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読書について 他二篇 改版 みんなのレビュー
- ショウペンハウエル (著), 斎藤 忍随 (訳)
- 税込価格:770円(7pt)
- 出版社:岩波書店
- 発売日:1983/07/18
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文庫
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紙の本
読書をやめて、読書について考えたい夜に。
2004/11/03 02:56
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:黒耀 - この投稿者のレビュー一覧を見る
文庫にしてわずか150ページ足らず。
「読書について」という邦題のわかりやすさも手に取りやすく、この薄い文庫本を初めて私が手にしたのは中学生のときだった。
しかし眼は文字を追うもののその意味を理解することが出来ずに早々に投げ出したのが、その後もずっと記憶に残ってショウペンハウエルを読まず嫌いすることとなった。
汲めども尽きぬ泉から穴の空いた杓子で水を汲むごとく、膨大な過去から現代の出版物を全て読みつくしたいと若い日の自分は熱望していた。
まさに稚くして未だ読書を知らず、というものである。
その後も相当の齢を重ねるまで多くの知識を得るためにより多くの本を読むことが読書家のあるべき姿と考えていた。
経済的に余裕のある一時期には稀購本を入手することに夢中になったこともある。
そのとき本は競って手に入れるべき高価なオブジェであった。
そういった経過を踏んで、今漸くこの本を知ることが出来たように思う。
数十年の時を経て改めて手に取ったこの本は、わずか数十分で乾いた砂が水を吸うように私の脳に染み入ったのである。
ショウペンハウエルのなんという小気味よい叱責。
冴えわたるペンの切れ味。
「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく。」
表紙にも引用されたこの警句は現代の読書人にこそ必要なのではないだろうか。
「読書界に大騒動を起こし、出版された途端に増版を重ねるような」出版物に手を出すなとショウペンハウエルが喝破したのは今より百五十年も前のことである。
「比類なく卓越した精神の持ち主、すなわちあらゆる時代、あらゆる民族の生んだ天才の作品」が次々と絶版していくこの時代を彼は既に予想していた。
今や本は日本でもかつてそうであったように貴重なものではなく、読み捨てられる娯楽へと失墜してしまった。
オブジェとして高価な古書を買う行為も、彼に寄れば「ただしそれを読む時間も買い求めることができればである。」と鋭く斬られている。
最近、一冊の本を何度も読み返しては思索することに時間を費やすようになった自分は、もはや読みつくしたい野望を抱いた青春時代から遠く離れ、不要となった花弁が散って果実を成すように、自分だけの思想が厳選した書物の助けを借りて成熟するのを待つことを楽しむ季節を迎えたようだ。
若い日の書物への渇望も決して無駄ではなかったと受容し、その先を考える時期に来たのだろう。
氾濫する情報の奔流に流されて「読書」に迷った時、常に傍にあるはずの友人としての本が不意にわからなくなった時、この本は読書と経験により培われた人生を歩む人になら、自信を取り戻してくれる指針となるに違いない。
コーヒー一杯よりも安い、僅か百数十ページの一冊が雄弁で心強い教師となることもある。
紙の本
1851年に書かれた内容が今でも通用する
2015/08/17 03:27
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:きらきら - この投稿者のレビュー一覧を見る
「思索」「著作と文体」「読書について」の3篇から成っている。
哲学書にしては読みやすい部類に入るのだと思う。
テーマが身近だし、中身が具体的なので、比較的わかりやすい。
著者は「思索」をすることがどれほど重要なことか、どのように思索すべきか、を教えてくれる。
「もともとただ自分のいだく基本的思想にのみ真理と生命が宿る」という。
理由も説明してくれる。
「読書は思索の代用品にすぎない」ともいう。なぜなら、「読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである」からだ。
さらには、「読書に際しての心がけとしては、読まずにすます技術が非常に必要である」というのだ。
つまり、「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。」からだ。
自分の頭で考えることが大切なのは、誰もがわかっていることだが、今の時代(ショウペンハウエルが150年以上前にこの本を書いたということは、昔も同じだったのだろう)どうしても、本やインターネットで情報を得ようとしたくなるのが、普通だ。
他人が考え文章にしたものを読んだところで、自分で思索し、学ばなければ、自分のものにはなっていない、ということを教えてくれる。
第一篇の始めの部分に引用したい衝動に駆られる一文がある。
「学者とは書物を読破した人、思想家、天才とは人類の蒙をひらき、その前進を促すもので、世界という書物を直接読破した人のことである」
インターネットで世界のどこにでも仮想的に行ける感覚に陥り、写真やビデオを見て、また情報を集めてその場所へ行った気になったり、遠くの人とチャットして、その人のことを知った気になったりする今現在でも、150年年以上前に書いた哲学者の言葉が意味を持ち続けるのには感嘆する。
どれが良書で、どれが悪書なのか、見極めるのは必要だが、ショウペンハウエルは「良書を読みすぎるということもない」と保証してくれているので、判断能力が備われば、まずは安心して読書に励んでいいのだろう。
ただ、この本を読んでわかったような気になり思索するのを怠ってしまう愚行だけは避けなくてはいけない。
最後に、この哲学者は「読まずにすます技術が非常に必要」だと述べているが、そのことを訴えるために書物という媒体を選ばざるを得なかった矛盾には苦笑してしまう。
紙の本
旧くて新しい読書論
2017/01/29 06:48
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Otto - この投稿者のレビュー一覧を見る
読書術の本は数あれど、「多読の害」という切り口をズバリと説く斬新(著されたのは1861年ですが)な1冊です。
情報収集として読書をするのか、教養を涵養するための読書なのか、読書観が問われます。
紙の本
身につまされる
2017/08/13 19:09
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:藤和 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いろいろ心が痛い。
悪書を読むことは害にしかならない問うことと、そう言った悪書を蔓延らせる側にも罪は有るみたいな内容なのだけど、全体的にかなり辛辣。
本の虫や文字書きさんは一度は読んでみても良い本かも知れない。読んでみて、それから、今まで通りのスタイルと続けるか、ちょっと考えるか。そういうのも悪くない。
あと、言葉の大切さがとても身に染みる。
ネットスラングとか流行語とか、日本でも良くあるけれど、そう言う物もいずれ変わって廃れていくのかなと思うと、過去に使われていた言葉や表現を記録しておくに超したことは無いなと。
なんかもう言葉で言い表せない。
紙の本
読書について
2001/09/09 15:02
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:げっぷ5号 - この投稿者のレビュー一覧を見る
読書についてショウペンハウエルは的確かつ的を得た箴言を書き記している。読書とは人から考える力を奪い去るのである。多読家の人は要注意。本ばかり読んでいると足元をすくわれますよ。
紙の本
良書選択の指針となる。
2001/02/03 21:46
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:匿名の読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この書評をわざわざご覧いただいているということは、あなたはきっと読書に強い関心をお持ちな人であろう。ところでわれわれは何を読むべきか、どのように読むべきかということについてよく考える必要がある。毎年毎月、新刊本が大量に発行されては忘れられていく。そのようにすぐ消えてしまうような本は読むに値しない。ではどうすればよいか、ということに対して本書はひとつの回答となりうる。