紙の本
今は昔のファンタジー
2000/11/25 10:42
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:読ん太 - この投稿者のレビュー一覧を見る
高丘親王が弟子を引き連れて天竺へと旅立つお話。
高丘親王は実在の人物であったらしい。799年に平城帝の第三皇子として誕生し、蘇我天皇の皇太子となりながらも薬子の乱で廃太子となり、後67歳になってから天竺を目指して旅立った人だそうだ。
実在の人物を扱っているのだが、本書は時代小説または伝記とはなっていない。
人語を話す儒艮(ジュゴン)、夢を食べる獏(バク)、体は人間で頭は犬の犬頭人など不思議な生き物がたくさん登場する。だからファンタジーものと紹介するのが的を得ていると思う。
航海記となっているので、航海とともに時間の流れを感じるのが普通の成り行きだろうが、過去・現在・未来の時間軸が一直線に扱われていて時間の経過が曖昧になっているのもファンタジー色を強める要因となっている。
だから親王の弟子にも『…そもそも大蟻食いという生きものは、いまから約六百年後、コロンブスの船が行きついた新大陸とやらで初めて発見されるべき生きものです。そんな生きものが、どうして現在ここにいるのですか。』という台詞を堂々としゃべらせてしまう。
また、この物語の中にはアンチポデスと表現される、いわゆる鏡の世界みたいなものが多数存在する。秋丸と春丸、薬子とパタリヤ・パタタ姫、二匹の儒艮などの対がそれだ。アンチポデスが鏡の世界と同義にならないのは、こちらとあちらで本物とニセモノが区分されず、どちらも本物あるいはどちらもニセモノとなるところ。
この物語の書評を書くのは難しい。駄文を重ねる無意味を先程から味わっている。とにかく、千年以上も昔に思いを馳せながらファンタジーを楽しんでみるのはいかがですか?と提案しておきます。
最後に、高丘親王が航海中に語る言葉が心に深く留まったので紹介させてもらおう。
『…自分の一生はどうやら、このなにかを求めて足をうごかしていることの連続のような気がしないでもなかった。どこまで行ったら終わるのか。なにを見つけたら最後の満足をうるのか。しかしそう思いながらも、その一方では、自分の求めているもの、さがしているものはすべて、あらかじめ分っているような気がするのも事実であった。なにが見つかっても、少しもおどろきはしなかろうという気持ちが自分にはあった。ああ、やっぱりそうだったのか。すべてはこの一言の中に吸収されてしまいそうな予感がした。』
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澁澤龍彦が晩年に書き上げた作品。高丘親王は幼き日から憧れていた天竺を目指して旅に出る。旅の途中での出来事はどれもが夢のようで、私には表現する言葉が無い。私は日本屈指の幻想文学作品だと思っている。
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澁澤龍彦の最期作にして傑作。母に「面白い本貸して」と頼んだら大人の余裕顔で貸してくれた一冊。これ読んで以来獏という動物に異常なまでに魅せられた。私にとって大切な本
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私のなかの良い本の規定とは
難しい内容でもさらっと読ませるということだ。
澁澤瀧彦はすごい。
人物もすごかったらしいが、会ってみたかったな。残念。
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そんなつもりで(どんなつもり?)買った本ではなかったからいい具合に裏切られました。澁澤氏がこういう作品を書いていたとは知りませんでした。奇しくも読み終えた日8/5が氏の命日であったのもなにかの縁かと思います。他の長編も読んでみたくなりました。
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澁澤龍彦はエッセイ系も好きなのですが、私は小説の方が氏の摩訶不思議世界をより堪能出来るような気がしてより好きかもしれません。実は10年以上も前に、名古屋でこの作品の演劇を観たのをきっかけに読んだ一冊。彷徨の極地。
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読了。
ノスタルジックな短編集といった趣と、主人公である高丘親王の温厚且つニュートラルな人柄から、日本の古典−例えば今昔物語だとか−を思わせる。不思議な事がぼんやりと起こり、収束していく上質な絹の上を滑るような読書であった。特筆すべきはラストの美しさ。
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70歳の高齢でありながら少年のような高丘親王が、天竺へ向かうために航海の旅に出るわけですが、行く先々で起こる不思議な体験。
どっぷりと妖しい世界に浸ってください。
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自分の知識、感覚に自信がないので【何が解るんだ】と怒られそうですが大の澁澤ファンとして思うとするなら、彼の作品で一番好きです…と言うことで。
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高丘親王は実在の人物だが、歴史小説ではありません。作者の博覧強記が美しく結晶した集大成にして遺作。古本で単行本手に入れたのでも一度読もう(ストーリーぜんぜん忘れてる…)。
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現代っぽい会話で時間がいったりきたりしている感じがしました(説明べたですいません)。
でもこの不思議さキライじゃない☆
澁澤龍彦の本初めて読んだけどすごぃ気に入りました♪♪
これが彼の遺作と聞いて主人公の親王とかぶって死というものについて考えてしまいました(´・ω・`)
個人的に「ジュゴン」の話が一番好きです。
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こんなに読みやすい小説は久しぶりだ。
親王が天竺を目指す道中でのできごとを描いたおはなし。
親王のしょっちゅう見る夢たちは、鮮やかで、美しくて、あやういものばかり。。。
作品の背景(作者の後年のこととか)をチラと考えると、ラストを読むのは苦しかった。
読むほどに生きてくる作品だと思うから、また時をおいて開きたい本。なので今は満点つけない。
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わたしはこういう、嘘の生き物や土地がいっぱいでてくる旅モノが大好きです。
「澁澤先生のお話をステキなお部屋でお聞きしています」的な本もいいんですが
それらの実践がここにキュッと詰まっていると思います。
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澁澤龍彦最期の小説にして、唯一の長編小説である。徹底的なフィクションであり、これほど軽やかな幻想世界は他に存在しえないと思える。天子の子でありながら、皇位継承権を剥奪され出家し、天竺を目指す高丘親王一行。出帆間近の船に飛び乗ってきた春丸なる少年を連れ、一路天竺へ。しかし、嵐に難破、海の怪異の前に彼らは苦心惨憺、かと思いきや、当の高丘親王は平然とむしろ楽しむかのように奇妙な国々を訪れる。ジュゴン、アリクイと蟻塚、獏に夢を食べさせる国、鳥女の閨房、ある不思議な海で幽霊達に襲われて貰い物の真珠を呑みこんだ高丘親王は病を得て、最期を迎える。
文庫も単行本も、装丁にはアタナシウス・キルヒャーの『シナ図譜』が用いられている。幻想は明瞭な意志によって支えられなければならないとすれば、一点の曇りもなく明瞭な銅版画の世界が『高丘親王航海記』である。
かつて、神奈川県立近代文学館で行われた澁澤龍彦展に、この小説の原稿が展示されていた。最期の一ページは大幅に変更されていた。円環を閉じた親王の旅は、開きっぱなしになり、一年にも満たない旅であったと書き改められる。軽やかさ、これ以上の言葉は無用と思われる。
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一番好きな本は?と聞かれたら真っ先に思い浮かぶ本。箱入り初版は宝物です。サド翻訳や「毒薬の手帳」など、70年代日本にオカルトブームをもたらした澁澤竜彦氏が病床のベッドで書き綴った遺作になります。西洋史に耽溺した氏が最後に見た夢は、日本人として幻想のアジア各地を旅する親王の姿だった、と。とにかく美しい本です。史実をなぞる書き出しに最初はとっつきにくい方おられるかもしれませんが、読み終われば大好きな本として本棚に飾られる一冊になる思います。