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世の中は矛盾に満ちているもの。真面目な人たちはそれを取り除こうとした。しかしそんなことをしてもさらに混乱に陥るだけなのに。自分はむしろ何の問題にも明確に即答できることのほうが怖い。多くの危険をはらんでいるような気がするから。違和感を感じても、決して話して説得はできないのでしょう。よかった自分は凡人で。でもだからといって抹殺されてしまうのも困ります。
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読んでいて、インタビューする著者の聞き方がとても良かったのだろうなぁと感じた本でした。元・現信者の個人的な部分が多く書かれていたので、それぞれ違う部分と、ほとんどの人が共通する部分が見えやすかったからだと思います。
目次
・まえがき
・インタビュー
「ひょっとしてこれは本当にオウムがやったのかもしれない」
「ノストラダムスの大予言にあわせて人生のスケジュールを組 んでいます。」
「僕にとって尊師は、疑問を最終的に解いてくれるはずの人で した」
「これはもう人体実験に近かったですね」
「実を言いますと、私の前世は男性だったんです」
「ここに残っていたら絶対に死ぬなと、そのとき思いました」
「麻原さんに性的な関係を迫られたことがあります」
「裁判で麻原の言動をみていると、吐き気がしてきます」
河合隼雄氏との対話
「アンダーグラウンド」をめぐって
「悪」を抱えて生きる
あとがき
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河合隼雄氏との会話が一番印象に残った。
「ネガティブなものをかかえこんで、抱きしめている時期が必要なのです。熟成する期間といいますか、そういうものがたっぷりとあるほど、それに見合ったポジティブなものが自然に出てきます。それはポジティブなものに関しても言えることですよ。ポジティブなことを単純に思いついた人の話というのはアホくさくてとても聞いていられません。」
この一言は予想もしていなかったけれど、僕の意識の奥の方を突然鋭く、深くえぐってきた。
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幹部以外の信者のインタビュー。入信の理由は信者それぞれで軽い気持ちで入信した者もいれば、相当思いつめて選択肢がないような状況で入信する人など様々、そして大体の人の育った家庭環境は、いわゆる中流階層の一般家庭、平々凡々な出自であることが印象的。
一般の人と信者の違いはなんなのか?中にはもとから霊能的な素質があると自覚している人もいたから、アーユルヴェーダやヨーガ、瞑想と言ったものに一般の人よりも抵抗が少なかったのかもしれない。もちろんアーユルヴェーダやヨーガ、瞑想=オウムではないし、最近ではそういう偏見もなくなってきていると思う。実際にそういうものに興味がない人でも、瞑想や独特な呼吸法によってクンダリニー覚醒?したりして「これは本当にすごいんだ!」と思って入信または出家してしまう人も多かったみたい。
そして何よりも、教団での生活や修行、道場での活動に精神的な充足感を感じているのが興味深い。これが決定的に世の中に伝わっていない部分だと思う。彼ら平凡な環境で育った。麻原のように目が見えるのに盲学校に入れさせられたと言うような、特別な環境で育っていない。しかしながら、宗教を必要としている、修行をしていたほうが良いと感じるのだ。つまり社会の中にはそのような人が必ず一定数存在するのだと思う。だから何を言いたいかと言うと、彼らはオウム事件の被害者でもなければ加害者でもない、一般人だということだ。ただうまく社会に馴染めなかっただけだ。この本を読んだ人ならば、帰っらが自分らと何ら変りない、むしろ似ている部分が多いことに気づくと思う。著者はそれらを隔てる膜は非常に薄いと言うように表現しているが、もはやそのような膜があるのかすら怪しいものだと私は思う。
事件後も彼らは肩を寄せ合って暮らしている。働けない老人子供の為に働こうとしても世間の目は冷たい。元オウム信者は事件後かっこうのいじめの対象になってしまったのだ。彼らは事件には何ら関与していない一般人であるというのに!どの口が学校で子供のいじめを減らせと言えるのだろうか?このサリン事件を通して日本の社会で何か変わっただろうか?彼らの事件後の様子を知ると改めて社会の残酷さを思い知らされる。今現在はどのような生活を送っているのか非常に気になるところだ。
