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いつかの芥川賞受賞作品。代表作含めて4つの短編どれもが、溢れて零れ出しなそうな程の饒舌具合で、キッチュな印象。「背負い水」の主人公は、実はとても女性らしいのだろうに、心の止まり木を定められなくてあっちこっちふら付きながら倒錯していく。何故だかとても共感が出来てしまった。
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4つの短編集。30女の本音みたいな本。
芥川賞受賞作品らしいが、その時代80年代には女性が本音を言うのが面白かったんだろう。30代イラストレーターの女性が、ゲイ疑惑のある同業の男と同棲を始めて、別れる、という話。 恋愛には相手への疑惑がつきもの。彼氏はゲイなのかも、しかも元彼に多額の送金をしていたのかも?私は節約節約で彼との同棲を切り抜けていたのに…。それに耐えきれずに、主人公の女は別れを選ぶ。
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4つの短編作が含まれている。主人公は自分とはおよそ関わりのない30代女性。
精神的な描写は当たり前だが理解できないものが多くそれがまた新鮮であり残念でもある。テーマも日常的なものなのかもしれないが絶対に体験できないであろうことばかり。
その点「喰えない話」は面白かった。ダイエットに失敗し続ける女性、トライし続ける女性、これは女性でなくても存在するし知り合いにもいるし、こんな気持でダイエットに励むのかとおかしくも悲しくもあり。
作者の言葉遊びが好き。
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日常会話的に流れるような文章は、
読みやすいと言えば読みやすいものではあったが、
あまり心に残るような内容ではなかった。
空回りぶりがユーモラスに描かれてはいたけれど。
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バブル期だから、こんな強くてしなやかに見える女の人が流行ったんだろうか。
ピンと来なかった。ピンとこないから芥川賞なのか。うーん。
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1991年上半期芥川賞受賞作。著者の荻野アンナは慶應義塾大学文学部教授で、フランス文学専攻。たしかラブレーの研究家だった。ただし、作家としての彼女の作品はラブレーには似ていない(たぶん。実はラブレーをよく知らないのだ)。30歳前後の、売れないイラストレーターの「わたし」の一人称で語られる、ある種の恋物語。同棲相手のジュリーとの関係も「ネラネラした」まま。そうした浮遊感の中に独特のリアリティが感じられるが、到達点は誰にも示すことができない。そこがこの作品の新しさといえばいえるだろうか。
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荻野アンナさんとお話ししたことがあるというのは、慶應に入って最もよかったことの一つです。あの美しい横顔で、「正解なんて何もないのよ。あるのは、算数の答えくらい」とおっしゃった時には、思わずぞくっとしました。芥川賞作家というのは、こんなに普通にドラマチックな言葉を発するんだー!と感動したのです。
↑の言葉は今でも折に触れて思い出すけれど、それ以外の会話の記憶はだいぶおぼろげになってきました。もう15年近く前のことだから。
確かその時は、フランス文学を勉強されたアンナさんが、日本語で小説を書かれる理由を質問したんですよね。そしたら、ラブレーとかフランス古典文学の面白みを日本語で伝えたいからというような答えだったと思います。
学生だった私は、それにとても納得しました。正直アンナさんと会う前に予習として読んだ作品には、少し違和感を持っていたのですよね。でもそれが、異なる文化・異なる言語の文学を日本の小説に落とし込むと考えると、腹落ちしたのです。
例えば、初めてカヌレを食べた時のような感じ?最初は何この食感、焦げ?とか訝しむけど、だんだんおいしくなってくるような。