紙の本
体に「自己」してもらう癒し
2001/08/19 21:34
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:フミコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
僕たちの精神が肉体によって生かされている、って思うことはあるだろうか。無限の想像力と限界だらけの肉体を持って生きなくちゃいけない僕たちの「自己」は、限界のない可能性を持っている(と思われている)脳によって決定されているわけではないらしい。底抜けに曖昧なのに、恐ろしいほど非寛容な「免疫」によって僕たちの「セルフ」は管理されているようだ。
この本には、僕らの「自己」という意識はとても不器用なのに、肉体のほうはマインドを飛び越えて環境に上手に適応しているらしい、ということが書かれている。曖昧なのに非寛容なのって、「普段はヘラヘラしていても、やるときはやる」ってキャラクタリスティックなのかもしれない。僕たち一人一人の体には、そんな「免疫」がついていて、その免疫によって「非自己」だと判断されてしまえば、僕たちに「自己」を(意識的に)形成させている脳でさえも排除されてしまうのだ。
そんなに厳格に「自己」と「非自己」を区別するのにもかかわらず、免疫系の細胞はその場に応じてとても臨機応変な変化を遂げる。彼らは外界の状況に応じていろいろなものに姿を変えるのだが、どうやらそれは最初から決定されているものでもなんでもなく、その場その場で適当に決められているらしい。
要するに「何でも屋」がいっぱいいて、その場その場でやらなくちゃいけない事を片付けていってくれるんだけど、親方みたいなものはいなくて、一人一人がキチンとしているから全体的にはなんとなくうまくいっている、という状況だろうか。
僕たちの意識は環境に適応するのがヘタくそだから、準備や計画を立てたり、照れや見栄やプライドなんかもあって、結局自分で自分をがんじがらめにしている事がたくさんあるんだけれど、体のほうは寡黙にも目の前にある「立ち向かわなくちゃいけないこと」にまっすぐなようだ。
タイトルにもあるとおり、この本は「意味論」であって、難しいサイエンスの話よりも、免疫学を通して、生きるために見習えることがたくさん詰まっている。体によって見習うことって意外とたくさんあるみたいだ。「精神論」に偏りがちだった僕たち日本人にも、これから役に立つことがたくさん見つけられると思う。
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投稿者:ペンギン - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近ウイルスの話題には事欠かないけれど、そもそも免疫について自分がよく知らないことに気づき手に取った一冊。脳死と臓器移植に関する議論が著者がこの本を書く動機だったそうで、移植の拒絶反応から始まり、免疫の「自己」認識のあれこれについて書かれている。聞きなれない単語が多く、違う言葉が同じ意味で使われてる場合があるのでメモを取りながら読んだ。
個人的には、第三章のネットワーク説が興味深い。未知なる病原体を中和する抗体をなるべく短い時間で作り出すためのデータベースを維持管理するための仕組みが、抗体と抗体をつなぎ合わせたネットワークであるという「説」なのだ。標的に合わせて抗体を作るというのは、免疫の説明ではよく言われることだが、免疫細胞にとってなかなか過酷な仕事であるらしい。分からないものに対して対応するために、常に管理されたデータと人員(この場合は細胞の選別)という多大なコストを支払っている。今、自分が生きていることが不思議なくらいだ。
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免疫系から身体を見る面白い本。「わたし」であることを認識するのは脳であることは誰も否定しないだろう。しかし、免疫系はまた独自の「自己認識」を持っている。そのため、非自己と認識すれば脳ですら排除に取り掛かる。 身体と精神との問題はデカルト以来の問題ではあるが、この心身二元論問題への「解答」に生物学からヒントを与える(個人的な愚痴ですが、最低でも大学レベルの生物学をやっていないと理解し難いところが多くて……)。
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知的刺激を受けた。数年前に読んだにも関わらず、読後の感動を覚えている。自己とは何かという答えが一つの形として提起されている。
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免疫というのは、「自己」と「非自己」を区別し「非自己」を排除する仕組みですが、その境界はひどく曖昧で流動的(!)だということに驚かされます。そもそも「自己」とは何なのか? 精神的「自己」(脳)と身体的「自己」(免疫系)の関係は? エイズのように「自己」を認識できなくなるというのはどういうことを意味するのか? などいろいろ考えさせられ、まるで哲学本のようですね。
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「私」は他の人と「私」をどうやって区別し、認識しているのか?
