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一度目は、世間一般が誤解しているように、おとぎばなしとして愉快に。
二度目は、一見害のなさそうにみえるこの本にこめられた著者スウィフトの絶望と怒り、それを入念に味わいつつ、きわめて陰気に。
三度目は、300年も前のイギリスにも「クソだよね、人間って」と考えていた人がいたのだな、いえー、とて、歴史の重みと人類への冷笑を噛み締めて、爆笑しながら。
という風に違った視点で三回読めました。ダークないえーです。
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染まりました。黒く染まりました。300年くらい前の作品なのにひきこまれます。著者スウィフトの黒い怒りと、それを包み隠すブラックユーモアの一大傑作。人間嫌いになることうけあいです。おすすめ。
(---★前回の紹介文)一度目は、世間一般が誤解しているように、おとぎばなしとして愉快に。 二度目は、一見害のなさそうにみえるこの本にこめられた著者スウィフトの、絶望と怒り、それを入念に味わいつつ、きわめて陰気に。 三度目は、300年も前のイギリスにも「クソだよね、人間って」と考えていた人がいたのだな、いえー、とて、歴史の重みと人類への冷笑を噛み締めて、爆笑しながら。 という風に違った視点で三回読めました。ダークないえーです。
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これだけは、子供向けの簡略のやつじゃなくて、ちゃんとしたのを読んで欲しいです。ラピュタとか。(笑)フウイヌムの国に住みたくてね〜・・・。
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風刺文学の古典。
まず、ファンタジーとしても十分楽しめる。風刺としては、一部〜三部はスウィフトが生きていた当時の人物・事件を題材にしている風刺が多いので、あまり楽しめない。しかし最終部は、人間全般に対する風刺、というよりむしろ憎悪に溢れていて読み応えがある。
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船員ガリヴァの漂流記に仮託して、当時のイギリス社会の事件や風俗を批判しながら、人間性一般への痛烈な諷刺を展開させた傑作。
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私達が良く知っている童話としての「ガリヴァ」では実はないんですよね。
私も、全く知らなかったですよ。
恐ろしいまでのウィットとアイロニーに富んだ一品です。
実はね。
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スウィフトの風刺作品。
ラピュタはこの作品の第3編から生まれたそうで。
歴史を知らなくても読んでて楽しかったです。
ただ、日本語ってムズカシイ・・・。(え)
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いわずと知れた作品ですが、改めて読むとただの御伽噺ではありません。
馬の国の話が一番感慨深かった。
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その法律という言葉の意味も、なるほど一応説明はしてもらったが、やはりどうも腑に落ちない。第一、人間を保護するためにできた法律が、かえって人間を滅ぼすというのは、いったいどういう理由なのだ。・・・つまり、もしお前たちがみずから言うように、はたして理性的動物であるならば、何をなすべきか、何をしてはいけないかという決定は、専ら本性と理性との指導に従って結構できるはずではないか、と彼は言うのである。
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23歳にして初めてちゃんと読んだら、面白い!!
風刺小説として名高いけれどストーリーも純粋に面白くてぐいぐい読めた!
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ガリヴァ旅行記は子供のころには誰でも小人の国に行って寝ている間に地面に張り付けられている物語を読んだ事があるとは思うのですが、実際は長い話で、他にも色々な国に行っています。
その中には日本も含まれています。
物語の内容も、タダの夢物語ではなく、社会、政治などの批判を強くうたったもので、とても子供が読むにはしんどい内容でした。
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第Ⅰ~Ⅲ部は、その時代、個人への風刺、あてつけ
あてこすり、妬み?嫉妬?も、ファンタジー要素も強く
ガリヴァ氏も、異国を人間として楽しみつつ
母国に戻る希望を抱ける。
一転、第Ⅳ部は、人間の醜さ、本性
理性のある動物とは言いがたい、欲望に満ちた行動
制度を作り出し、飼いならし、調教せざるを得ない面
ヤフーという闇に陥り・・・
意識して生み出されたものとしても
愛や善意、慈しみその他人間「も」持ちうる美徳に
全く目を向けることもできない。
子供のときには童話部分を読んでココロワクワクさせて
大人になったら原作を読んでココロズキズキ
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ガリバーと言えば巨人を連想される方も多いでしょう。第1章のリリパット、いわゆる小人の国のお話です。
