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紙の本
日本経済新聞2000/6/18朝刊
2000/10/21 00:15
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投稿者:柏木 博 - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題になっている「民俗の知」とは、人々の「ことば」を媒介にして「からだ」と「こころ」に蓄積される社会的・文化的な知であり、また、ピエール・ブルデューが使った概念「プラティック」(慣習的実践)として身体的営みを決定づけているものだと著者は説明している。そうした「民俗の知」は不変なものではないし、権力あるいはシステムに取り込まれることもあれば、時としてそれに対する「対抗的」な知としてはたらくこともある。それは、「社会的世界における、生産・労働や衣食住、信仰、人びととの交渉・結びつき」など日常生活の中で培われた「知」の領域、あるいは病や死や災害などの状況において現れる共同的な「知」の領域であるとも著者は説明している。
その説明は抽象的ではあるが、その「民俗の知」を対象にして、日本の近代化を、いわば大衆の感覚や意識の変容と再組織化として捉え、それがいったいどのような現象として現れてきたのかを、きわめて具体的な事例によって浮かび上がらせているところに、本書の特徴がある。つまり、子ども、ジェンダー、乙女や若者や母親のイメージといったものが明治以降の近代の中で、どのように再編され形成されてきたのか、そこでは教育システムや軍隊や雑誌などのメディアがどのように関わっていたのかを丹念に検討している。
たとえばかつて、子どもには神霊が憑依しやすいという信仰があり、神事で大切な役目を与えられ、清浄・無垢な存在と考えられると同時に、神事においてはその暴力性が認められてきた。それは、子どもが「ひと」(一人前)ではないとする認識によっていた。しかし、近代教育の出現によって、子どもは不完全な人なのではなく、訓練と規律によって悪から守られなければならない人(存在)へと変容していったことを、著者は分析している。
教育や軍隊やメディアがいかに短期間のうちに、わたしたちの日常生活の知を再組織していったのか、本書は説得的に解き明かしており、その面白さに思わず引き込まれてしまう。
(C) 日本経済新聞社 1997-2000
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