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猪木武徳『20世紀の日本7 学校と工場 日本の人的資源』(読売新聞社、1996年4月)税別2,000円
大阪大学名誉教授(労働経済学)の猪木武徳(1945-)による近代・戦後日本の人的資源論。読売新聞社の「20世紀の日本」シリーズの第7巻。2014年9月現在、文庫化は未。
【構成】
第1章 江戸の深さ、明治の新しさ
1 藩校・寺子屋から「学校」へ
2 外国の知識・技術の移入
第2章 工業化と労働力
1 産業教育と労働の現場
2 「女工哀史」と労働争議
3 研究開発と技術者たち
第3章 軍隊と産業
1 陸海軍の教育と選抜
2 軍事技術と民間企業
第4章 戦後の学校
1 占領と教育委改革
2 人的資本理論の妥当性
第5章 工場内の人材育成
1 ブルーカラーの現場教育
2 OJTはなぜ有効か
第6章 高学歴化したホワイトカラー
1 実力の評価と「年俸制」
2 事例による日米比較
第7章 官吏から公務員へ
1 官吏の任用
2 地方公務員の人事システム-東京都の場合
3 「天下り」をめぐって
第8章 移民と外国人
1 アメリカ移民と日米摩擦
2 終戦から現在まで
本書は、明治から戦後の高度成長期にかけて形成された学校・企業における人的資本の活用と選抜に関するテーマ史である。
明治期におけるお雇い外国人による技術輸入から話ははじまる。目新しい主張ではないが、士族階級の向学心、庶民レベルの初等教育の浸透が、目新しい西洋技術・理論の短期間の吸収の素地となる。そして、官民挙げて送り出した留学生のほとんどが欧米諸国に流出することなく日本に帰ってくることで、高額な「投資」も回収することに寄与した。
工場が設立されると、そこで働く労働者の育成が急務となる。工員達の出自は様々だが、軍工廠や企業の工場内養成制度によって養成工となり、続々と手に職と技術を身につけた労働者が育成されるようになる。また、1899年の実業学校令制定後に続々と設立された実業学校の卒業生もそれに加わっていく。大正期の労働争議は、工場労働者の増加、劣悪な就労環境の拡大、そして大戦後の不景気を背景とした当然の帰結であった。
ところで、本書のユニークなところは、通常の労使関係論や教育制度史では触れられない、軍隊における人事制度、軍需が民間セクターに与えた影響を紹介しているところにある。無論著者はこの道の専門家でもなく、このテーマに深く入り込むことが本書の目的ではないので、記述は概説にとどまっている。ただ、第3章第2節で触れられている、軍事と民生の工業技術の互換は確実に存在し、軍の技術士官と民間の技師は人的交流が行われており、ここに戦後の技術開発の萌芽が見出されるという指摘は面白い。戦前に蓄積された航空技術が、戦後に航空機開発が抑制されたために鉄道技術開発へ人的資源が振り向けられたという点は戦後日本のユニークさを物語っている。新幹線開発に零戦開発経験者が居合わせたのは、偶然ではなく、必然と言っても過言で���無かったわけだ。
さて、話を本論に戻せば、本書の中核をなすのは第5章・第6章の戦後の民間企業における人材育成と評価をめぐる分析と言える。
第5章はブルーカラー労働者におけるOJT主体の育成について。旋盤工、金型製作、ベアリング研削工などをとりあげ、メーカーにおけるオペレーターの育成がOJTを主体にして行われていることを例示する。OJT主体にならざるを得ないのは、「技術内容の詳細を明確に特定化したりマニュアル化できない」という背景があり、これがため日常的な業務の例示によってしかそれを習得できないからだというのが本書の主張である。加えて、大企業においては業務が細分化されているがゆえに、簡単な作業から複雑な作業へと徐々に職務が高度化していく過程で、作業習得のコスト(金銭・時間)が節約しうるということが触れられている。また、このような企業内のキャリア形成がいずれのオペレーターも単純作業からキャリアがはじまるという点で「機会の平等」が担保され、外部から人材がくるのではなく、長期的な職務経歴の中で技能を選抜・評価された人間が職位に就くという点で民主的であるという主張は興味深い。
第6章ののホワイトカラーの分析は今となっては珍しさも感じない「年俸制」をめぐる議論が取り上げられている。戦前から戦後、そして戦後の1960年→1990年と比較してもホワイトカラーの比率が一気に高まったという指摘は重要である。大学進学率の上昇と歩調をあわせてホワイトカラー職務の増加とホワイトカラーにおける大卒比率の上昇が、企業内の大卒ホワイトカラーの位置づけそのものを大きく変化させたと言えるだろう。つまり、ホワイトカラーがエリートでなくなったが故にそのホワイトカラーの中での選抜をかけていく仕組みの一つが「年俸制」だと本書では位置づける。ただ、本書の刊行から20年近く経た現在から見れば、年俸制とて高度成長期に形作られた職能資格制度の延長線上の運用でしかなく、本質的に異なっているとは思えない。
最後の2章は各論の紹介であり、大きな枠組みの提示につながっていないが、公務員の人事管理については官民の人事制度が相互に及ぼす影響を含めて論じられればなお面白かったのではと思う。
概観するに、本書の視点は評者自身の問題意識とも重なっており、示唆に富んでいる。戦前の官(政・軍)、高等教育と民間企業の構図から戦後の労使関係そして企業内キャリア形成と選抜を点描することには一定の成果を挙げていると言えるだろう。しかし、戦後占領期から高度成長期に至る過程については、もう少しきめ細かい実証が必要なのだろう、どうしても「ぶつ切り」になっている感がある。ここを補完する著作が他にあればいいのだが。