1Q84で夢の描写が多かったが、それはこのオウム事件のインタビューに起因していると見ていいと思う。信者にしても被害者にしてもよく夢について語っている。そして、それが示唆的に事件と関わり合いの深いものとして本文で語られているのが印象的だ。例えどのような夢であろうと、人の夢ほど退屈な話はない。「小説の中の架空の人物の夢の話」など正直に言って読む気も失せたものだが、本書のインタビューで語られる夢の話を読んでからならば、1Q84の夢の話もまた違ったふうに感じ取ることができたのかもしれない。
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地下鉄サリン事件について、村上春樹氏が(現&元)オウム真理教信者にインタビューしたのを文字に起こしたもの。
それぞれの信者さんたちが、どんな家庭環境で育ち、どんな経緯で入信し、地下鉄サリン事件が起きた時どこでどう過ごし、そして今、何を思い過ごしているか…等についてインタビューがなされている。
サリン事件のせいもあってか、怪しげでオカルトちっくで怖くて…というイメージをオウム真理教信者に対し勝手に持っていましたが、実際には全員が全員そういうわけではなく、ただ単に純粋で優しくて信仰心深い人たちも多かったのだと思いました。
先入観って怖い…。
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オウム側の、事件に直接関与していない末端の信者たちの証言と、河合隼雄氏との対談を収録。
彼らの一部は理解できるものの、やはり全体的には理解を越えた集団。
記憶を消された人の話が怖かった。
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群盲 象を撫す のたとえのような 物足りない感が のこる。
波紋の中心ではなく 波紋の端のほうで
物語を とらえようとしていることが物足りない感が生まれるのだろう。
オウム真理教というものが ニンゲンのなかで
どのように、うけとめられ、化学変化を起こしていくのか?
という点では 興味深かった。
ヒトは 何かを背負って 生きている。
その何かが 自分の中に向かっていくと、
とても 自分を 肯定する気にならずに 不安になるのだろう。
何かの暗闇から 抜け出すために、
信じるという行為を 作り出すに違いない。
でも 理論的にそれは解明されるものではなく
納得できるものも すくない。
残った部分を 盲目的に 受け入れるのか?
うけ入れずに 腑分けするのか?
善である ことの幅は 大きいようで小さい。
戦争自体が 善 であることは ありえないが
戦争を 起こしてしまう。
ジハード は 宗教の中に 深く息づいている。
殺生 しない ということは 宗教の重要な原理の中にあっても
生きていくための 殺生を 容認しながら ニンゲンは生きていく。
殺生なしに ニンゲンの食は成り立たない。
それが ニンゲンの邪悪なものを 取り除くための
殺傷に 発展していくことは 大きなエネルギーがいる。
そういうエネルギーが どこから生まれ どう行動まで高めたのか?
このことが オウム真理教の 中核的なことに
あるはずなのだが、
そこまで、ムラカミハルキは すすまない。
彼は ノンフィクション 作家ではなく
物語の 紡ぎ手 なのだから。
周辺でも 物語の題材は 生まれてくるのだろう。
ムラカミハルキの 自己満足的 な行為に
読者は 従うしかないのかもしれない。
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「アンダーグラウンド」っていつ読んだんだったかな。これに登録されてなかったや。アンダーグランドが被害者のインタビューだったのに対し、こちらはオウム側、元信者、現信者のインタビュー。こんなん、よくできたな、と思う。ほんと、理想を求めていたはずの人たちが、歯車のようにワークさせられることに不満はなかったのか。もともと出家するだろうと思ってた、と答えてる人がいてびっくり。どうしてそんな考えに至ったのか。食べ物なり、音楽なり、現世に執着はなかったのか。ほんと私には読書や音楽があって良かった。今年ライブ行きまくるこの2組の人たちに出会えて良かったと思う。
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仕事がうまくいかなかったり、将来に不安があったりして
生きていくのがつらいと感じたとき、現実逃避をします
具体的には、遊んだり、物語を読んだり、飲酒したりです
現実逃避のために神様を拝むということはあまりないが
たとえば、人が死ぬというのはとてもつらいことであるから
そういうとき、神を拝むのは、まあ一種の現実逃避と言えなくもない
生きることにおいて具体的な苦痛が少なくなってくると
生活そのものが、現実逃避としての性質を帯びてくるものかもしれません
