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ご飯を器にもって食べられるのって、それだけで平和。器、万歳。
P9 大佛次郎 ひとりごと: その国のやきものを見ていると、その国の女たちの影かたちにつうじているような心持ちがしてくることがある。ヨーロッパの白い女たちは、自分たちが白いだけで味がなく単調なのに倦きてしまって、やたらに外を飾りたてはじめる(中略)中国の陶磁も絶頂期から末になるほど絵具の色の絢爛としたのを誇るようになった。宋あたりの形の美しい気品の高いものも、どことなく美しいが冷ややかな宮廷の官女たちを思わせる。
P10 同上:朝鮮の民家の飯茶碗から井戸を見つけ出した日本人は、たしかに視覚だけを頼ったものではない。たっぷりと豊かで大きな姿とともに、手に受けて大まかで心の休まる思いに気がついたのだと思う。装飾も画もいらなかった。(中略)模様も色も、ある限度で前進をやめてしまっているのは、過度となって邪魔をしまいとする心遣いからきている。
p135 芥川比呂志 小鉢の中の猫: デンマークの小鉢の話。試しに一本吸っただけなんだから。よく洗ったんだから(中略)猫もかわいいからさ。たべてごらんよう。
P152 中里恒子: 品がいいということ、これは単に美しいとか、高価だとか、立派だとかいうものとはどこか違った、節度というか、控えめというか、風情というようなものから滲み出ている。やりすぎない、なんとなく一本足りないような味、それでいて、その不気味な味の力づよいこと… 私は麦藁手のなかに、そういうものを感じた。