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紙の本
五分後を生きること
2008/02/27 11:44
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る
村上龍は、なんというか、すこし変わった小説家である。
そのことは、『コインロッカーベイビーズ』や『愛と幻想のファシズム』、さらには『トパーズ』や『イビサ』のような、小説として圧倒的な世界を凝縮された文体で一気に読ませる傑作小説よりも、たとえば『五分後の世界』のような小説によってよくわかるようだ。
『五分後の世界』は、第二次世界大戦後の日本と世界に関する、可能世界、つまりはあり得た別の可能性をパラレルワールドとして提示する物語ではあるが、この小説の眼目はそこにはない。そうした設定は、SFはもちろん、『エヴァンゲリオン』をはじめとする、漫画やアニメの世界で、それぞれの変奏を加えて実に多彩に、魅力的に表現されてきたばかりでなく、おそらく文学の想像力は、このテーマに関してあまり表現を鍛えてこなかった。だから、『五分後の世界』が読ませる小説なのだとしたら、それはSF的な設定それ自体にはなく、そうした設定を1つのハードルとして課して、その上で「生きること」、より端的に言えば「個人としての意志」の尊さを書き、それが特殊な設定、さらには戦場という過酷な状況を背景に描かれているからに他ならない。
そう考えてみれば、冒頭で述べた「すこし変わった」という印象は説明がつくだろう。村上龍の小説は、小説として強度のある虚構世界を提示するが、それは目的endではなく、1つの手段なのだ。孤児の物語にしても、ファシズムにしても、あるいはSMを、戦争をモチーフとしても、その世界に没入する文学的淫蕩からは、村上龍は隔たって立っている。その上で、「人間」を書くのだが、それは日本近代文学史で言い古されてきた「近代的自我を持つ主体」のことでは全くない。そうではなく、情報やテクノロジーが進歩し、その中で生きにくくなっていく「現在」を組み込んだ上で、プライドを尊び、選択・決定・行動を自身の「意志」によって遂行していく、その精神の運動こそが、村上龍の真骨頂なのだ。
『五分後の世界』は、いささか誇張された虚構世界によって、そうした「意志」を生きる小田桐という主人公の生の奇跡が、ソリッドに描かれている。
紙の本
何かをしようと思わせてくれる活力ある作品
2023/06/28 23:14
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投稿者:風 - この投稿者のレビュー一覧を見る
気がつくと小田桐は森の中の狭い道を歩いていた。そこは、第二次世界大戦が終結していない別の世界だった。広島、長崎以外の都市にも原爆は投下され降伏しない日本にアメリカやロシアが上陸しすさまじい攻撃を行った。日本列島を国連軍が統治することになるが、アンダー・グラウンドに、どの国にも降伏せず自らのことは自らで決定するという人口26万人の日本人が営む戦闘国家が成立していた。その戦闘力は国際的にも評価されていた。その世界に迷い込んだ人間の腕時計は現地の時間より五分遅れていた…。
細部を詳細に描写する戦闘場面が何ページも続く。まさに爆撃の音を聴き血の匂いを嗅いでいるような臨場感が、戦闘など未経験の主人公の体に沁み込んでいくように読み手をその世界に連れて行く。この体で世界とどうかかわっているのかを直に問われているように思えてくる。この残酷な世界を生きていくには、この身をさらすしかない。それはとても厳しいことなのだが、しかし小説は、一歩踏み出すことが生きることの充実につながることを教える。それが、少しかも知れないが、希望につながると思える。
1994年刊。
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揺さぶられる
2016/09/28 15:46
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投稿者:ポージー - この投稿者のレビュー一覧を見る
この世界にいた主人公がパラレルワールドの日本に突然来てしまうことから始まる物語。その世界ではなぜか日本は領土のほとんどを他国に支配されていて、人口もわずかに26万人しか残っていない。
人間はいつも何かから支配され抑圧されていて、酷い場合自分がそのような立場にあることにさえ気づかないか疑問を持たない。これは「人間なら自立し自己の誇りを示し続けろ」と、訴えかけるという弱いものではなく、そういう力強さに読者を無理矢理引きずり込んでいくような小説。
紙の本
村上龍色出まくりの一作
2002/07/20 18:40
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投稿者:優樹O - この投稿者のレビュー一覧を見る
村上龍の政治や経済に対する発言はデビュー当時からあったがこの作品を境にそれとエンターテーメント性をうまくマッチさせることを覚えたようだ。この分かりやすいテーマ、SF心をくすぐる描写それらすべてが村上龍らしい一作。おもしろくてちょっと政治色が強い。気軽に読める秀作。
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うーん、描写がリアル!