自己劇化、つまり自己を物語の主人公とするわけです
そうしなければ、生きる欲望が即物的に感じられるというか
なんか生きてること自体が動物じみてバカみたいだという気分になる
そこで、主人公たる自分と、周囲を相対化することで、なにか
物語的な対立関係を見出そうとすることは
誰にもそういう時期ってあるんじゃないかと思ったりします
この本は、オウム真理教の信者・元信者へのインタビュー集
「文化的雪かき」の技術がいかんなく発揮されていて
一口に信者といっても、実にさまざまなタイプがあるのだとわかる
「力のある奴は何をしてもいい」と思ってそうな人とか
女性信者を追いかけて入信しちゃった人とか
行き当たりばったりで何も考えてない人とか
当時を「忘れて」しまってる人とか、まあいろいろ
しかし大半に共通してるのは、非常にマジメであるという点で
彼らが、とてもマジメに現実逃避を追及していたのだということもわかる
それがどのようにして、一連の事件とつながっていったのか
そこんところは、はっきりしない
不可解なことが多すぎて、単純には決めつけられない
彼らの信じた楽園が偽物だったということだけははっきりしている
それを支え続けていたという事実は消せないだろう、それが現実だ
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僕はやっぱりこっちの方が気になる。アンダーグラウンドより。とても理解できない、けど、すぐ近くにある、そういう感じがよく分かると思う。
これも再読する時間ないなあ。
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飲酒運転や少年犯罪に対する罰則が厳しくなることに違和感を持っていた。やっちゃいけないのはわかるが、自分や家族や知人が加害者になることは想像せず、知らない誰かを罰することが前提になっている気がした。世間は自分に甘く他人の過ちや失敗には酷く厳しいと思った。だけど人が死んだり事故に遭う映像を興味本位で観たい自分もいる。痴漢や強姦は犯罪とわかっているのに映像で観る自分もいる。確かに現世は矛盾が多い。でも、子供の頃から無意識に折り合いをつけて暮らしている。手本になる人がいなければ宗教にそれを見出すかも。見方によっては学校や会社も宗教かもしれない。
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本の一番最後の一文。
これがこの本を読んだ感想、そのまますべて。
アンダーグラウンドよりこっちを先に読もうと思って読んだ。
そしてやっぱりアンダーグラウンドも読まなければと思った。
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地下鉄サリン事件。
加害者側オウムに属していた人たちに聞いたインタビュー。
カルト宗教についてはよくわからないのだけど、心の平安や安定を求めて入信していく様は、なぜだか胸が苦しくなった。
再び同じような事件が起こらないようにと、せめて自分の周りにいる人には気を配ろうと思う。
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地下鉄サリン事件の真っただ中でも
案外、オウムの中にいた人たちが
静かに暮らしていたことにびっくり。
信者たちが事件について
他人事のように感じてしまうことに
違和感があったが、この本を読んで
その感覚がなんとなくだけど分かった。
現実社会で生きづらい人たちが
河合先生がおっしゃっていたように
小さな箱の中にすっぽりと入ってしまい
その中の価値観で何も考えずに
上の人から言われるまま
喜んでどんなことでも修行と称して
生きていくのが確かに楽なのかもしれない。
そういう生き方にあこがれる若者って
今現在もいっぱいいそう。
新興宗教がなくならないのもうなずける。
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再読。以前読んだ時は本当に衝撃を受けたし、ここで語られているオウムの元信者さんと自分がいかに近しいかを考えた。今回読み返してみて、いまもやっぱり、近しさを感じる。けれども、近しいと同時に決定的に違うとわかる。以前読んだ時からずいぶん時間が経った。知っていることが増えた。フィクションだけではなく、哲学も学び、ありとあらゆる角度から物事を考えるコツをつかんだ。論理的思考も以前よりずっと出来るようになった。端的に言えば、わたしは成長したのだとおもう。ちょっとやそっとではもう騙されないし、自分の思考力にもそれなりの自信を持てるようになった。と、いうことを自覚できたので、読み返してよかったなあとおもう。