哲学のような話題ですが、免疫学からのアプローチによる解。
多田先生の生き様が個人的に好きだ。
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学生時代にトライして挫折した本。
先日、実家に帰ったときに持って帰ってきました。
今なら読める。やはり学生時代とは読書能力が確実に上がっていることを実感しました。
て、書評とは関係ないことばかりのようですが、、、
それだけ、難易度の高い本です。
生物の基礎知識があれば比較的読みやすいかな。
もっとも、この本がでてからはや10年。
生物学の進歩を知りたくなりました。
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体内の自己は脳が判定しているのではなく胸腺が判定している。10歳の子供が転換点を迎えるというのは、胸腺がその頃に最大になるから・・・など体の中のプログラムが解き明かされていくようでとてもおもしろかった。
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生物学者の福岡伸一氏が、雑誌(『美術手帖』2010年10月号)の対談で紹介。免疫システム形成過程と自己性の問題が面白そう。
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アレルギーの章が面白い。相互拒否。悲しくも素直な体。専門的用語とかなかなか頭に入らんが、も一度読みたくなる。カラダへの人間への興味か?
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■他人のHLA抗原は「自己」のHLAに無限に近く、しかしほんのわずか違っているので、それを直接に「非自己」化した「自己」と認め得るからなのである。p40
■あるところで境界を作っておかなければ自己と他の区別ができなくなってしまう。管の免疫系は、生物が外界と共存するための素晴らしい知恵である。p178
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―20081023
自己と非自己を識別するのは、脳ではなく免疫系である。「非自己」から「自己」を区別して、個体のアイデンティティを決定する免疫。臓器移植、アレルギー、エイズなどの社会的問題との関わりのなかで、「自己」の成立、崩壊のあとをたどり、個体の生命を問う
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ずっと、免疫とはヒトの体をウイルスから守ってくれる鎧のようなものなのだと思っていた。
だが、アレルギーや関節リウマチを発症してからはその考えに疑問を抱くようになった。
免疫系が本当に鎧なのなら、何故、自己免疫疾患などという矛盾した病が存在するのか?この疑問の答えが欲しかった。それが私が本書を手にとった理由だ。
肉体にとっては免疫系の方が自己にあたる、というのが面白かった。
免疫系は私を守る鎧などではなく、ただのそれ自体独立したネットワークなのだ。私の関節の痛みなんて知ったこっちゃない。免疫学的自己と痛みを感じている自己は、別物。
そう思うと、自己免疫疾患というフシギな存在も、受け入れる気になれる。
あとは、自己免疫疾患の章の初めにあった悪魔に操られるキリストの比喩も面白かった。
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免疫は、自己でないものの自己への侵入を防ぐための機構です。とても単純に思えます。しかし、ちょっと考えると疑問が湧いてきます。自己でないものを自己とどうやって区別するのか?間違えて自己を攻撃してしまうとどうなるのか?お腹の中の赤ん坊は母親にとって自己なのか?自己でないとしたらなぜ攻撃しないのか?
「自分とは何か?」
答えはでませんが、もう一方の自己言及的なネットワーク、インターネットとの隠喩的に読むとなんとなくわかったような気に。
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まずひと言「ムツカシかった」。正直、この本をどれだけ理解できたかと言われると、半分も理解できていないように思える。
でも、自分なりに多少なりとも理解できたと思えた部分は、とても刺激的な内容だった。“免疫”というと、水ももらさない強固なシステムが24時間体制で身体を守ってくれているようなイメージがあったのだけど、それがこんなに微妙なバランスの上で成り立っており、時には「自己」をも攻撃対象にしてしまうこともあるということは、全くイメージしていなかった。
HIVとアレルギーの章については、メディアなどである程度の知識に触れているため、イメージが湧きやすかった。しかも、メディアの断片的&表面的な解説でなく、バックグラウンドや詳細まで知ることができるのは、この本の大きな特徴だと思う。
病魔に侵され、死の目前に著者が残した言葉、「長い闇の向こうに、何か希望が見えます。そこには寛容の世界が広がっています。」。偶然か必然か、この本にも何度か“寛容”という単語が出てきます。