紙の本
講演記録
2023/08/02 15:05
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
「塩の道」「日本人と食べもの」「暮らしの形と美」の三篇からなる講演記録のような本である。講演記録だから当たり前のことであるが、読者に対して語り変えてくるような文章がとても読みやすく親しみやすい。本書が対象としている 時代地域は考えてみたら半世紀ほど前の日本の農村の姿であるのに、遠い遠い昔のような気がするのはなぜだろうか?
第三話の中に出てくる騎馬民族征服説は話としては面白いが、現代ではほぼ否定されていると聞く。著者はこの説に思い入れがあるのだろうか?
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塩が内陸に運ばれた経路と手段について、著者が山間を踏破したりして採取した資料をもとに考察されている。
昔から人は塩を手にいれることができるところに住んできた、と言ってもいいかもしれない。昔話「うまかたやまんば」の馬方が運んでいたのは干鱈。動物性蛋白と塩分を同時に運ぶ手段だったのね・・と納得。こうして読むと民俗学って楽しそうだな。
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日本における塩の歴史を数え切れないほどのフィールドワークから浮き彫りにした作品。消えゆく塩の記憶を活字にとどめてもらえたことに感謝。
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宮本先生の晩年の公演をまとめたもの。
「塩の道」「日本人と食べもの」「暮らしの形と美」の三つからなる。
タイトルの「塩の道」は特にすばらしい。
「塩は神としてまつられたことがない」というとても興味深い論説から始まり、読者の心をつかんでいく。
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本の題は『塩の道』ですが
Ⅰ塩の道
Ⅱ日本人と食べ物
Ⅲ暮らしの形と美 の3部から成る。
塩を通して、また稲作を通して日本の成り立ちを読み解こうとする。
塩は糖と違って、自分の体の中では生成できない。しかしながら、
塩は循環機能を保つためには必須のものだから、この塩を手に
入れるために古くから交易が行われていた。その塩の道をたどり
暮らしの変化を見つめてゆく。
稲作は稲の作り方だけが流布したのではなく、家族、技術や高床式
の家と一緒になって日本にやってきた。それが後々の日本の文化と
なって定着してゆく。単に食べるだけの自給ではなく、仕事をするた
めに、その地で自給して生活をたてていくといったスタイルは古くから
あったのではないでしょうか?といったところを探ってゆく。
高床式の家はやがて、障子や畳といったものを生み出してゆく。生活
様式は変化してゆくとともに、日本独特の美も生まれてゆく。
もう一度、長い歴史の間に生み出されてきた独自の文化を再評価しよ
うではありませんか?
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面白いなあ。
道具、美、習俗が一体になった世界。深いし勉強になる。
もっと読もう、勉強しよう。
戦争と人口の関係。中国の人口が戦乱期と安定期でひどく増減していることー106P
日本は違う。
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うらカバー
宮本常一、最晩年の講演
「塩の道」 「日本人と食べ物」 「暮らしの形と美」。
日本人の生きる姿を庶民の中に求めて村から村へと歩きつづけた著者の膨大な見聞と体験が中心になっている。
日本文化の基層にあるものは一色でなく、 いくつかの系譜を異にするものの複合と重なりであるという独自の史観が随所に読みとれ、 宮本民俗学の体系を知る格好の手引き書といえよう。
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塩の流通だけに終わらず、日本の至るところまでの文化、生活基盤を見事に解き明かしている。日本の文化と生活を知る上では最高の一書です。
◆稲作は中国の雲南省のあたりから戦から逃れ朝鮮を経て九州に伝わった。一方で東北ではヒエの栽培が行われていた
◆稲作をする上で最大の懸念は風であり、風を避ける為に各盆地で集落が形成される。稲作における共同作業により祭りが行われて祭祀を司る人物が統治者として必要になった。
◆稲作が伝わった当初、米は炊くのではなく蒸したと思われる。最初の稲作はもち米が多かった為に炊くと土器にへばりつく破損に繋がる。竈の発達へ。
◆戦国時代に平戸へサツマイモが伝わり水田のない地域に広がり、その後に餓死者はいなくなった。九州から大阪までの西日本では人口が増え、明治期では女性の労力が利用されて木綿織が発達
◆日本に入ってきたジャガイモはエグイモだったが、甲斐の代官である中井清太夫が改良しセイダイモを各地で流通、北海道において川田龍吉男爵が広めたから男爵イモと云われる。
◆不毛の地であった東北では月に100回味噌汁をすすり、栄養を保った。