2002/06/24 20:57
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投稿者:ひとみんこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんとなく読んだこの小説。しかしかなりはまってしまった。設定は日本が第二次世界大戦で負けを認めずに、あのままずっと戦っていたら…、というもう一つの日本が舞台。決してありえない話ではないんだよね。もしかしたら本当にこうなっていたのかもしれない。フィクションだけどノンフィクションみたいな。だからこんなにはまるのかも。戦闘シーンなんかもでてきて、描写がリアル。女の人はきついかもしれない。でもそれをカバーできると思う。なんか勉強になる1冊。
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描写(最古のバーチャル・リアリティ技術)の力
2002/04/06 22:25
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
7年前読んだとき、これは画期的な作品だと思った。『ヒュウガ・ウィルス』とあわせて再読してみて、やっとその意味が解った。言葉にするとあっけないものだが、この小説はバーチャル・リアリティの技術を駆使した対戦型コンピュータ・ゲームの言語版だったのだ。
言語による描写こそ最古のバーチャル・リアリティ技術なのだからして、これは物語のDNAに則った原始的な作品である(『存在の耐えがたきサルサ』に収められた小山鉄郎氏との対談に『五分後の世界』の設計図が示されている。村上龍はこの対談で、作品を書き終えたとき、あえて物語を終わらせる必要がなかったことに興奮し、「自ら構築した世界が非常な強さを持って、僕の予測をある意味で超えてた」ことを「宗教的な感覚」と表現している)。
実際、この作品には至る所に分岐点がある。たとえば薬化学の研究員だった女性作業員やマツザワ少尉、日ノ根村(非国民村)で出会ったぞっとするような美しい女。彼女たちと小田桐との間には何事もおこらない。しかし「他人との出会いはそれだけで別の人生の可能性なのだ」(『最後の家族』)。
これ以外にもワカマツや少女ダンサー、ヤマグチ、ミズノ少尉、等々、この物語には至るところに分岐点が用意されている。そもそも本編のプレイヤー小田桐自身が、「本土決戦を行なわずに、沖縄をぎせいにしただけで」降伏した大日本帝国の末裔、「「無知」のままで、生命をそんちょうできないまま、何も学べなかった」(135頁)日本人が住む世界からアンダーグラウンドへ分岐してきたのだった(物語の「原‐分岐」)。
『JMM』No.133(2001年9月28日)の広告を見ると、「ひとつの世界観」に対してプレイ可能な複数のキャラクターを用意し、すべてのストーリーを体験するのに100時間以上かかるプレイステーション2ソフト「五分後の世界」が発売されているし[http://www.5min.net/]、タケウチ・ナルミというアンダーグラウンドで「天才スナイパー」と呼ばれている青年のストーリーをあるプレイヤーと現役自衛官がプレイした「外伝」がオンデマンドで出版されているらしい[http://www.bookpark.ne.jp/5min]。
渡部直己が解説でとても鋭い指摘をしていた。『五分後の世界』には、ひとつの戦闘場面に五十頁もの途方もない分量を費やしたりワカマツの演奏場面やそれにつづく暴動を並の節度をはるかにこえてひたすら描写するといった均衡を欠いたところがある。しかし「描写こそ、あらゆる小説家にとって、世界に対するかれらの最大の原則でありかつ武器である」──「たんに他者や世界を描くのではなく、描くことそのもののなかで、他者や世界との関係を不断に組みかえる力。小説にとってもっとも原則的であるがゆえにもっとも強くかつ扱いにくい武器[ちから]としての描写の機能」──のだから、それはきわめてまっとうな選択であったと言うのだ(多世界=複数のモナドの内面世界の内包量=強度=濃度=密度そのものである描写の力)。
ちなみに『サルサ』での渡部氏との対談で、村上龍は「一番嬉しかったのが渡部さんの評なんです」と言っていた。
紙の本
五分後の世界
2001/10/14 15:20
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投稿者:あんぱん - この投稿者のレビュー一覧を見る
五分間ずれているという世界に迷い込んだ小田桐。そこはまったくべつの世界観を持つ日本だった。という奇抜な発想で仮想の戦争を描く、著者自らが自らの最高傑作と語る傑作。
とにかく、戦闘シーンの描写が凄いです。まだまだ文学も負けてはいません。