだと感心させられてしまう。
20世紀を射程に入れたような小説って、日本でもこれから生まれてくるのかもしれない。というか、是非そういうものを読んでみたいと思うのだけれど、パワーズのすごさは、たかだか1枚のモノクロ写真に触発されることで、それを書き上げてしまったことだと思う。
1914年、屋外での撮影が一般的ではなかった時期に、ドイツの写真家ザンダーが撮った「舞踏会へ向かう三人の農夫」の肖像写真。ぬかるんだ農道を着つけない礼装で歩く彼らが、ひょいとこちらを振り返った瞬間が捉えられている。不思議な表情だ。農夫たちがこんなにめかし込むのは、5月祭であろう。5月1日という日付には、やがて起きるロシア革命を連想させるものがある。まもなくやってくる1914年6月末にはバルカンで大事件が起こり、それをきっかけにヨーロッパは戦火に包まれていく。
この農夫たちは、ドイツ人であろうか。支配階級に雇われた者たちなら、国境を越えて来ていることも考えられる…作者はこのように想像を拓げていき、三人に収斂させる多数のパーソナリティーを生み出していくのだ。
たまたま訪れたデトロイト美術館でこの写真に魅せられ、調べたくなった「私」の思索の軌跡。高所から眺めたパレードのなかにいた19世紀の格好をした赤毛の女に目を留め、彼女の身元を追うジャーナリストの言動。この二人の物語は現代(1980年代)に端を発し、やがて時空を超えていく。
そして、写真の男たちそれぞれが辿ってきた過去、それから辿る運命を追っていく1910年代のストーリーが、現代に向かって流れていく。読者は基本的には3つの物語を読み取っていく仕掛けになっている。皮肉やジョークがふんだんな凝った文体で…。
欧米の100年間を描こうとした大いなる試みに感銘する。
低い評価の役に立ったレビュー
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2000/10/17 21:15
日本経済新聞2000/5/21朝刊
投稿者:青山 南 - この投稿者のレビュー一覧を見る
一九一〇年代というのはたいした時代で、フォードはいよいよ大衆車を普及させ、ラジオもそろそろはじまり、距離というものを短縮するテクノロジーがいっきにすすみはじめたときだった。スピードをなにより重視する未来主義が注目を浴びたのもこの時期だが、もちろん、ロシア革命と第一次世界大戦の時代でもあった。大変な激動期だったのだ。
『舞踏会へ向かう三人の農夫』は、テクノロジーと戦争の二十世紀の始まりを告げたその時代のど真ん中に、一枚の写真を手掛かりにしてはいっていこうとする大作である。写真というのは、帽子にスーツにステッキという洒落た姿で田舎の泥道を歩いていく三人の男たちを写したもので、かれらは、きみたち、ちょっと、という写真家の声にうながされたかのように、こっちを見ている。一九一四年にドイツの田舎でドイツの写真家が撮ったものだ。
小説は、いちおう、三つの話でできている。一つ目は、一九八〇年代に生きるあるアメリカ人が車の都(といっても、当時は日本の大攻勢で息もたえだえだった)デトロイトの美術館でこの写真を偶然見て、おや、おれに似ているやつが写っている、と思い、いろいろと調査研究していく話。
二つ目は、やはり一九八〇年代で、べつなアメリカ人が、あるパレードで見知らぬ美女にほれこみ、その行方を追ううちに、問題の写真とでくわすことになるという話。
そして三つ目は、当の写真の三人が、その後どんな運命をたどったか、を追跡していく話で、これは一九一〇年代がおもな舞台だ。三人は戦争に参加し、さんざんな目にあうことになる。
これら三つが、読み進むにつれてゆっくりからまってくるのだが、歴史やテクノロジーについての知識をつぎつぎぶちまけて話を展開させていこうとする作者のパワーがすごい。書いたのは二十四歳の時だというが、若さの力か。ドタバタ喜劇調になったり写真談義になったり技術論になったり千変万化する語り口の妙にも圧倒される。
(C) 日本経済新聞社 1997-2000
紙の本
1枚のモノクロ写真から複数の人生を紡ぎ上げた物語。そして、大戦や技術開発の歴史、写真が可能にしたこと、自動車王フォードや偉大なる女優サラ・ベルナールの影響力など「20世紀」を注ぎ込んだ巨大な本。
2002/02/01 12:07
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
読んでいる途中で背筋がぞくっとした。これはすごいや…と。
はじめのうちは、小さく砕けた瓦礫を拾い集めるような作業を余儀なくされる本がある。きらっと光ったり、きれいに彩色されているから、その断片に引き寄せられつつ大切に読んでいく。すると、やがてやってくるのだ。その瓦礫をすべてつなぎ合わせたときにそびえ立つ、大伽藍の姿が目に浮かぶ瞬間が…。これは、そんな小説だった。建物全体が見えるような気がしたとき、ぞくっという感じが襲ってきた。
