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澁澤龍彦が晩年に書き上げた作品。高丘親王は幼き日から憧れていた天竺を目指して旅に出る。旅の途中での出来事はどれもが夢のようで、私には表現する言葉が無い。私は日本屈指の幻想文学作品だと思っている。
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澁澤龍彦の最期作にして傑作。母に「面白い本貸して」と頼んだら大人の余裕顔で貸してくれた一冊。これ読んで以来獏という動物に異常なまでに魅せられた。私にとって大切な本
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私のなかの良い本の規定とは
難しい内容でもさらっと読ませるということだ。
澁澤瀧彦はすごい。
人物もすごかったらしいが、会ってみたかったな。残念。
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そんなつもりで(どんなつもり?)買った本ではなかったからいい具合に裏切られました。澁澤氏がこういう作品を書いていたとは知りませんでした。奇しくも読み終えた日8/5が氏の命日であったのもなにかの縁かと思います。他の長編も読んでみたくなりました。
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澁澤龍彦はエッセイ系も好きなのですが、私は小説の方が氏の摩訶不思議世界をより堪能出来るような気がしてより好きかもしれません。実は10年以上も前に、名古屋でこの作品の演劇を観たのをきっかけに読んだ一冊。彷徨の極地。
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読了。
ノスタルジックな短編集といった趣と、主人公である高丘親王の温厚且つニュートラルな人柄から、日本の古典−例えば今昔物語だとか−を思わせる。不思議な事がぼんやりと起こり、収束していく上質な絹の上を滑るような読書であった。特筆すべきはラストの美しさ。
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70歳の高齢でありながら少年のような高丘親王が、天竺へ向かうために航海の旅に出るわけですが、行く先々で起こる不思議な体験。
どっぷりと妖しい世界に浸ってください。
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自分の知識、感覚に自信がないので【何が解るんだ】と怒られそうですが大の澁澤ファンとして思うとするなら、彼の作品で一番好きです…と言うことで。
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高丘親王は実在の人物だが、歴史小説ではありません。作者の博覧強記が美しく結晶した集大成にして遺作。古本で単行本手に入れたのでも一度読もう(ストーリーぜんぜん忘れてる…)。
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現代っぽい会話で時間がいったりきたりしている感じがしました(説明べたですいません)。
でもこの不思議さキライじゃない☆
澁澤龍彦の本初めて読んだけどすごぃ気に入りました♪♪
これが彼の遺作と聞いて主人公の親王とかぶって死というものについて考えてしまいました(´・ω・`)
個人的に「ジュゴン」の話が一番好きです。
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こんなに読みやすい小説は久しぶりだ。
親王が天竺を目指す道中でのできごとを描いたおはなし。
親王のしょっちゅう見る夢たちは、鮮やかで、美しくて、あやういものばかり。。。
作品の背景(作者の後年のこととか)をチラと考えると、ラストを読むのは苦しかった。
読むほどに生きてくる作品だと思うから、また時をおいて開きたい本。なので今は満点つけない。
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わたしはこういう、嘘の生き物や土地がいっぱいでてくる旅モノが大好きです。
「澁澤先生のお話をステキなお部屋でお聞きしています」的な本もいいんですが
それらの実践がここにキュッと詰まっていると思います。
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澁澤龍彦最期の小説にして、唯一の長編小説である。徹底的なフィクションであり、これほど軽やかな幻想世界は他に存在しえないと思える。天子の子でありながら、皇位継承権を剥奪され出家し、天竺を目指す高丘親王一行。出帆間近の船に飛び乗ってきた春丸なる少年を連れ、一路天竺へ。しかし、嵐に難破、海の怪異の前に彼らは苦心惨憺、かと思いきや、当の高丘親王は平然とむしろ楽しむかのように奇妙な国々を訪れる。ジュゴン、アリクイと蟻塚、獏に夢を食べさせる国、鳥女の閨房、ある不思議な海で幽霊達に襲われて貰い物の真珠を呑みこんだ高丘親王は病を得て、最期を迎える。
文庫も単行本も、装丁にはアタナシウス・キルヒャーの『シナ図譜』が用いられている。幻想は明瞭な意志によって支えられなければならないとすれば、一点の曇りもなく明瞭な銅版画の世界が『高丘親王航海記』である。
かつて、神奈川県立近代文学館で行われた澁澤龍彦展に、この小説の原稿が展示されていた。最期の一ページは大幅に変更されていた。円環を閉じた親王の旅は、開きっぱなしになり、一年にも満たない旅であったと書き改められる。軽やかさ、これ以上の言葉は無用と思われる。
