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H.H.は徹頭徹尾自己中心的で救いようのない変態で、シニカルでスノッブで難解な文章をこね回す鼻持ちならないいやなやつだ。それでも(それだからこそ、なのか)ラストの展開には共感や倫理を超えた強烈な一筋の聖なる光が差し込む。ホッパーの絵のような、古いアメリカの陽光を感じる空気感がすばらしい。
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第1部、予想したような古臭い本ではなく、軽快でユーモアもあり魅力のある、面白いものだった。
第2部のロリータの境遇が辛く長かったけれども。
しかし、主人公は知的で教養がある魅力的な人物で、ロリータの不幸そうな様子を無視して、自分が小悪魔に振り回される哀れな下僕と称している。これに共感し憧れる輩がいくらでもいることを思うと、小説の素晴らしさより心配が先に来る。
ロリータのような少女はなぜどのように不幸なのか、もっと考えられ、知られるように、取り上げられるといいと思う。今の社会の現象を見ると、「この本面白かった」だけでは済まない。
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「漂白された巻毛は根もとの黒い色素をあらわにし、剃られた脛のうぶ毛はとげに変わり、よく動く濡れた口はどんなに私が愛でふさいでも彼女が秘蔵する蟇のような顔つきの亡き母の肖像画のその部分と、うんざりするほどの類似性をあらわした。ハンバート・ハンバートが抱えこんだのは青白い宿なしの少女ではなくぶくぶくふとった脚の短い、やたらと胸のでっかい、知恵の足りない、ラム酒漬けのカステラみたいな女だった」ナボコフの表現は魅力的だ。大久保康雄の翻訳が凄いのか、珍しく翻訳本で文体に惹かれた。ナボコフは文学は芸術だというが、芸術の前に人の目を惹くものでなければいけない。今の時代に、この本自体がとりたてて面白いわけではない。しかし普段はまだるっこしい文学的翻訳がこれに限ってはスルスルと頭に入ってくることに驚いた。