弱冠24歳の若者が書いた小説なのだそうである。絶対誰も読まないだろうという確信の元に(ちょっと嫌味な矜持に思えるけど)、小説など書くのはこれが最初で最後だと思って、とことん自由に、自分の知っていることを片っ端からつぎ込んで書いたということである。だからなんだろう。ひとつのパーソナリティーが持つ興味が、ホログラフィーのように様々な色できらめいたり、奥に別な像がいくつか見えたりして、結果として数限りないパーソナリティーを読者の目の前に出現させる。
決して余計なおしゃべりではなく、教養のひけらかしでもなく、流れをもった物語がよじり上げられている。だが、ちょっと本を置いてコーヒーを入れたり、スピンをはさんで続きを次の日に読むようにしておくと、「あれ、これって写真論だったかな」「二つの大戦を書いた歴史の本だっけ?」「ヘンリー・フォードの伝記みたいだな」「小説技法についての本じゃなかったよな」という具合に、小説以外のいろいろな要素が現れているのである。「逸脱」というのではない。小説というのは、これだけ多くのことを取り込める器なのだと感心させられてしまう。
20世紀を射程に入れたような小説って、日本でもこれから生まれてくるのかもしれない。というか、是非そういうものを読んでみたいと思うのだけれど、パワーズのすごさは、たかだか1枚のモノクロ写真に触発されることで、それを書き上げてしまったことだと思う。
1914年、屋外での撮影が一般的ではなかった時期に、ドイツの写真家ザンダーが撮った「舞踏会へ向かう三人の農夫」の肖像写真。ぬかるんだ農道を着つけない礼装で歩く彼らが、ひょいとこちらを振り返った瞬間が捉えられている。不思議な表情だ。農夫たちがこんなにめかし込むのは、5月祭であろう。5月1日という日付には、やがて起きるロシア革命を連想させるものがある。まもなくやってくる1914年6月末にはバルカンで大事件が起こり、それをきっかけにヨーロッパは戦火に包まれていく。
この農夫たちは、ドイツ人であろうか。支配階級に雇われた者たちなら、国境を越えて来ていることも考えられる…作者はこのように想像を拓げていき、三人に収斂させる多数のパーソナリティーを生み出していくのだ。
たまたま訪れたデトロイト美術館でこの写真に魅せられ、調べたくなった「私」の思索の軌跡。高所から眺めたパレードのなかにいた19世紀の格好をした赤毛の女に目を留め、彼女の身元を追うジャーナリストの言動。この二人の物語は現代(1980年代)に端を発し、やがて時空を超えていく。
そして、写真の男たちそれぞれが辿ってきた過去、それから辿る運命を追っていく1910年代のストーリーが、現代に向かって流れていく。読者は基本的には3つの物語を読み取っていく仕掛けになっている。皮肉やジョークがふんだんな凝った文体で…。
欧米の100年間を描こうとした大いなる試みに感銘する。
紙の本
日本経済新聞2000/5/21朝刊
2000/10/17 21:15
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:青山 南 - この投稿者のレビュー一覧を見る
一九一〇年代というのはたいした時代で、フォードはいよいよ大衆車を普及させ、ラジオもそろそろはじまり、距離というものを短縮するテクノロジーがいっきにすすみはじめたときだった。スピードをなにより重視する未来主義が注目を浴びたのもこの時期だが、もちろん、ロシア革命と第一次世界大戦の時代でもあった。大変な激動期だったのだ。
『舞踏会へ向かう三人の農夫』は、テクノロジーと戦争の二十世紀の始まりを告げたその時代のど真ん中に、一枚の写真を手掛かりにしてはいっていこうとする大作である。写真というのは、帽子にスーツにステッキという洒落た姿で田舎の泥道を歩いていく三人の男たちを写したもので、かれらは、きみたち、ちょっと、という写真家の声にうながされたかのように、こっちを見ている。一九一四年にドイツの田舎でドイツの写真家が撮ったものだ。
小説は、いちおう、三つの話でできている。一つ目は、一九八〇年代に生きるあるアメリカ人が車の都(といっても、当時は日本の大攻勢で息もたえだえだった)デトロイトの美術館でこの写真を偶然見て、おや、おれに似ているやつが写っている、と思い、いろいろと調査研究していく話。
二つ目は、やはり一九八〇年代で、べつなアメリカ人が、あるパレードで見知らぬ美女にほれこみ、その行方を追ううちに、問題の写真とでくわすことになるという話。
そして三つ目は、当の写真の三人が、その後どんな運命をたどったか、を追跡していく話で、これは一九一〇年代がおもな舞台だ。三人は戦争に参加し、さんざんな目にあうことになる。
これら三つが、読み進むにつれてゆっくりからまってくるのだが、歴史やテクノロジーについての知識をつぎつぎぶちまけて話を展開させていこうとする作者のパワーがすごい。書いたのは二十四歳の時だというが、若さの力か。ドタバタ喜劇調になったり写真談義になったり技術論になったり千変万化する語り口の妙にも圧倒される。
(C) 日本経済新聞社 1997-2000