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一番好きな本は?と聞かれたら真っ先に思い浮かぶ本。箱入り初版は宝物です。サド翻訳や「毒薬の手帳」など、70年代日本にオカルトブームをもたらした澁澤竜彦氏が病床のベッドで書き綴った遺作になります。西洋史に耽溺した氏が最後に見た夢は、日本人として幻想のアジア各地を旅する親王の姿だった、と。とにかく美しい本です。史実をなぞる書き出しに最初はとっつきにくい方おられるかもしれませんが、読み終われば大好きな本として本棚に飾られる一冊になる思います。
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『高丘親王航海記』は澁澤龍彦氏の遺作として、つとに知られている。澁澤龍彦氏といえば、日本初の本格的マルキ・ド・サド研究家であり、彼が手がけた、サド著の『悪徳の栄え(続巻)』の翻訳が猥褻であるとして、いわゆる「サド裁判」の渦中に置かれた人物である。一九六九年には有罪が確定。私が生まれる六年前の出来事であった。氏は、一九二八年~一九八七年まで存命し、昨年二〇〇八年は生誕八十周年にあたったので、様々な書店で「澁澤龍彦生誕八十周年フェア」が組まれ、そこで氏の著作に触れた人もいるだろうと思う。
かくいう私も、三十代に入ってから澁澤作品を読み始めた人間である。私の場合は、宇月原晴明氏の『安徳天皇漂海記』という本を読んで、それが澁澤作品のオマージュになっていることに気付かされ、そこから澁澤龍彦の著作に目が向くようになったのである。どっちかというと遅すぎるほどの「澁澤デビュー」であった。
高丘親王は生没年不詳だが、平城天皇の第三皇子である。時代でいえば平城京から平安京に遷り変わる時期で、高丘親王の子供時代に「薬子の変」が起こっている。高丘親王は平城天皇の皇子ではあるが、嵯峨天皇の皇太子として立太子せられた。平城天皇と嵯峨天皇とは、同じく桓武天皇の皇子なので、高丘親王は、親戚の叔父さんの跡継ぎになったといえる。その時点で、実父・平城天皇は上皇となった。しかし、藤原薬子とその兄仲成が、平城上皇の権勢復活をもくろんで、いわゆる「薬子の変」を起こした為、嵯峨天皇としては面白くないわけで、高丘親王は皇太子の地位から下ろされ、廃太子となってしまったのである。
高丘親王には何らの落ち度もないのだが、この政治的事件によって、親王は皇太子という華やかな地位から、一気に廃太子の憂き目に遭い、挫折を味わうことになるのである。したがって、彼はその生涯を通じて「親王」と呼ばれ続ける。自分のせいではないにもかかわらず、地位や立場が貶(おとし)められ、人々からの羨望の眼差しが、廃太子の自分に対する憐れみの視線に変わるのを肌身に感じた時、高丘親王は、どんな心持ちがしたろうか。自分が悪いわけではないのに、毀誉褒貶(きよほうへん)の内の毀と貶の部分のみ、押し付けられる役回りしか与えられなかった時、親王は、どんなところに救いを求めたろうか。彼の、ひたむきな航海への情熱は、この「薬子の変」が起爆点となっているのかもしれない。
本書は、儒艮(じゅごん)・蘭房・獏園・蜜人・鏡湖・真珠・頻伽の七篇から成っている。そのどれもが高丘親王の旅と夢の軌跡だ。親王であり続けた彼は、出家し、空海の弟子となって仏法に帰依し、日本国内での仏道修行では飽き足らなくなって、天竺行を企図するようになる。その計画を夢のままに終わらせず、実現に移したのが、西暦八六五年(貞観七年)で、澁澤氏の『高丘親王航海記』の記述によると、親王ときに六十七歳というから、オドロキだ。無論、その前段階として、親王は西暦八六二年(貞観四年)に唐に入国して、天竺へ向かうための色々な手続きを進めている。当時の六十七歳って、かなりのご老体だと思うのだが、本書に書かれる高丘親王は、背筋もすっくりと伸���、快活で、天竺への航海に若者のような情熱と夢と憧れを抱いている。こういう人がいたら、好きになって、何かしてあげたくなるだろうなぁというような人物なのである。そこには、廃太子という鬱屈した半生を送ってきたような性格の暗さは微塵も感じられない。親王は、有り余るほどの好奇心を胸に、弟子たちと共に東南アジアの数々の国を経巡っていく。
私は七つの物語全てに愛着があるが、一番好きなものを挙げるとすれば、鏡湖であろうか。南詔国という国に辿り着いた親王は、その国の若き王の精神病を治すことになる。南詔国の王は、向かい合わせの二枚の鏡を持つ鏡台に魅入られてしまい、その間に立つことで自分の姿が限りなく増殖し、そこから自分とそっくりの男が抜け出てくると思い込んでいるのである。親王は自ら二枚の鏡の間に立つ。そして鏡の中をゆっくりと覗く。しかし、そこに高丘親王の姿は映らない。親王は、若き南詔国の王に「影はすっかり封じられました」と告げ、鏡面を内側にして、しっかりと縛ってしまうのである。何故、親王の姿は鏡に映らないのか。実は、南詔国には洱海という湖があり、その湖面に姿が映らない者は一年以内に死ぬという言い伝えがある。南詔国王に謁見する前、親王はその洱海を覗き、自分の影が映らないことに気付いていたのであった、というエピソードである。
物語中の高丘親王は、徐々に死に向かっていくのだが、いよいよ病膏肓に入った時、天竺と羅越国を行き来する虎に喰われて、その腹に収まって天竺へ行くことを決意する。そうして実際に、虎の出没する藪の中に身を横たえて、喰われてしまうのである。しかし、これほどまで安らかに、死を想えるだろうかというくらい、親王の死生観は穏やかで満ち足りている。天皇位に恵まれなかった彼は、天竺へ行くという最大の目的の中で、天皇位が小さな世界に思えるほどに、もっと大きな存在になっているような気がしてならない。この『高丘親王航海記』を読むとき、我々は親王の従者、あるいは旅の同道者となって、親王の天竺行の夢に参加し、親王と一緒になって、見たことも聞いたこともない土地を歩き回り、嵐の海の漂流を耐え忍んでいるような気持ちになるだろう。そして読後は、一度親王と共に死んで、生まれ変わったような感覚さえ得られるであろう。
史実上の高丘親王は、西暦八六五年、天竺に向かい、羅越国(マレー半島南部)で没したとも、そのまま消息を絶ったともいわれている。
平成二十一年八月二十三日 再々読了