投稿元:
レビューを見る
ぐいぐいと引き込まれて、勇敢であること以降は言葉にならない。皆普通の青年だった。戦争とは戦場とは何なのだろう。
物語を書くことで死者が起き上がり生き始めるというくだりで、でもテッドもカイオワもレモンも皆戦争の中で、書いている本人も戦争にいて……嘘だったと思うくらいに時は過ぎて、それでも心だけあそこに残っているような。
ベトナム戦争は開高健といい、読んでいると引きずり込まれて恐ろしい。
投稿元:
レビューを見る
本当の戦争の話をしよう。本当の戦争の話というものは、全然教訓的なんかではない。信じられないような荒唐無稽な話に聞こえても、それは本当に起こったことなのだ。それが本当に起こった出来事でなかったとしても、それは戦争の本当の姿なのだ。
ベトナムで、汚泥の沼に沈んでいった戦友を、恐怖に駆られた自分が殺してしまった兵士のなきがらの様子を、どうしたら忘れられるだろう? そこで起きたことを、どうやったら戦争にいかなかった人々に、正確に伝えることができるというのだろう?
生き残ったあとも戦争の亡霊につきまとわれつづけた主人公、あるいは作者の、必死の語りかけ。
ひとつひとつのエピソードが、実際にあったことなのか、実際にはなかったことなのか、わざとあいまいにされているけれど、そこに描かれているものは、ベトナムの真実。
戦争文学に関心のある方には、ぜひ読んでいただきたい一冊です。
投稿元:
レビューを見る
アメリカンな感じ。
なんだろう、サリンジャーとか、そんな感じの。
たぶんちょっと私とは世界が違う気がする。
ベトナム戦争の歩兵部隊と、帰国後のお話。
戦争の話だけどそんなにグロくはないので、
春樹好きなら読んでおいてもいいかな。
投稿元:
レビューを見る
日本には色んな戦争文学がある。
でも私はぜひ、この作品も読まれてもらいたいなと思う。この作品に日本は殆ど出てこないが‥。(舞台はベトナム、まれにアメリカなのだ。)
戦争にまつわる文学は、どんな要素があれば戦争文学となれるのか。
事実を忠実に表現した作品だろうか。
戦争の酷さを表し、読者の心を揺さぶる作品だろうか。
平和への教訓がちりばめられた作品だろうか。
これまで私が読んできた作品は、どれもそのような作品ばかりだった。
でもこの本は、それらのいずれにも当てはまらないように感じる。でもそれでいて、どこか当てはまるようにも感じる。この本にあるのは、作者の意図や願いではなく、あくまでもフィクションとノンフィクションの間をさまよう戦争の断片だ。
そんなピースの数々が沈んでは浮かぶ作品を通じて、私たちは戦争の何を感じ、知るのだろうか。
――――
日本で戦争は起こらないと、根拠もなく信じていた自分がいたことに気づく。
戦争のさなかにもある、日常。
本当の戦争の話ってなんだ?
これまで聞いていた戦争の話は、なんだったのか?
戦争だから殺人は罪にならないと言われる。でも戦争だから、自分と殺した人間の間には何も直接的な理由がないから、もっと辛い。
一番印象的だったのは、「レイニー河で」。
投稿元:
レビューを見る
「彼は自分で予想していたよりも勇敢に行動できたけれど、自分でそうありたいと望んでいたほどには勇敢になれなかった。」
これって「勇敢」をいろんな言葉に言い換えれるよな。
投稿元:
レビューを見る
村上春樹の翻訳本ということで購入。事実と創作とが織り交ぜられたストーリーはベトナム従軍兵の心をいたいほど映し出してくれる。名翻訳本。
投稿元:
レビューを見る
ティム・オブライエンとは本書で出会いました ベトナム戦争で兵士たちが抱え本国に持ち帰ったもの ここに書かれているのはベトナムでの記憶ですが 戦争という犯罪がもたらす普遍的な記憶です 兵士達が抱えたものは すべての生あるものが抱えていかなくてはならない記憶 淡々と語られる帰還兵のエピソードは 読後 心の奥底に沈んで 日常生活のふとした瞬間にも 防空壕から仰ぎ見るベトナムの空を幻視させてくれます
投稿元:
レビューを見る
ベトナム戦争の帰還兵の綴る戦争の“小説”
戦争がテーマの話と言えばその悲惨さや暴力性が非難がましく書かれている印象がありますが、これはもっと冷静です。政治性を廃し、あくまで個人の体験する戦争の姿が描かれています。
村上春樹さんの味が溢れる訳文ですが、戦争というものの“リアル”を感じられる気がします。
投稿元:
