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フランス北部の田舎にある精神病院。そこに留学生として勤める日本人医師。季節は冬。作品が発表されたのは昭和42年。現在よりもはるかに遠い異国の地で、経験する異邦人としての孤独。ひたすら暗く、寂しい作品です。
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ひたすらに暗い。
登場人物一人一人の心理や
精神科医として、人間としての論理が
とても丁寧だったので
心に迫るものがあった。
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暗い作品というよりは、自分の問題意識を真剣に書き込んだ結果こうなった、という印象を受けた。そして何十年も前に書かれていながら、そうした問題意識は今なおアクチュアルであり続けている。
例えばコバヤシが抱き続ける異邦人としての引け目の感覚は、グローバル化、また日本の国際化がスローガンと化した今、確実に旧時代の遺物とみなされつつある。しかし、それは完全に克服されてはいないことを、実感をもって共感する現代の読者もいるのではないか。
後半やや説明的だと感じる箇所もあったが、この小説では一文一文の中で個々のテーマがミクロなレベルからマクロなレベルまで響きあっている。ただし非常に緻密に構成されていながら、この小説のスタイルは決して何か啓蒙の意図を持った線的なものではなく、小説内にも、読者とも、対話の余地を残している。それは、この小説の舞台が精神病院であり、狂気という未分化なものをその中心に持っていることが大きいのだろう。
快作です。
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フランスではないが、もう7年ほど海外で暮らしている。
異邦人の感覚というのは、よくわかる。
疎外感だとか、距離感などではない、
根本的に理解できない、未知である感覚。
囚人であること、狂人であること、
存在の不自由さを推し進めていけば、
おそらく個に帰結し、
囚人ですらなくなり、狂うことが狂うことですらない。
物語の舞台が、フランスの地方ではなく
諸行無常の仏教世界の土壌であったなら、
もしかしたら、クルトンは自殺する必要はなかったのではないかと
思う。
自分は、この小説を、古いとも思わなかった(個人的には普遍性を示す面白味を感じた)が、ここでの狂気を狂気と認識する時代は過ぎてしまったように思う。括弧で普遍性といって、その後に時代が過ぎたと続けるのは矛盾しているようだが、そうではなく、物語として成立する狂気としての旬が過ぎたという意味。
現代は狂気があまりにも時代の中に溶け込み、希釈されてしまってるのかもしれない。
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コバヤシが居なくなってもなにも変わらず病院では日常が過ぎる。これが異邦人かと知る。あんなに長いこと勤務した相手でもふらっと居なくなればもう去った旅人と同じ扱い、すぐに忘れ去られる。悲しいな
たかが狂った患者の言葉じゃないか。誰も本気に取りはしない
精神病者というものは、正常人のひそかにいだく観念を異常に拡大するものだ
水着姿の均整のとれた女性の肉体、ヘリオトロープとジャスミンの香り、甘い息遣い、暖かな舌、その穴の奥の赤い滑らかな熱いもの、その先の喜悦…
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この作家を発見出来、読めたのはかなりの収穫。
元々の本業は精神科医。医者というキャリアを使った小説は意外と巷に溢れているが、処女作という本作、非常に面白く作者の筆力に安心が出来た。
舞台はフランス、外人の名前がゴチャゴチャ出てくる。また元々多めである480pに加え、文字が詰まっていて小さい、体感600p超かというボリュームにも関わらず、作者独自のロジックと作品構成でグイグイ引き込まれた。彼のキャリアを最大限活かした、精神経過の描写はハッとする新鮮さがあった。