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紙の本
傑作とまではいかない
2000/10/18 23:03
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投稿者:CURB - この投稿者のレビュー一覧を見る
『奪取』を先に読んだ私は、真保裕一を好もしい作家として、その作品を欠点はあるが大変「読める」ものとして認めていた。文庫版の解説は、「なによりまず文章がいい」などと言っているが、文章は、彼の弱点である。彼の真価は、その弱点を補って余りある入念な取材と、何よりそれを自己に課す厳しいプロ意識だ。『ホワイトアウト』がこれを超えて作家随一の作品ならば、なるほど『不夜城』を凌ぐ傑作だというのもあり得ぬことではないかな、と期待したのだった。しかし、一読、2回目の『ダイハード』を見るかのごとき印象に、作家に対してはため息を、書評家連には嘲笑を送った次第である。
『ダイハード』は傑作であった。もとよりよくできた映画のこと、二度目ではあっても、そこそこ面白い−『ホワイトアウト』はちょうどそんな感じだ。それは、二つの作品の筋立てが同じであることは誰にも見やすいことだ、ということのほかに、『ダイハード』を知っているいないにかかわらず、この作品の面白さは、それくらいの見当だ、ということである。
「いいか、丸山では金子があとを追ったが逃げられ、裏のホテルでは戸塚も振り切られた。ゲームでも訓練でもいい、おまえは、この二人から逃げおおせる自身があるか。」(文庫版183ページ)
テロリストのリーダが主人公の存在を認識したばかりの頃の発言だが、私が、「え、もうそういうことなの?」と思った場面だ。『ダイハード』において、ハンス・グルーバーはジョン・マクレーンを最初、「紛れ込んだネズミ」として認識する。グルーバーがマクレーンをただならぬ天敵として認めたとき、「やっと気がついたか」と私たちは思う。そのときまでに、マクレーンのヒーロー性を十分、見せつけられていたからだ。だが、引用の場面では、私たちは、金子と戸塚がすごいヤツだと強引に認めさせられ、したがって二人から逃げた主人公はただ者ではないと思え、と押しつられているだけなのだ。これは、この作品の失敗の原因を象徴的に示す場面である。
この作品が、圧倒的なインパクトで私たちに迫る可能性を、その設定に有していながら、結局できずに終わっているのは、作者に「描写」ができないことにつきる。テロリスト・冬山・凍りついたダムがつくりだす困難な状況を、作者は「描写」しなければならない、だが、引用したような言葉やダムの高さが何メートルとか日本最大だとかいった説明では何の役にも立たないし、修飾語をいくら積み重ねても「描写」にはならない。
もちろん、主人公に迫る困難を表現しようとして、作者はある特別の手法をとっている。困難に遭うと主人公は決まってくじけそうになり、ときに幻覚を見るほどに追い詰められ、しかしその中で、死者への思い、失敗への後悔、死者との約束などに励まされ、何とか窮地を脱出する。「何とか」というのは私が省略したのではなく、原文は、その前の主人公の心理の移り変わりに終始して、肝心の「困難の描写」はほとんど何もなされていない。こんな馬鹿の一つ覚えの子供だましに、何で立派な大人が騙されなければならないのか。困難が描けていないから、困難からの脱出のカタルシスもきちんと描けない。
我々の現前に示された状況において、私たちでは機転が利かずに思いつかないだろうことを思いつき、私たちの能力ではできそうにないことをやってのけて、初めて感動は生まれる。実はここに現場の人間しか知らぬ抜け道がある、みたいなことを言われて切り抜けられても、少なくとも2回目からは「へえ」と思うだけだ。
細かいことを言えば、笠原の人物設定がムダである点など、本書は懸賞応募作のような未熟さをもった作品で、次回作に期待を抱かせても、とても絶賛するような出来ではない。