紙の本
セックスの果ての“自然”
2001/09/17 23:57
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:クォーク - この投稿者のレビュー一覧を見る
恐らくは四半世紀ぶりにD.H.ロレンス著の『チャタレイ夫人の恋人』を読んだ。
完訳版が出たということで、いつかは読もうと思っていたのだが、この連休を使って読み込んでみようと狙っていたのだ。
昔、恐らくは学生時代だったと思うが、猥褻表現を巡って裁判沙汰にまでなった本ということで、マルキ・ド・サドの『ジュスティーヌ』や『悪徳の栄え』を読むときと同様、幾分なりの好奇心というかスケベ心たっぷりで購入し、一人、下宿の部屋で読んだのだった。
今、中年となったこの年になって改めて読んでみると、この本、あるいはこの作家の素晴らしさを再認識する結果となった。敢えて再読して十分、満足することが出来た。
性描写もこの時代、これより過激な描写の作品は溢れ返っていて、小生のように秘めやかな期待を持って読んだりすると、がっかりするかもしれない。
けれど、この本には単に性の過激な描写が焦点にあるわけではない。
というより、むしろ“自然”こそがテーマなのである。その自然の一つ、人間にとって大切な自然であるということで男と女という互いに交差する宇宙を繋ぐ行為としてのセックスという営みが謳歌されているのだ。
話の内容は有名だし、粗筋を説明するほど愚かな行為はないと思うので省略する。ただ、ロレンス自身の許されざる恋ゆえの生涯に渡る逃避行(解説者の安藤一郎氏の言葉を借りれば「旅と遍歴」)が作品の背後に、あるいは彼の詩や文学全体の基底にあることだけは言っておいていいだろう。
彼、ロレンスが戦った相手とはイギリスのヴィクトリア朝の偽善的美徳だった。その偽善に戦うための武器の糸口を求めて遍歴を重ねたのだが、解説者によれば「キリスト教以前の人々、キリスト教文化に侵されない原始的自然に、深い郷愁を抱いた」しかし、それは解説者によれば「一種の偶像崇拝にも似ている」となる。
膨大な作品群を残したロレンスの生涯は、今度、解説を見て改めて気づいたのだが、なんと45年で終わっている。短いからどうということではないが、結核に倒れたとはいえ、彼はもっと長く自然を深く味わっていたに違いないと、小生は勝手に思い込んでいたのである。
今度、知ったことは他にもある。補訳を請け負った伊藤礼氏による「改訂版へのあとがき」によると旧版の初版刊行は昭和39年なのだが(裁判に付される契機となった伊藤整による完全訳が出たのは昭和25年。当然、これは押収されている)、実は、昭和48年には羽矢謙一氏による完全訳が講談社から出版されていたのである。
これは小生には全くの初耳だった。ということは小生が新潮文庫で検閲された形での伊藤整訳本を読んだ時には、既に完全訳があったことになる。
まあ、そうした事情には関係なく、D.H.ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』は素晴らしい二十世紀の作品の一つであることは間違いない。
紙の本
精神と肉体、とか
2002/07/21 16:01
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:白井道也 - この投稿者のレビュー一覧を見る
すごくまっとうな小説だ。都市と農村とか標準語と方言とか精神と肉体とか、近代化にともなうそういった二項対立が物語の根底にあると思う。チャタレイ夫人が森番メラーズとするセックスは、自然賛歌というか肉体賛歌で、それはさすがに男の作家が書いたものだなぁという印象を受けるけど。あと、メラーズがセックスの時、男女同時にオーガズムに達することにこだわっているのも、マッチョな感じだ。
紙の本
英国女流文学・仏文学が好きな方にもお勧めしたい
2022/07/14 11:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:こずえ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「チャタレイ事件」があまりにも有名なため、しばしば過激で厭らしい小説と誤解されてしまう本作ですが、まったくそんなことはないです。
寧ろ現代の読者の多くが、「一体この小説のどこがそれほど問題視されたの?」と疑問を感じるのではないかとすら思います。
本作は20世紀初頭の作品であり、日本で完訳版が出版されたのは戦後。伊藤礼氏のあとがきには「思想的にも風俗的にも開放的になった時代」とありますが、それでも現代とは感覚がまるで異なっていたのだろうと感じました。
内容自体は意外と健全……というか、現代人からすれば結構可愛らしい恋愛小説なのですが、自我を持った女性・欲望の主体としての女性がこの時代にこれほど生き生きと(あるいは生々しく)描かれていたことには、やはり良い意味で新鮮な驚きを覚えます。
作者ロレンスは男性ですが、英国女流文学や仏文学が好きな方は面白く読めるのではないかと思います。
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ショッキングな話題のほうで有名になってしまっていますが、作品自体とても魅力的です。
問題となった箇所も全然卑猥だとかそういうこともなく、とても誠実な啓蒙小説という印象を受けました。
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判例しかしらなくていまいち実感できなかったので、読んでみました。どういう結末になるんだろうってずんずん読んでいって、最後のほうで急加速していくのですが、読後感はとてもさわやかで健全な感じです。
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なぜか、よく読み返す。大学1年生の時に1度は読んでみたら?と言われていて、卒業してから 思い立って読んでみたけど、考えさせられる事がよくある。
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従軍して負傷し下半身麻痺におちいり車椅子生活を余儀なくされた夫をもつコニーは、献身的に夫の世話を焼くが、性的な充足感を経験することのない、どこか満たされない上流階級の女性だった。彼女は夫の屋敷に付属する森で猟場番として働くメラーズという男を知る。
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童貞に対して性愛の素晴らしさを説いてみて、それを理解しろと云うのは、無理な注文であると云わざるを得ない。
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チャタレイ裁判、ということで有名。
それだけは知っていたのに、読んでいなかったので借りてみた。
問題の箇所も、決して卑らしい表現じゃない。
本当に文学的な作品だと思った。
一度読んでみるべき!