◆強靭になったわらを利用した日本人は家族総出で藁製品を作った。藁製品は子供でも作らせたので日本人の手先の器用さに繋がった。わらをゴザの下へつけて厚みをつけて床の上へ敷くことで畳が生まれた。
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宮本先生の著作で最初に手に入れた本書は、塩を題材にした物流の原点について書かれている。地域により牛や馬を使って運ぶわけだが、最終的には運搬に使った動物も商材としてしまう。
そういえば、我が家の近くにも馬頭観音があるな、など普段気付かないようなことも考えさせられた本書であった。
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宮本常一という
民衆の生活に根ざした視点で
研究を続けた民俗学者の本。
この本には
『塩の道』『日本人と食べ物』『暮らしの形と美』
という3本の著作が入っている。
なかでも表題の『塩の道』がおもしろかった。
塩は神に祭られた例がない。という導入。
米やほかの作物は神棚に祭られるが
塩はないという。
それだけ生活に近すぎた。
そして、塩を手にするために
道ができていったという話。
塩は日本では海の水から作られたため
山の集落では塩を得るための
いろいろな努力をしていた。
塩を作るには薪がいる。
木を切って川の河口まで流して
その代償に河口でできた塩を入手して
山へ帰っていく。
そのための道ができる。
なかなかに含蓄のある話が書かれている。
これらは民衆に分け入って
実際に聞いていったもの。
書物に残らない民衆の歴史が
ここにある。
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20110808読了
ちょーおもしろい。
塩って人が生きるためにはとっても大事。
みんな塩がないと生きていけない。
海に近い人は塩は容易に手に入る。
でも山に住んでる人は、、、?
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人が生活にするにつれて
どのように文化や風俗が変遷していったのか。
その動きが経済のダイナミックな変化としてみえて興味深い。
塩の作り方や売り方、道具の変遷、移動手段である牛。
販売経路の変遷、広がる商圏。
塩と交換するための商材の増加。
などなど。
一つのキーワードで世界が変わり広がっていく様が見えておもしろい。
歴史も文化も風土も経済も含めて楽しく読める希有な本。
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海があれば塩ぐらいどこでも取れそうな気がするのだけど、それがそうでもないみたい。
日本みたいなところで、塩がこれだけ大変なのだったら、大陸の内陸はどうなっているのだろう。どこにでも岩塩があったわけでも、長距離輸送を可能にする流通組織(を担保する国家)があったわけではないと思うし。
牛や馬による流通はかなりわかった。でもやはり、川のさかのぼり方が分からない。
世の中知らないことだらけだ。
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宮本常一の晩年の書である。「塩の道」、「日本人と食べ物」、「暮らしの形と美」からなる。「塩の道」は製塩・釜を作った製鉄・燃料を提供した木材・牛馬での移送などの産業ネットワークを論じている。「食べ物」では、ソバ・トウモロコシ・米・サツマイモ・魚食などを論じている。「形と美」では、家のデザインが舟から来ているらしいこと、ワラを使った軟質文化などを論じている。馬での塩の移送は宿が必要だが、牛は道草を食って、野宿で旅ができること、山の民が木を切って川に流し、それを追いかけて海までいき、そこで木を燃やして塩を作ったこと、近江の鉄のネットワークなどを論じている。「食べ物」では、「オカズ」が祭りの日に出される数ある料理のこと、「献立」は酒宴の一献ごとにだされる料理のことだと言っている。「形と美」は日本の貴族は騎馬民族で船にのる民族と協力して渡ってきたらしいことが語られている。十二単衣などは寒いかららしい。日本人が器用だとされるのはワラを使った細工をせねばならなかったからだという。ワラジは三日に一足履きつぶされ、年間で100足必要だった。冬には作られねばならない。
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いいですね。宮本常一の文体は常に市井の人のそばにありて読んでて平和な気持ちになります。
本書は塩を手に入れるための庶民の生きる術、生活の術、そこから作り出された社会の構造を描いています。
それにしても、上流の村人が薪を流して海辺の村人が塩を焼くくだりは、人の交流と富の交換が昔から自然発生的に機能してきたことに感銘を受けます。
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『塩の道』は、
Ⅰ 塩の道
Ⅱ 日本人と食べもの
Ⅲ 暮らしの形と美、
初出は昭和54〜56年で、最晩年に行った講演だそう。
とても読みやすい。
そんなに昔でないはずなのに、
知らないことがたくさん書いてあった。