投稿元:
レビューを見る
小学生の時何度も読んだ。
どうしてぼくのまわりには、コロボックル
がいないんだろう。切なく悲しくなった。
本を閉じた後、黒い小さな影が、視線の隅っこ
を通り過ぎる様な気がした。
るるるるって早口でコロボックルがしゃべる
のがきこえたような気がした。
いつかおちび先生のような人に出会えるのだろう
かと思いこれもまた切なかった。
投稿元:
レビューを見る
小学生のときに何度も読みました。「ふきの葉の下にいる人」というフレーズが、何かとても好きだったと思います。
投稿元:
レビューを見る
図書館で順に借りて、久しぶりに読むコロボックル物語。村上勉のさし絵がなつかしい。私は高校生の頃だったか大学に入ってだったか、うちにあった講談社文庫をせっせと読んだ。
物語の1巻『だれも知らない小さな国』が最初に出たのは1959年だという。私がうまれる10年前ではないか。それから断続的に書き継がれ、完結編の5巻『小さな国のつづきの話』は1983年、別巻の『小さな人のむかしの話』は1987年。全部読んでいたつもりだったが、5巻と別巻は記憶になくて、私は4巻までだけ読んでいたようだ。
1巻からの30年ほどの間に人間の社会はたぶん大きく変わり、コロボックルたちの社会もそれをうつしだすように変化があるなあと、読みとおして思った。
2巻の『豆つぶほどの小さないぬ』などは、はぁコロボックルの世界も「男は外、女は家内」ですかいな~と思った(むかし読んだときにはこんなことは考えなかった気がする)。
せいたかさんとおちび先生が結婚して、子どもがうまれ、そうすると、おちび先生の呼び名は「ママ先生」になる。しかし、せいたかさんが「パパさん」と呼ばれたりはしない。
おちび先生=ママ先生の、世話役のコロボックルも代替わりして、「クルミノヒメ」から「おチビ」になる。そのあたりで、女のコロボックルについての説明が入る。
▼もともと女のコロボックルは、めったに小山からは出ないのだ。男は、一人まえになれば、それぞれ仕事がわりあてられ、"狩り"にも出る。むかしとちがって、ほしいものはせいたかさんにたのめば、なんでも手にはいるが、世話役の考えで、なるべくいまでも、自分たちで手に入れるようにしている。そのために小山の外に出るのが、狩りだ。
女は狩りに出ない。…(p.19)
こんなあたりを読みながら、「人間のつくった神さまは人間のかたちをしてる」というんだったか、そういうのを思い出した。人間の社会はこういうもんでっせー、というのをなぞるように、物語も書かれるんかな~と思ったりした。
その、おちび先生=ママ先生の世話役になったおチビは、コロボックルの印刷工場(ここも男のコロボックルばっかり)で、工場長になる。そこに、こんなコメントが入る。
「…この工場長は、女のくせに、機械をいじらせると、サクランボにまけない、いいうでをもっているのがわかって、ぼくたちをますますびっくりさせた。」(p.243)
「女のくせに」というのはここではきっとホメ言葉なのだろう(サクランボは、男のコロボックルである)。だが、女はこんなことはできないものなのだという前提がうかがえるだけに、ビミョーな気持ちになる。第2巻には、いろいろとこんなところがある。
あるときママ先生が、自分も「やとってもらえないでしょうか」と、夫のせいたかさんに言うと、せいたかさんは「どうしよう。給仕にでも使うことにしようか」とコロボックルと相談する。
「給仕の仕事って、どんなことがあるかしら」とママ先生が訊くと、「まず、お茶くみとそうじ。それから、えんぴつけずり、手紙の整理もあるね」と答えが返る。
「���仕(きゅうじ)」というと、父の父、私からすると祖父にあたる人が、「給仕」として働いていたことがあるという話を思い出す。