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これは卑猥じゃないですよ。セックスによって彼女は救われたんだよ。
伊藤整 訳/伊藤礼 補訳/2008.4.10 第14刷
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「チャタレイ事件」で有名なこの作品。
芸術的・科学的な価値を意図したり残したりしているエロチカか、性を好色に描写し芸術的価値が少ないポルノかで、裁判沙汰になった作品。
初版当時は80ページも削除されたが、初版の訳者の息子さんの手によって完全版にされたのがこの本です。
確かに、性描写は赤裸々だけれども、男女二人の「生きたい」という願望が「愛を重ねる行為」として具現化したものだと私は思います。
凍えた寂しく虚ろな心を、温かな肌で寄り添うように暖めあい、2人の魂を救済したのです。
どことなく切なくて、苦しくて苦い。
繊細で思慮深い作品です。
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しょうがないだろ!の一言に尽きる。
これはポルノなんかじゃない、ただの描写だ。
誰かを興奮させる目的なんてない、
ただこの小説にとって必要だったから書いただけの話だ。
クリフォードみたいな奴はいる。マイクリスみたいな奴もいる。
でもメラーズみたいな男はたぶんそうそういないし、
もしそんな人と恋に落ちたなら放してはならないと思う。
何を捨てても。
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「 現代は本質的に悲劇の時代である。だからこそわれわれは、この時代を悲劇的なものとして受け入れようとしないのである。大災害が起り、われわれは廃墟の真っただなかにあって、新しいささやかな生息地を作り、新しいささやかな希望をいだこうとしている。それはかなり困難な仕事である。いまや未来に向かって進むなだらかな途は一つもないから、われわれは遠回りをしたり、障害物を越えて這いあがったりする。いかなる災害が起ったにせよわれわれは生きなければならないのだ。
これがだいたいにおいてコンスタンス・チャタレイのおかれた状況だった。ヨーロッパ大戦は、彼女の頭上にあった屋根を崩壊させてしまった。その結果として彼女は、人生には生きて識らなければならなぬものがあることを悟ったのである。」
「 彼女は人間の魂のある法則を、ぼんやりと理解するに至った。つまり、感じやすい魂がひどい傷害を受け、しかも肉体が死滅しない時には、魂もからだが恢復するにつれて恢復するように見える。だがそれは外観のみにすぎない。ただ以前の習慣をとり戻したという、機械的なことにすぎない。魂の受けた疵というものは、徐々に、徐々に分かってくるのである
ちょうど緩慢に痛みの幹事が深まってゆく疵のように、それはやがて魂の全面にひろがってゆく。そしてもう恢復して、忘れ去ったと思うころになって、恐ろしい余波が最もひどい害を及ぼすことになる。」
「『最高の喜び?』と彼女は彼を見上げながら言った。『そういう馬鹿らしいことが精神生活の最高の喜びなの?いいえ、結構よ!私は肉体をとるわ。肉体の生活は精神の生活よりもずっと大きな現実だと思うわ。肉体が本当に生活に目覚めたときは。でも、あなたの素敵な風車のような人々は、精神を自分の屍体に縛りつけているだけなのよ。』」
「人間とはそういうものである。意志の力によって、われわれは内的、直感的認識を表面意識から切はなしてしまっている。このことが恐怖あるいは危懼の状況を作りだし、打撃を受けたとき、その衝撃を十倍も大きい物にするのだ。」
「裸になり、きれいにしていて、皆で歌を歌い、昔の踊りをみんなでおどり、自分の椅子に彫刻をし、自分の紋章を自分で刺繍する。そういうことを学ぶべきです。そうすれば金はいらなくなります。産業問題を解決する方法はただこれのみです。人間を、金を使わなくても生きられるように、訓練すること。しかし、これはできないことです。人びとはいま、皆、偏狭な考えにこりかたまっているのです。群集は考えるということができないのですから、考えようとしないのも当然なのです。人々は快活であるべきです。あの偉大なパンの神のごとくあるべきです。」
この本は、発行人及び訳者が、わいせつ文書頒布の罪名を昭和25年から32年までの間に裁判でとわれていた。確かに、いくらかの性描写はある。しかし、今の時代からすれば過激なものではない。そして、読めば分かるがロレンスの主眼は文明批判にあった。その対極として、身分違いの2人の肉体から始まる原始的な愛を描いたのだ。しかし、裁判あった時代、戦後の復興期、発展進歩がもてはやされた時代においてはそれは理解し難いものだったのではないだろうか。
でも、長いし理屈っぽい感じはするので人に薦める本じゃないかな・・・・
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期待せずに読み始めたら、とても面白かった。
登場人物の個性がみんな強くて、更にコニーの内面の移り変わりが読んでいてワクワクする。
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チャタレイ裁判は高校の時習ったが、この作品自体が罰にならずにすんで本当によかった。
確かに性について肉体的に描いているが、それ故に核心をついていると思う。肉体から始まった関係だからこそ真実の愛になるーそりゃそうだ、体が求めなければ好きになるはずないもんね。
というか、ロレンスは男性なのに、なぜここまで女性の感じ方を描けることができたんだろう。
やっぱ天才だわ。