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難解で読み難いとされるラカンの理論(ホント、訳わかんないです…)を、推理小説やSF映画のような大衆文化を通して解り易く読み解いていこう、というような内容? の本。まぁ、難しいには変わりないのだが、推理小説や映画が好きな人は「そういう見方もあるのかー」と楽しめるかも。
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「イデ崇」はイデオロギーについての話しが多かったが、今度は映画やサブカルが語られていた。
2008.12.2-4.
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理解できていないところも多いけれど、今まで思いもしなかったような観点に気づかされて面白かった。というより、なんだかよくわからないけれど知的好奇心をくすぐられるという不思議な感覚。
ぼくは文学はあまり好みではないのだけれど、文学的詩的表現の長所っていうのはこういうことなのかな。象徴界に統合できないことをなんとか取り込もうと努力するみたいな。でもやっぱりよくわからないから、もう少し知識つけて理性的な理解の仕方をしたいかなと。そういうのが症候なのかな、ぐるぐる周りを回ってるのかな。なんか違う気がする。
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やはり2003年頃に精神的苦痛からつまみ食いした本は読み返すと面白いものが多い。とくにラカン関係。
自分の感覚にあうところは注意深く読み、他は斜め読みして読了。
ジジェクの本を読むには事前に斎藤環や新宮一成のラカン解説本を読んでおく必要があるように思った。
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哲学書なので何度も読み返すべきなのだろうが、文体的に一気に読んでしまう方が理解できるような気がした。理屈は大事だけど、感じることがより重要である気にさせる文体だったので。
平和な風景に張り付く”染み”の概念等がとてもわかりやすく解説してあり、なるほどなと、思わされる。他にも、中心が空無であっても回り続けるモダニズムというシステムへの批判や、主体が空無であるからこそ逆説的にそこに任意の内容を詰め込んで表象するアイデンティティポリティックスの起源など、人類学の視点からみても頷ける内容が盛りだくさんだ。イデオロギーとは失敗を考慮しながら駆動するシステムである。これは秀逸だ。社会とは人が振る舞うように振る舞う(存在する)というジョン・サールの言葉を思い出す。植民地支配から脱却しようとした時に、被植民地の人々が行ったことや、昨今声高に叫ばれる”美しい日本”や”クールジャパン”などのデフォルメされた文化表象も大方この図式で説明がつく。弱者が立場を得るために、戦略的にアイデンティティポリティックスを選び取ったり、文化を任意に創造したりすることを”政治的正しさ”といって看過するしかない現状、ジジェクはどう考えるのだろうか??
それもまた幻想に過ぎないと一笑に付すのであろうか。しかし、冷笑家の内実は、実はかつては希望を抱いた志士であるのではないかと疑わずにはいられない。それもまた、私が彼という記号に任意に与えてしまった幻想なのかもしれないが。
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ラカンを全く知らないので途中から理解が困難な部分もあったが、ヒッチコックをはじめとする映画からの引用やSF、ホルバインの絵画など文化作品を使っての説明は非常に合点がいくものだった
ラカン解説書を読んでからもう一度読み返したい著作
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セミネールを読んだときに結局理解しきれなかった目とまなざしの部分がわかった、ヒッチコックをめちゃくちゃ観ておいてよかった