紙の本
全体主義批判の一点張り
2018/05/21 11:57
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投稿者:病身の孤独な読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ハイエクの代表作であり、ナチスドイツの状況と似たところが世界各地にも見られることから、現代経済・政治に警鐘を鳴らしている書籍である。全体主義批判の代表であるり、どのような過程で上記の判断を下したのかについて記述されている。しかし、「全体主義は危険だ」ということをあれやこれやと言い換えていることが多く冗長で、正直後半は退屈で読むのが億劫になる。評者の個人的な印象では、本書は過大評価されていると思われる。
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フリードリヒ・ハイエクの代表的な書物である。
ケインズは経済学的な側面について「一つの原理としては認めながらも支離滅裂」と強く批判を展開したが、それ以外の分野については「我々の言わんとしていることをよくぞ言ってくれた」と評したいう。
本書は、共産主義・社会主義・全体主義・ナチズム=集産主義と定義し、ナチスドイツの勃興は社会主義の反対ではなく、むしろ必然的な結果であり、イギリスやアメリカにおける民主主義国家でさえ同じような道をたどる、経済の計画化は経済のみならず個々人の自由にまで侵害する恐れがあり、すなわち隷従への道が開かれていると警鐘を鳴らしている。
そして政府が「保険可能的」な若干的な計画程度を認める以外においては、徹底的ではないにしろ超自由放任主義国家権力に委譲すべきであると主張している。しかし、それはレッセフェールを是認しているものではない。法の下にあった自由主義経済が民主化を超すものであると説く。
社会の発展は慣習や法律によって個人を日常の拘束から解放することにあり、その結果科学技術が進歩した。そして経済の発展は福祉や個人の独立(封建体制からの脱却?)に到達した。その一方で規則が次第に発展を阻害し、取り除かれなければならないとみなされるようになった。そして人間の野心が自由主義の放棄につながりかねないとしている。
この「自由」は真の意味においては物質的欠乏からの打破であり、富の別名であるが、社会主義者によって巧みに使われかねない。社会主義の予期せざる結果がファシズムと共産主義で非常に似ている と説いている。
社会主義を集産主義と定義し、中央政府による計画経済化「計画化」が必要であるとしている。だが計画化への反対を独断的な自由放任主義と混同することを戒めている。それは競争が個人の努力を向上させるが、政府による規制が意識的な社会統制を必要としないことに求めている。
また、産業の独占化は国家権力の援助を求めるようになり、個人が求めている競争の中で成長したものの、その帰結は個人が求めるものとかい離していると主張しており、計画化の理想に突き進んだドイツを例に挙げている。日本にも財閥への資本蓄積が進んだことや軍産体制が出来たことを踏まえれば同様のことが言えるかもしれない。
社会主義が出来るためには中央政府が様々な情報の収集出来なければならないし、またそれを素早くアウトプットする必要があるがそれは不可能である。
ハイエクは議会制度に対してもその見解を述べており、国民の代表者(議員?)が民意を反映した実行できないときに民主主義制度に不満を起こし、議会は「無能な饒舌小屋」とみなされる。有効な計画に対しては官僚や独立の自治体にゆだねられなければならないという。この点では日本では「国民が主役」などと叫ばれているが、「国民が正しい判断をできない場合はどうするのか」という評者の考えを素直に答えているものといえる。すなわち、国民は全てにおいて正しい選択を出来るとは限らず、叡智を持った集団、すなわち官僚によって行われるべきであり、正しい方向性へ持って行くことこそが必要であると感じた。
そして法律��下にある自由経済が個人の経済活動の予見を可能にするものであり、計画経済化の下では個人の経済活動の結果が無効化される恐れがあると説いている。
経済的な事柄にあっては個々人が何が重要かを決めることこそが自由であり、それは生活における経済問題を解決するのは個々人にかかっている。計画経済の下では特定の目的を常に申告しない限り許容されない。つまり重要性を決定するものが社会の代表者(独裁者?)に求められている。
計画経済下において「選択の自由」は空約束に終わり、報酬は規定され、あたかも一つの巨大組織の中に組み込まれるものとしている。まさに社会主義の根幹を突いた指摘であろう。
本書は非常に内容が濃いものであるために評者のように一気に読了し、内容を理解することは難しいとおもわれる。
ただ、ハイエクが主張していることに対しては多くの経済学者が批判しながらも本書の内容については理解を示しているまさに名著である。
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●未読
◎「世界金融崩壊七つの罪」p.144で紹介。
【サッチャーの愛読書。マネタリズムなどについての書。政権に就いた当初はマネタリズムを経済政策に取り入れたが、「通貨量を一定の速度で増加させるだけ」というフリードマンのマネタリズムは政治的にはまったく使い物にならず、じきに放棄せざるを得なかった】
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ERPであるとかコード統合であるとか。企業の中のIT関係者は「統合」「計画」が好きだ。そして「全体最適」なんていう言葉を使うことも多い。でも彼らの言うとおりに投資をしても、残念ながらイイコトは無い。妙な入力業務が増加するだけだ。
なんでだろう?
