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「毛沢東」?なんて気になり手に取った一冊。
本当にリベラルな吉本隆明さんと中国の北京記者であった辺見庸さんとのさまざまな会話を綴ったような本です。18年も前の本ですが面白かった。
毛沢東とオウムは同じ。
オウムの事件・・・憎くて殺したわけじゃない。世界観が殺した。理念が人を殺すわけです。これは人間の根幹にかかわるテーマである。
なにか極悪な事件があると、日本人の「一億総検察化」は恐ろしい。一つの事態を多角的に考えてみるという雰囲気、絶対少数の異論にも耳を傾けてみるという空気が本当になくなった。
ファシズムといううのは一握りの軍国主義者たちが思想・言論・何から何まで統制して軍国主義化してく現象だということになる。しかし、民主的な手続きを踏んで円滑に進むファシズム<メディアファシズム>社会を覆う意味の一方向的な支配がどんどん進む状態もある。
ある方向のみの意味を許してそれ以外を認めないという気配。メディアが意味総体を収奪して無化してしまう状態。今はジャーナリズムもメディアも視力が落ちている弱視状態。…だと書いてあるのを読んで頷く。
李志綏「毛沢東の私生活」を読んでみたい。
BBCのシュミレーションによると2020年に中国は3分割。北京政府・上海政府・広東政府となるとか…書いてあったのも、あり得ると思った。
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辺見「セックスが最高だと言われるのが、僕の夢ですね、というより人間的にそうあるべきじゃないかとどこかで思っている」
性愛論に関するこの一文を読むためだけに本を手にいれました。満足。
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2人の巨人の話し合いが楽しい。過激、歯に衣を着せず痛快。「女」の章はほとんど猥談のような部分も。吉本が今では保守派に受け入れれる存在だったとの辺見の言葉を否定しない吉本に歴史の流れを感じた。吉本の毛への厳しい姿勢は文革の頃から一貫していたのだ!知らなかった。「夜」が無くなったのは、文字通りの暗闇が無くなっただけでなく、陰影のある人物が減った、ドラマがなくなったということでもある。中国から帰国した共産党の伊藤律の顔の業の深さの表現が出てくる。レーニンや毛沢東の俗人ぶりを2人が話している姿を見ると、実際にそうだったと思い知る。その俗人であるが故の大人物性というのは今でこそよく分かる。連合赤軍、オウムの異常性を追及するマスコミ、そして一般人が、ではあの時地下鉄で果たして傍観者ではなく、救助をしたのか!素通りした一般人が「事後に安全な場所で、オウムを怨み極刑にせよと叫ぶ!」。この批判は恐ろしく根源的。吉本や宗教学者の島田裕巳がオウムに擁護的として批判されたことへの批判はマスコミの底の浅さを感じさせられる。
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初読。図書館。辺見庸×吉本隆明の対談集。タイトル以上に幅広いテーマでの対談のため、深いところまでいく手前で終わっている気がする。ここをとっかかりに深く入っていくとしましょうか。