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(01)
村が氷解する、といってもよいかもしれない。初学者や学生にも取り付きやすい語り口で著されている。しかし、村という地方の自治的な性格も色濃い集団についての成立と本質について正面から取り組んだ内容になっている。
構成としては、なりたちのプロセスを順を追って説明しており、時系列に古代から近世までの村々(*02)の変遷が描かれている。また、このプロセスは、生産原理から説くハードな村の成立から、合議組織から説くソフトな村の成立までという構造(*03)も対応している。
その中で村の本質を、群がっていること、移動ができることに見定めており、定住性や水田耕作を本質とみる現代の村が失いつつある村の性格を強調している。
(02)
具体例はそれほど多いわけではなく、下北、能登、飛騨、信濃、三河、大和、備後、土佐、豊後といったあたりを例に、村のモデルが考察されている。例のサンプリングが恣意的であると指摘されることに対し、著者はたびたび予防線を張っている。しかし、この例の取り上げ方については著者に賛同したい、つまり、極端で単純な例を引くことで、村のなりたちの輪郭を現すという方法は、この主題に対しては適当であると考えられる。
(03)
村の成因について、外敵、畑と田、婚姻、税制、仏教の伝播、講組織など様々な角度から類推している。現代において「村おこし」や「地域活性化」と呼ばれる村の構造改革は、決して今だけの問題というだけでなく、村の成立の当初からの問題であることが見えてくるというだけでも、十分に一読の価値はある。