自分だけの体系の世界を押し付けることに職業的快感が伴っているのであろうか?情報部門っていうのは実際の企業の中ではコストセンターだし、間接部門なので号令する立場ではない。そんな彼らが実世界では果たせなかったことを仮想空間で果たしているようなところがある。
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古典的自由主義者あるいは自由放任主義者として知られるハイエクの代表作。なぜドイツ人はナチスを選んだか。「主体性」を重視されながら道標を見失った現代人にとって警告の書となる。
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本書が刊行されたのは1944年、第二次世界大戦において連合国の勝利が密かに確信された時である。
著者のハイエクはソビエトによる社会主義とナチスによる国家社会主義…つまりは左翼的右翼的な衝動、運動においても根本は民衆を隷従化したものであり一部の特権階級による社会だというのを暴いている。
当時は枢軸国対連合国という図式はあっても、ソビエト対アメリカの冷戦の遥か前だしファシズムや社会主義思想についての研究は未だきちんと行われておらず未熟なもののままだったと思う。
このように思想が生み出す社会体制については未だ未熟な時点で、社会主義体制やファシズムによる国家主義体制の本質を見事に暴いている。
第二次大戦後のソビエトを初めとする社会主義が是とされている時代にも本書を自由に閲覧することはできなかった。
社会体制の本質を暴いた見事な一書。
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ハイエクの金字塔とも言うべき著作なのだが、なにしろ訳が酷過ぎて読むのに骨が折れる。正直なところ、高校生が訳したのかと言いたくなるほどの直訳が延々と続くのだ。
内容には満足なのだが、訳の酷さで星2つは下がるだろう。
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[ 内容 ]
社会主義とは、独裁者への隷従に他ならぬことをつとに喝破した名著。
[ 目次 ]
第1章 見捨てられた道
第2章 大きなユートピア
第3章 個人主義と集産主義
第4章 計画化の「不可避性」
第5章 計画化と民主主義
第6章 計画化と法の支配
第7章 経済統制と全体主義
第8章 だれがだれを支配するか
第9章 保障と自由
第10章 なぜ最悪なものが最高の地位を占めるか
第11章 真理の終焉
第12章 ナチズムの社会主義的根源
第13章 われわれの中の全体主義者
第14章 物質的条件と理想目的
第15章 国際秩序の展望
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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私企業の廃止や生産手段の私有の禁止など、政府による経済の計画化はすべきない。単一の価値に基づく計画の押し付けはすべきでない。経済の自由なくして、個人の自由も政治の自由もない(例えば、すべて政府所有の企業であれば、だれも政府批判なんてできない)。社会主義者は「欠乏からの自由」を宣伝し、経済的自由を制限しつつも、まるでより大きな自由を約束するかのように語る。▼社会主義者は社会全体を計画的に再構築できると考える(設計主義)が、人間の傲慢である。人間の理性には限界がある。中央政府が経済活動のすべてを把握することはできない。社会を計画に基づいて合理的にコントロールすることはできない。戦争で一時的に単一目的に従わなければいけない局面があるが、それは自由のために支払う対価。平時に経済の計画化は不要。 ▼ナチズムと社会主義はどちらも全体主義につながる。北欧型の福祉国家やケインズの考えにも全体主義への道が潜んでいる。▼自生的な秩序(市場における競争)のみが、権力の恣意的な介入・強制なしに、諸個人の活動を相互に調整できる。人間の自由な行動が複雑に絡み合った結果として自然に生まれてくる秩序は、計画的に無理やり作り出した秩序よりも、はるかに精妙である。▼最低限の社会保障は必要。公的な医療保険は必要。自由放任の原則に凝り固まった自由主義者の融通の利かない主張ほど自由主義に害をなすものはない。年金や失業保険は民間でやればよい。▼相続税には反対。家族の文化遺産の伝達は人間として自然な行為。フリードリヒ・ハイエクHayek『隷従への道』1944
社会全体の青写真を描いて理想国家を作ろうとするユートピア的な試みは、強度に中央集権化された支配を要求するものであり、独裁につながる。開かれた社会とは、個人で決定できる領域が広い社会であり、閉ざされた社会とは呪術的・部族的・集団主義的で、個と全体が有機的に一体化しており、個人が決定できる領域がない社会。調和のとれた自然状態への復帰はありえない。野獣に帰るだけである。人間であり続けたいなら、開かれた社会への道を選ぶべきである。カール・ポパーPopper『開かれた社会とその敵』1945
幸福は各個人が追求すべきであり、全体を包括する善はあり得ない。社会を一枚の青写真に従って作り変えようとするユートピア的合理主義は悲惨な圧制をもたらす。抽象的な善の実現ではなく、具体的な悪の除去を目指すべきである。カール・ポパーPopper『ユートピアと暴力』1947