ただ、スウィフトの作品の本質は人間社会への痛烈な批判にこそあります。しかし、小人の国(第1章)や巨人の国(第2章)が注目され、ガリバーの単なる冒険譚として見なされがちであることは、スウィフトにとってはなんとも皮肉なことです。
まずは第3章。「空飛ぶ島・ラピュタ」のお話から。ラピュタは島国バルニバービの領空域を自在に移動することができる飛島です。
ラピュタの民は誰もが科学者であり、常に科学について沈思黙考しています。そのために心はいつも上の空。ときどき、正気に戻るために頭を叩く「叩き役」なる者を連れています。
ラピュタの科学は優れていながら、それが実用に活かされることはなく、「学問のための学問」に過ぎませんでした。スウィフトは「科学は人類に貢献すべきもの」と考えていたため、人類に貢献しないラピュタ人のような科学知識は、まったく無用の学問と見なしました。
また、地上のバルニバービは豊かな国でしたが、空に浮かぶラピュタ国に常に搾取される存在でした。そのため、バルニバービの住民には生気がなく、街は荒れ果てています。
仮に、バルニバービで反乱が起きれば、ラピュタの国王は島を反乱の起こっている場所の上空に移動させ、太陽や雨を遮り、その地域の農業を破滅させ、飢餓と病を与えます。酷いときには、ラピュタを島ごと下降させ、街を力任せに押し潰して鎮圧させます。
ラピュタを後にしたガリバーは、グラブダブドリッブという小島を旅し、魔法使いの種族と遭遇します。
彼らは降霊術を心得ており、ガリバーは歴史上の偉人を呼び出しました。その結果、彼らがいかに堕落した不快な人物であったかを知ることになります。スウィフトはここで、幾世代間もの人間性の堕落がいかに根強いものであるかを、示そうとしています。
高貴な時代からの退化という形で人類の進歩を示すことにより、現在の人類は堕落しています。しかし、かつてはその堕落も甚だしくはなく、まだ救いようがあったことを伝えようとしているのです。
次にラグナグという島にたどり着いたガリバーは、この島国に不死の人間がいることを聞かされます。ガリバーは自分も不死であったなら、いかに輝かしい人生を送ることができるだろうと夢想します。しかし、彼らは不死であるものの、不老ではありません。そのため、老衰から逃れることはできず、80歳を過ぎると法的に死者として扱われ、以後、永遠に老いさらばえたままで、世間から厄介者扱いされるのです。悲惨な境涯を知らされたガリバーは、むしろ
死とは人間に与えられた救済なのだと考えるようになりました。
そして最終章のフウイヌム国(馬の国)。フウイヌムは、平和で非常に合理的な社会を持つ、高貴かつ知的な馬の種族です。この国では、戦争や疫病や大きな悲嘆を持つことはありません。
そしてこの国には、フウイヌムを悩ませている、ヤフーと呼ばれる生物が住んでいます。ヤフーは、人類を否定的に歪曲した野蛮な種���であり、ヤフーの中には退化した人間性が存在しています。
ヤフーは酩酊性のある植物の根によるアルコール中毒に似た症状を持っていて、絶えず争い、輝く石をむやみに求めています。ガリバーはヤフーの行動に、特に理由もないのに同種族で争いあう習性と戦争を引き起こす醜さとは、まるで人間そっくりだという発見をします。
そしてガリバーは、自分は人間ではなく、ヤフーであり、また自分の住む世界にいる人間たちもヤフーであると信じるようになります。以来、ガリバーは(自分は俗世間に塗れた故郷には戻りたくない。自分はフウイヌムでありたい)と切望し、己がいかにフウイヌムによって啓蒙されたかを語るのです。
しかし、ガリバーは故国に帰ることになります。それでもガリバーは、自分の「人間性」から遠ざかろうと考え、最後は半ば、厭人的になります。これは、ガリバーという虚構の世界に仮託した、スウィフト自身の姿でもありました。
スウィフトは『ガリバー旅行記』をとおして、人間の醜さや愚かさを徹底的に暴こうとしました。この作品が書かれたのは、今からおよそ300年前ですが、それでも今なお、この『ガリバー旅行記』が読み継がれているのは、偏に「人間にある普遍的な人間の心の不純さ」を鋭く指摘しているところにあります。この負の普遍性に気付いたスウィフトの眼差しは、現代に生きる僕たちにまで、鋭く射抜かれていると言えるでしょう。
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老若男女問わず、愛読されている作品です。
ファンタジー要素が強い冒険譚ですが、
各篇の風刺に著者の思いがこめられています。
その風刺を感じ取るのは難しく思う。ラピュタはよくわからなかった・・・。
第四篇「フウイヌム」は人間の醜さ、目指すべき人間像をあらわしていて個人的に好きだ。
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文学研究会の後輩がこの本を研究対象とすると聞いて、この本を読んでみた。第一篇の小人国・第二篇の巨人国の話は、ガリヴァと聞いて容易に連想できる話で、童話のような印象を持っていたが、実際に読んでみると風刺文学と呼ばれる通り、実際の世の中(当時の英国)と結びついたような記述にあふれていた。そして、露骨に実際の世の中を描いている事が、面白いとも思えたし、味気ないという感じもした。
第三篇の浮島の話は、他の部分と比較して面白味に欠けているような気がする。ズバズバと切っていくような風刺表現も他の篇と比べて面白みに欠けていたと感じた。第四篇の馬が主人で人間が家畜になっている話は、非常に風刺が冴えていて面白く感じられた。
最後に、この本の主人公は航海好きの海の男なのだが、デフォーのロビンソンクルーソーにしてもそうだが、海の男が一度航海で苦しい目にあっても、何度も航海に旅立とうとする(と描かれている)のはどうしてなんだろう。ま、海の男は実際にそういうものなのかもしれないけど。