男と女の仕事がずいぶんきっぱり分かれていたと見えるコロボックルの国にも、時代の変化はある。5巻では、図書館でつとめるヘンな人・杉岡正子と、その正子とトモダチになる「ツクシンボ」という女のコロボックルが出てくる。このツクシンボは、それまで女のコロボックルがしなかったようなことをやっていく存在として書かれている。コロボックル通信社の通信員をしているツクシンボは、2巻に出てきたおチビや、天才少女として知られたオハナ(この5巻で、せいたかさんとママ先生の娘・おチャメさんの連絡係に選ばれている)のような性質をもっていて、またニュースの目のつけどころがおもしろいと言われる存在である。
▼もともと、女のコロボックルは、おとなになってもコロボックルの領地である小山から、あまり外へは出たがらない。長いあいだ、女は狩りにでることを禁じられていたので、そんな気風がまだ尾をひいているのである。しかし、この古い考えも、ツクシンボのようなわかいむすめたちによって、少しずつあらためられはじめていた。(pp.60-61)
もちろんツクシンボにしても、その母親から「おまえ、いったい外でなにをしているの。すこしはおちついて、女らしい仕事もおぼえなくちゃ、お嫁のもらい手がありませんよ。」(p.61)と言われたりはするのだが。
2巻を読んだときには、コロボックルの世界の「女の役割/男の役割」が気になったりはしたけれど、続けて読んで、やっぱりこの物語はおもしろいなあと思った。まだ少しだけ番外編のような本があるようなので、近いうちに読んでみたい。それと、この夏の映画になった原作、洋モノの小人の話も、久しぶりに読んでみるつもり(こっちのノートンのシリーズは、寝る前に読んでもらった本だった)。
投稿元:
レビューを見る
このシリーズ大好きなんです!
コロボックルとは小人のことなのですが、本当に存在してそうで。
実は今でもいると思ってます。
子どもができたら、絶対読ませます。
投稿元:
レビューを見る
まじめに読むのは高校生の時以来だと思う。シリーズもたくさん読んだし、この作者の作品もたくさん読んだ。いろんな意味で影響も受けた。ふと気がつけば、僕が生まれるよりも前に書かれた作品である。今読んでもちっとも古びていないことにびっくりする。
びっくりすると言えば、読んだ印象も昔の印象とはひどく違った。つまりは初恋の話じゃないかと思いびっくりした。
昔読んだときには、もっともっと「ファンタジーというジャンル」であると意識して読んでいたような気がする。それと同時に、シリーズものの第1作という印象が強く、シリーズ全体の印象が、この作品の印象を決めていたような気がする。
つまりは、コロボックルという架空の存在を鍵とした、社会性の強い童話というイメージであり、そこにはたぶん、自然保護とかいう主張を僕は感じていたはずだ。そして、それ以上のことはあまり感じていなかった。もちろん、とっても読みやすくて楽しい話と思って好きだったのは本当だし、ものすごく楽しませてもらった。
昔読んだ印象より、ずっと素敵な物語だった。コロボックルたちと出会ってからの話ではなく、出会うまでの話がよかった。何かを「好きだな」と思い、それをずっと胸の中に暖めている感じがいい。そしてそれが、ちょっとずつ形になっていくというか、実現していく過程がスリリングで、何よりも胸がときめく。
この薄い本の中で何度も繰り返されるそのときめきを、主人公と一緒に感じているうちに、次第に自分が忘れかけていた甘酸っぱいものがよみがえってくるような気がしてくる。特に、作品の中では「露骨には」結末が出てこない二人の話が、実は一番すてきだ。
これは「初恋」の話である。それも、幸せな初恋の話である。相手が女性に限るものではない。山だったり、コロボックルたちだったり、誰も知らない小さな国だったりしても、「初恋」であることに変わりはないのである。
昔読んでもう忘れかけている人、まだ読んでいない人、子供向けの童話なんて今更読めないよ、と思っている人に読んでほしいと思う。
