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紙の本
京都が好き、日本画について知りたい、芸術と家庭の両立は可能か——といったことに興味向く人に十二分に読みごたえある大作。
2001/11/22 12:34
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投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本のモデルとなった美人画家の大家・上村松園の作品は、図工の教科書とか新聞・雑誌の記事、あるいは美術館の常設展やカレンダーなどでそれと意識せず見てきた記憶がある(ピカソでもルノアールでも東山魁偉でも、有名画家の作品との出会いというものは、特に美術好きでなくとも、どこということなく接点ができるようにあちこちに用意されているものだから)。
その記憶に残るどれもが、女性の内に秘めた情念やおどろおどろしいもの、あるいは意地の悪さといったものを感じさせない、凛とした品の良い清々しい姿と表情である。小説でも音楽でも陶芸でも、表現に向かわざるを得ない芸術肌の女性が作り出す世界であれば、そこにめらめらと燃える炎が迫ってくるような作品に心奪われる。いかにも、自分のなかのわけのわからない衝動に突き動かされて作らされたというような存在感が、その作品の価値であるかのように思ってきた。
ところが、激しい嵐のような生涯や制作姿勢がこの小説には書かれているというのに、残された作品にあるのは、はんなりと艶やかではあっても、鴨川のせせらぎのような静けさ、ぽんと響きわたる鼓やぴいーっと伸びていく笛の音ののどかな音の調べだったりする。そこのところを解説の磯田光一氏が、主人公の津也には女性の生命感の燃焼は訪れていないとして、「むしろ情熱を秘めて耐えていくストイシズムのほうが、津也にはふさわしいのである」と説明していて、なるほどなと思った。
上巻で、恩師・高木松渓の子をみごもった津也は、それを彼に告げることなく出産ののち里子に出す。そして幼き子の病死を知らされて、絵の道をまっとうするために下した選択のむごい結果に胸ひきさかれる。下巻で再び松渓の子をみごもった津也は、母の思い切った英断により、未婚の母として子と暮らしていくことを決意する。育児は母が引き受け、台所の用事は出戻りの姉が引き受けることになったので、津也は一家の主として絵を描くだけであるが、そこには、私生児を生んだことに対する世間の冷たさがあり、子の父が松渓であるのか、今の師の西内太鳳なのかと面白おかしく噂する京都画壇や関係業者の築く壁がある。いったんはそれで干された松園だけれど、陰ながら応援してくれる芸妓の口添えがきいて、良家の娘たちに絵を教えたり、自分の子ではないと確認した太鳳の破門取り消しにより息を吹き返す。そして、認知してくれない松渓の向こうを張って画業に邁進し、師に追いつき追い越していくのである。
直接表現として恨みがましい絵は描かない。能の幽玄を借りて描いた生霊が、新境地と評価されるステップはあるものの、一貫して静かで雅びな女性像を対象としていくのだ。そこに象徴としてのテーマを潜ませながら…。功成り遂げてから得た年下の男性との恋も、つまらない世間の噂によりこわされてしまい、その無念も絵に昇華させていく。反抗期を経て、津也の絵を批判し始めた息子にも歯をくいしばる場面が出てくる。が、やはり還っていく表現は変わらない。
これほどの激しさのなかから舞い上がって達した境地として、改めて上村松園の作品群を確かめてみたいと思った。
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