レビューを見る
”「本当の戦争の話というのは、戦争についての話ではないのだ。絶対に」。…これはいわゆる反戦小説ではない。あるいはまた戦争の悲惨さや愚劣さを訴えかける小説でもない。この本における戦争とは、ひとつの比喩的な装置である。それはきわめて効率的に、きわめて狡猾に、人を傷つけ狂わせる装置である。そういう文脈で言うなら、人は誰もが自分の中に自分なりの戦争を抱えている。そしてある意味では誰もが本当の戦争の話を語れるはずなのだ。だから本当の戦争の話とは戦争についての話ではないのだ」”(あとがきより)
「システム」という言葉が思い浮かんだ。
投稿元:
レビューを見る
戦争の話なのに静かで、それなのに汚らしくて、でも詩的な文章で、という不思議な話がたくさん詰まっていた。
読み終わった結果、何が本当の戦争なのかは分からずじまいだった。
「死に近づけば近づくほど生を感じる」といったような文章があったが、矛盾していながら、経験していないながら、納得できる文章だった。
投稿元:
レビューを見る
再読。題名の通り戦争、特にティム・オブライエン自身が従軍したヴェトナム戦争についての短編集。この人はあまり人間の心の奥深くを綿密に描写するタイプではない。細切れかつ簡潔な言葉で、読み手に迫るような文章。
この本のお話は、本当の戦争の話であり、本当の戦争の話ではない。フィクションであり、ノンフィクションである。ティム・オブライエンの中での物語が持つ重さといったら。
物語は人間を構築するし生き返らせるし回復させる。戦争というテーマを扱っていて、一見反戦小説かのように見えるかもしれない。しかし、この本の本質はそんなところにはない。たまたま、著者にとって目的の達成のための手段が戦争をテーマとした小説であったのだとおもう。それが一番適当だったのだとおもう。ただの戦争小説で片付けてはいけないもの。ヴェトナム戦争を経験した人のなかに、こういう風に戦争を語り、具現化できる人がいたというのは、本当に(言い方は不謹慎かもしれないが)幸せなことだと感じてしまった。
もちろん一番好きなのは『レイニー河で』。いつ読んでも心揺さぶられる。
投稿元:
レビューを見る
ベトナム戦争に従軍したオブライエン、隊員たちのこと、短編集。
皆、濃密に生きている、たとえその場所に居ることが、本人の意思ではなかったとしても。戦果とか勲章とか戦況ではなくて、生きてたんだ、生きようとしてたんだ、というのが「本当の戦争の話」なのだろうか。
ジャングルに飲み込まれるように消えてしまった、ガールフレンドの話が一番印象に残っている。
投稿元:
レビューを見る
ヴェトナム戦争をモチーフにしているが、戦記文学ではない。戦争という状況に関り、その中に放り込まれた人々の淡々とした物語になっている。ヴェトナムはストルガツキーが描いたゾーンのような異化空間のように感じられる。そこに入り込み、そこに関わると人間は変わらざるを得ない。
投稿元:
レビューを見る
「本当の戦争の話は、戦争についての話ではない。絶対に。」
矛盾したテーゼを掲げながらも、著者はみずからフィクションと語る戦争の話を、圧倒的なリアリティで描写していく。
政治的な思想はほとんど語られることなく、作者は戦争に巻き込まれた人たちにフォーカスを向ける。
短編集であるが、一つ一つの物語に、戦争に関わった兵士たち、さらに兵士に関わった友人や家族や恋人まで、極限状況における人間とはなにかを語りつづける。
それはとりもなおさず、人間なのだけれど。
ベトナム戦争が舞台ではあるが、近年のイラク駐留でも同じように、兵士たちは生きて抜いたんだろうな。
投稿元:
レビューを見る
本当の戦争の話をしようか。
短篇集ではあるがそれぞれの話の関連性が強くて、
通して読むと場面展開多い中編のような印象を受ける。
「戦争」という材料をを通して
人間の根源的なものを語られている。
が、それは置いといて、いくつかの話には
戦場のタフでファンキーな雰囲気を単純に楽しめる箇所も多い。
そしてそんなケレン味あふれるエピソードに
うつつを抜かして読み進めていると、
ふっと照明が消えるようなショックを受ける話がある。
「勇敢であるとこと」
「覚え書」
自分はこの2話でやられました。
他で言うならば
「レイニー河で」
の作者と老人とのやりとりの雰囲気とかが好き。
ともかく、どの話にも味わいがあるのは確か。