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井上靖と司馬遼太郎が西域について語ってる豪華な一冊。
それも平山郁夫画伯の表紙付き。
皆、西域好きな人たち。
知識量が半端じゃなく、マニアックすぎて話しについていけないという部分もあるのだけど、さすが本格派の小説家の口から出る言葉で、西域のロマンや魅力が十分伝わってくる。
井上氏は、西域が日本人やアジア人にとって、文化の源のようにとらえていて、私たちが西域を懐かしく感じたり、憧れたりするのはそのせいだ、と考えているようだ。
うんうん、そうかもしれない、何か郷愁じみたものを感じるもの。
崑崙山は、西域にあって、中国からインドへの道なのだけど、神さびた山のように思われていて、実際神聖な気が満ちているのだとか。
風水などでは、ここを龍脈の根源としているし、地磁気エネルギーの源でもあるらしい。
西域っていうのは、いろんな意味で、私たちにとって大切なところのようだ。
ロマンだなぁ。
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私は、西域に対して、
どういうわけか、興味がある。
それは、幼い頃に、井上靖の敦煌を読んだことが、
影響していると思う。
井上靖が、敦煌(1951年1月から5月群像連載)
に行かないで、敦煌の物語を書いたことには、
その想像力のたくましさに驚く。
1978年5月に敦煌に行く。
日本人は、蝶々をいつから美しいと感じたのか?
万葉集には、蝶々はない。
万葉時代(約350年から759年)
蝶々が文様化されるのは、
安土桃山時代。(1573年から1600年)
中国では、「胡蝶の夢」を見たのは、
壮子(前369から286年)である。
大谷探検隊 日本の浄土真宗西本願寺22代の
宗主大谷光端、仏教遺跡調査の名目で、
中央アジアに派遣した探検隊。
第1回1902年~04年。
本田恵隆、井上弘円、渡辺哲信、堀賢雄の4人
をつれて、ヨーロッパからパミールを越えて、
カシュガル、ヤールカンドをとおって、インドに入った。
第2回1908~09年
橘瑞超、野村栄三郎のふたりが、
トルファン、ロブ・ノール、クチャ、ホータンなどを調査。
第3回は、1910~14年に
橘、吉川小一郎が敦煌を始め中央アジアを調査。
「西域考古図譜」「新西域記」
スタイン イギリスの探検家
Mark Aurel Stein 1862-1943
ベズクリクの千仏洞 トルファン 東方50キロ
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西域というのは、何とロマンのある響きなのだろう。
この名称は、中国北西部。現在は新橿ウイグル自治区となっている地方。タクラマカン砂漠や天山山脈という人間を圧倒する厳しい自然。シルクロードの中継地点としても栄えたこの地は独自の文化を育んできた。
長年この地に憧れていた作家・司馬遼太郎氏と井上靖氏が夢を実現。西域を自らの足で訪れたその感動を語り尽くす。
敦煌の古い都の情景、行き交う交易商人の足音が聞こえてくるようだ。前漢の武将、カク・キョヘイ(漢字が出てこない・・・)の事績など、歴史の勉強にもなった。
僕はこの本を読んだ次の日に文教堂で井上靖氏の『敦煌』を買ってきた。
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井上靖と司馬遼太郎の対談。西域について。来週から旅の空なのだが、残念ながら、西域(新疆)には時間がなく、行けない。だが、甘粛には行く事になる。
井上靖、みなさん敦煌へ行く目的は莫高窟であると思いますが、僕ももちろん莫高窟が目的ですと言った時は、井上大先生でも庶民と変わらないんだなと苦笑してしまった。
敦煌には行く予定なのだが、莫高窟に行ったことあるので今回はいいかと思っていたが、この本を読んでやはり行ったほうがいいかと思いを新たにした。
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新疆ウイグル自治区「オアシスの都」についての説明(参照P125~)山には猛獣、ばい菌がいる。オアシスには猛獣はもちろん、ばい菌も毒虫もいないらしい。作物を栽培しても害虫の心配はない。南は伝染病が発生しやすいので逆に住みずらいのだとか、発想の転換。そうすると中国圏に伝わる風水とか意味が無さそう。北東方向は鬼門、日当たり悪し水回りに菌が繁殖しやすいのでいつも清潔にするべしってオアシス都市には関係ない。
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今から41年前に、井上靖と司馬遼太郎が共に旅した西域、今で言う新疆ウイグル自治区や甘粛省を対談形式で語っている。これを2018年の今読み直すというのは、今の中国に対する理解を一歩引いて見直す良いきっかけになる。元々両者と中国との関わりや当時の日中友好ムードの気配も感じられるし差し引いて考えるべきものも少なく無いが、それにしてもここ10年での中国の変わりようにも気付く。中国人にこそ読んでもらいたい対談でもある。
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新疆ウイグル自治区をめぐる対談集。
シルクロードの東の果ては京都、という言い方があるが、井上靖と司馬遼太郎の両氏が西域に並々ならぬこだわりを持つ理由も、古代日本との無視できない関わりによっての事だろう。
・蝶はいつから美的対象とされたのか
・日本と朝鮮で進んだ金細工が中国で発展しなかったわけ
・砂漠は衛生的で暮らしやすい
・西域の遺跡が保存された理由は恐怖スポットゆえ?
・国際都市「唐」の都のバーで遣唐使が見たもの
等々。学びの多い一冊。
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井上靖さんと司馬遼太郎さんが西域を訪問したのちの対談集。この本にもあるが少し前に陳舜臣さんが訪れている。たぶんその時の本が「シルクロードの旅」。この本が漢代から唐代を主に話題にしているのに対し、陳さんは清末以降の近代を主に話題にしていたと思う。中国人の陳さんと日本人との違いか。陳さんの本は当時の「解放された中国」にについても、好意的に紙幅をさいているのに対して、この本にはあまり書かれていない。中国人の陳さんとの違いか。対談集という形式もあるのだろうが。
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司馬遼太郎 井上靖 「西域をゆく」 1977年 西域(新疆ウイグル自治区)の紀行後に行った対談。司馬史観が随所に出てくる。
二人とも 西域を 唐時代の長安やヴェネツィア のように、多文化が入りくんだ都市のように捉えている
司馬氏は 国家の歴史を「部族社会を解消して、広域社会をつくった民族のみが、少数民族を包摂同化して近代に入った」と見ている。西域が中国に吸収されても、多文化性を維持している点について、当時の中国の寛容性を評価している
中国の少数民族なのに、西域の面積が日本の5倍というのは驚く。「死の砂漠」と称される タクラマカン砂漠 を見てみたい
司馬遼太郎
「日本は、いったん受け容れた文化を自分の中に採り入れる才能に長けている としている」
「文化を型と見ている」
「唐は 異種文明に許容力をもった世界帝国であり、帝都の長安は西方の人々や文化が入り込んでいる」
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井上靖・司馬遼太郎 両氏の対談本 西域をゆく 読了
古代だけじゃなく70年代頃の新疆ウイグル自治区や中国の空気感をつたえてくれる
両氏の博識ぶりと個性がよく出ていて読み応え十分
当時に比べて移動手段は上がったのに政治情勢が悪化してるのが残念ですね