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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
洞窟に閉じ込められた山椒魚と、その山椒魚のせいで洞窟から出られない蛙の物語。心理描写も面白いが、作者による内容の改変も話題になった。
紙の本
短くとも深い内容
2006/01/28 04:35
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投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
先日のNHK「平積大作戦」で取り上げられた作品である。わずか10ページでありながら、これだけ深い小説は、少ないだろう。2年間の身体の成長により岩穴から出る事が出来なくなった山椒魚という設定。これは、有る事から抜け出せなくなった人間に例えている。そして、そこに入っている海老と蛙。蛙もその穴倉を出られなくするように出入り口を山椒魚の身体で隠してします。これは、あたかも自分の運命を人にも押し付ける行為である。蛙は、穴倉のくぼみに身体を隠す。そして、何故か2年。蛙は、「自分は、もうダメなようである」と山椒魚に伝え、そして、山椒魚をうらんでいないと伝える。心理学的に、閉じ込められた空間に居る犯罪者と被害者は、ある種の共感関係が成り立つと言う。ハイジャック犯と乗客の間にそういう心理は、起こりやすいというのを読んだ事がある。これは、それを伝えているのであろう。本小説は、わずか30分で読んだ。こんなに簡単に読める文学作品は、少ないと思う。文面の行間から、多くの事を発している作品であった。
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「なんたる失策であることか!」
**********
「お前は今どういうことを考えているようなのだろうか?」
相手はきわめて遠慮がちに答えた。
「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ。」
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山椒魚は悲しんだ。
この人のユーモアセンスと日本語感は好きだ。
「なんたる失策であることか!」
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山椒魚、鯉、ほか をAUDIO カセットにて。
あんまりはまらなかったなー。
短編ばかりだったからもあり、「あれ、これでおわり?」
という感じで終わってしまうものばかりだった。
物足りなさを感じてしまいました。
山椒魚だけは久しぶりに読んで面白かったけど、
蛙とあんなに会話しないんだっったけー?という
昔読んだときにまったく印象にのこってない部分が気になったのと
こちらも終わりが「あれ?」という感じでした。
本でもう一回くらいは読んでみようと思います。
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「山椒魚」「鯉」「屋根の上のサワン」「休憩時間」「夜ふけと梅の花」「丹下氏邸」「『槌ツァ』と『九郎ツァン』はけんかして私は用語について煩悶すること」「へんろう宿」「遙拝隊長」を収録。
どれもとても読みやすい短編です。
方言もそのまま書かれていて、登場人物達の言動も思考も生活感も時代的な雰囲気も、どこをとってもありのままな感じがします。
飾らず、作り込まない、素朴な雰囲気がとてもよかったです。
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人生や自然という本質的なものに対して、氏の深い洞察がうかがえる作品群。
芸術、童話、ユーモア、笑い、哀しみ、ゆるし、別れ、・・・井伏文学のエッセンス満載です。何度読み返したかわかりません。
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短編集、うち一つの「屋根の上のサワン」。拾った渡り鳥を可愛がって看病するも、季節が変わる頃、鳥は仲間の呼ぶ声に反応してしまう。あんなにも愛情を注いだのに、外に出たい、仲間と一緒に帰りたいとでも言うように鳴いて。
でもそのときの、恐らくはち切れそうであろう主人公の心情は一切描写されていません。代わりに書かれているのはただ一行、「その晩私はサワンに、三日かかっても食べきれないほどの餌をやった。」と。
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人の解釈によって悲劇にも喜劇にもなる
そんな作品ばかりであるように思います。
中でも「山椒魚」は現在の形になるまで何度も改稿されている。
改稿の中で何が残って、何が変わったのか……
それを考えるだけでも「山椒魚」の結末の捉え方が変わってきます。
あっさりとした読みやすい文体です。
短編集なので気軽に読めるものだと思います。
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日本語っていうのは面白い言語だね。
書き手、語り手によって同じことを語っていてもきっと違うように聞こえてしまう。
まあ、他の言語もそうかもしれないけど。
人間であることの滑稽さ、醜さ、悲しさを独特の文体で書きつづった短編集。
とかなんとか俺が書くと思ってか!!
作家という生き物は古今にかかわらず(東西にと書こうと思ったが洋の西についてはよくわからない)、なんだかよくわからないことで懊悩したり心に鬱屈を抱えたりしながら、それを常人にはよくわからない形で晴らそうとして、そして毎度のごとく晴らしきれないものなのだね。
この文章のタイトルは『韜晦』です。
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井伏鱒二を初めて読む。最初の一文しか知らなかった「山椒魚」は、短くてすぐ読み終わるけど、よくわからなかった! だって、「お前は今どういうことを考えているようなのだろうか?」ですよ。ちなみに僕の読んだのでは、山椒魚と蛙くんとはちゃんと和解します。「屋根の上のサワン」ていうのは、なんか聞いたことあるようなないような。その前は「鯉」という作品で、年代順に並んでいるようだけど、最初の3つはどれも動物を扱ったもの。あとは人間。大学が舞台だったり、田舎だったり。なんというか、何の変哲もないような話のような気もするけど、物語だなあって感じもする。物語なのは当たり前か。解説は河上徹太郎。
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教科書で読んで以来の「山椒魚」。ああ、こんなおもしろい話だったかーと思った。そこはかとないユーモアというか、そして、いろいろ考えられる深い話だなーというか。
ほかの短編のなかには、は?というものもあったけど(単にわたしがぴんとこないというか)、なにか文章が好きかもしれない。「おとうさん」「おかあさん」の呼び方について書かれたエッセイ?なんて、なんじゃこりゃという感じもするけれど、おもしろかった。もっといろいろな作品を読んでみたい。
かねてから、なぜだか井伏鱒二とかのエッセイとかを読むということにあこがれているのだ。
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戦中は普通であったことが、戦後では異常になる。
遥拝隊長の家の釣瓶の音が、村に虚しく響いていると思うと、切なくなる。
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山椒魚はストックホルムのお話にしか思えません。山椒魚は悲しんだ。
遥拝隊長は、私、どこかで苦しくなった。今も昔も、人はどうにもなれない時があるんだなって。
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解説:河上徹太郎
山椒魚◆鯉◆屋根の上のサワン◆休憩時間◆夜ふけと梅の花◆丹下氏邸◆「槌ツァ」と「九郎治ツァン」はけんかして私は用語について煩悶すること◆へんろう宿◆遥拝隊長