2009/5/8
投稿元:
レビューを見る
「この本読んだ?おぼえてる? 」「この本読んだ?おぼえてる?〈2〉—教科書で習ったお話編」より
http://www.amazon.co.jp/dp/4894321505/
http://www.amazon.co.jp/dp/4894322552/
投稿元:
レビューを見る
この本と初めて出逢ったのは、小学校5年生の頃、学校の図書館だった。
コロボックルの棲む世界に惹き込まれ、ついには自分の心の中に棲み始めた。
そんな錯覚を起こすほどに愛読した忘れられない一冊。
それから30年を過ぎた今も、私の心の中に、コロボックルは棲み続けている。
投稿元:
レビューを見る
初めて読んだのは小学生のときだったか。
このシリーズが大好きだったのに、今改めて読むと初めて読んだかのように思える。
思ったより覚えてなかった自分の頭がなさけないやら、もう一度初めて読む感動を味わえるからうれしいやら(苦笑)
投稿元:
レビューを見る
小学校の図書室で初めて読んだ、だいすきなお話。
当時は本気で探したり待ったりしていました。
今でももしかして?と思うことあり。
投稿元:
レビューを見る
小さい頃大好きだった本。懐かしくて買ってしまったけど、今読んでも全く古さを感じさせない。続きも探して読みたいな。
投稿元:
レビューを見る
【あらすじ】
こぼしさまの話が伝わる小山は、ぼくのたいせつにしている、ひみつの場所だった。ある夏の日、ぼくはとうとう見た――小川を流れていく赤い運動ぐつの中で、小指ほどしかない小さな人たちが、ぼくに向かって、かわいい手をふっているのを!
日本ではじめての本格的ファンタジーの傑作。
【感想】
投稿元:
レビューを見る
小学生の時に出会った本ですが、今でも忘れられない、私にとって原点の一冊です。
ファンタジーなのに現実的な要素がちりばめられていて、大人になって読むと当時とはまた違った読み方が出来ました。
ここまで文章の上手い人もそうそういないと思います。超おすすめ。
投稿元:
レビューを見る
この物語は、とある青年と少女が小山に住んでる小人たちに出会い、小人たちと協力しあい、小人たちに降りかかる危機をともに解決していくファンタジー小説です。読み終わったら、思わずふふふっ(・艸・●)wと笑みがこぼれ、心がほわほわほっこりします。
この作品を読んで、あたしは昔、小さい頃抱いた「秘密基地」への憧れを思い出しました。(*´∀`*)あたしだけの、あたしだけが知っている秘密の場所。結局今の今までそんな場所は見つけれてないのですが・・・、なんだか・・・、なんだかこれから見つけよう!探してみよう!(・艸・●)!そういう気持ちになりました☆
投稿元:
レビューを見る
小学校の頃夢中で読んだシリーズを再読しました。ワクワクしながら読んでいたあの頃の部屋とか空気とか・・・思いだして、なんだかセンチメンタルな気分になってしまいました。読み手それぞれの原体験に応じて、浮かぶものは異なると思うけれど、誰にとっても懐かしさを感じさせる一作だと思う。
でも恋愛の予感など・・・意外と大人な面もあったのですね~♪
投稿元:
レビューを見る
高校生くらいのとき偶然見つけた文庫本で、大好きだった
黄ばんでぼろぼろになってしまったけど、まだ持っているシリーズ8冊
この物語の小人をコロボックルと呼んでいるのだけど
小さな小さな国を造って、小人同士協力しあって
それぞれの得意なことを仕事にしたりして、
自然や虫、鳥たちと戦い協力しあい
やさしい素朴な気持ちを持って生きている
アリエッティたちと同じように、基本的には人間は危険だと思っているので
コロボックルたちは、仲間となってくれる人間を慎重に選んで生きていく
人として、一番単純で大切なことを、教えられるのではなく
感じて行くという感覚になる