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小説を書くことと彼らが宗教を希求するということには共通点がある。だが、同時に苛立ちに似たものも…
最初に村上さんが述べているとおりのことを、私たち読者も感じながら読みすすんだ。とても良くわかる、何かしら興味を持ってしまう。でもそういうことではない…
インタビューの後に
河合隼雄さんとの対談もあり、こちらは本当に夢中になって読んだ。
被害者の人たちは様々で、難しい人もいたが、総じて信者たちは皆、良い人だった…というのが印象的だった。
日本人は自由が苦手。自由がどれほど素晴らしく、同時に怖いことか、それは教育の根本なのだが、日本人には苦手…
システムに固められる、そういうものの存在を好むところがあるのは、そういう気質からなのでは。
自由であることの大人っぽさ、自己責任を思うと、この信者たちは、結局のところ麻原の、システムのせいにする、そういうずるさがあったのか、そんな事を思いながら読んだ。
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だいぶ前に読んだまま感想は書けてなかった。ワタシには宗教をする人の気持ちは絶対全然わからないけれど、こんな風に外側から見て考えることはできる。
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麻原彰晃死刑にあたり、本書を読んで見た、こちらは加害者側つまりオウム信者のインタビューであり、もうひとつ被害者側のインタビューでアンダーグランドというのがあるらしいがそれは後日読むことにしよう。結局現在日本における社会システムに馴染めなかった者たちが、そのシェルターのようなオウムに入れば救われると思い知らず知らず現実に即した判断を無くしたようであるが、確かにこれさえ信じていれば救われるとなれば、人々は楽な方を選び思考を止めてしまいそうだ、しかし不幸なことに麻原彰晃はパラノイヤだったということだろう。しかしあらゆる巨大化組織においては常にその危険性が孕んでいると言えるかもしれない。
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迷ったけど読んで良かった!1995.3/20の地下鉄サリン事件の根源に迫りたい村上さんが1997.3の被害者側へのインタビューに続いて1998.4-11の加害側?へのインタビューを実行し、加えてこの作品でも河合さんとの対談を掲載しているので、朧気ながらもオウム真理教への知識を持てた気がする。つまるところは不可思議な人間の心に迫る端緒になる本でした!そして不可思議な日本人の根源にも思いを廻らす深い本でした!やっぱり村上春樹は凄いなぁ と再認識する本でした♪
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時勢的にまたメディアなんかでよく名前を聞くようになったものの、生まれる前の出来事なので結局あれは何だったのか?よくわからない。なので中に居た人のインタビューと聞いて読んでみた。
案の定というか、意外にというか、これは、テレビで聞くような異常な集団ではないなと思った。大学のサークルとほぼ一緒。
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アンダーグラウンド読んでたから、その流れで。
アンダーグラウンドも衝撃だったけど、(なんつーか日常の延長に事件があったんだって当たり前のことを突き付けられて、しばらくは自分の日常が事件のイントロのような気分になっちゃってね)こっちを読むと、この人たち異常じゃなくって。むしろ、フツーの人たちより、よっぽど共感できて、それが衝撃だった。
あぁ。ここと、あっちは地続きだったのか~って。
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地下鉄サリン事件の2年後くらいの、信者や元信者のインタビュー本です。
一般の人が、松の木のように折れ曲がっているとすれば、信者の人は真っ直ぐな硬い木ように感じました。
天までは最短距離で届くかもしれませんが、現実には届くことはできません。
この辺は、最後のほうで河合隼雄氏と村上春樹氏がうまく表現していました。
どちらかというと、やや後者よりなので、この考え方は楽になりました。
河合隼雄氏
煩悩を抱きしめていく力がちょっと少ないんです。
「煩悩をもってなおかつ」というのが大きな意味を持つんです。
全部説明できる、論理なんてものは絶対だめなんです。
村上春樹氏
現実というのは、もともと混乱や矛盾を含んで成立しているものであるのだし、混乱や矛盾を排除してしまえば、それはもはや現実ではないのです。
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あとがきから********
自己表現の手段をうまく見つけることができなくて、プライドとコンプレックスとのあいだを激しく行き来しているかもしれない。 それは私であるかもしれないし、あなたであるかもしれない。 私たちの日常生活と、危険性をはらんだカルト宗教を隔てている一枚の壁は、我々が想像しているよりも遥かに薄っぺらなものであるかもしれないのだ。
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アンダーグラウンドを20年くらい前に半分くらいで中断。この本をたまたま見つけた。
興味深い。この方の小説に出てくる小洒落た感じでなく、違和感なく読める。
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「アンダーグラウンド」を読んだ後、信者及び元信者をインタビューした本があると知り読んだ。
この本では、村上春樹さんのインタビュアーとしての冷静さが感じられた。
後半の、河合隼雄さんとの対話が興味深く、面白かった。
以下、抜粋。
河合氏 …だからね、本物の組織というのは、悪を自分の中に抱えていないと駄目なんです、組織内に。これは家庭でもそうですよ。(中略)そうしないと組織安泰のために、外に大きな悪を作るようになってしまいますからね。…
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村上春樹と河合隼雄が「悪」と呼んでいるものは、私なりに解釈するなら(つまり、私の尺度に合わせて言葉を歪めるなら)多分に「俗」であり「矛盾」なのだろう。麻原彰晃が俗物であったことは多く語られているしこの本の中でも触れられるが、そうした「俗」が孕む力の恐ろしさと崇高さを思い知る。そうした「俗」「悪」はもちろん私の中にもある。そしてそれを「原罪」として抱えること、そこから自由になれるとはゆめゆめ思わないようにすることを課してきたつもりなのだけれど、まだ甘かったかもしれない。『アンダーグラウンド』よりも好きな1冊
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「オウム真理教」に関する村上春樹によるノンフィクション。
同様のテーマで書かれた『アンダーグラウンド』の続編、別視点で書かれたのが本書。つまりはオウム真理教の信者・元信者へのインタビューがそのメインの構成に据えられている。
インタビューでは、信者個々人のオウムに対する思いや当時の心境が生々しく書かれる。特に彼らがどのような思いや経緯でオウムに辿り着いたのかという部分は読み応えがあった。
筆者も前作よりはつっこみや質問が多いものの、基本的には客観的に彼らの声を把握するようにしていて、質の高いインタビューだと思う。
巻末には、ユング心理学研究者の河合隼雄氏と村上春樹との「オウム真理教」に関する対談が収録されており、こちらも非常に面白い。
主なテーマは「善と悪」であり、陳腐なテーマであるが考えさせられる内容になっている。
「善と悪」を明確に切り分けて考えてしまうことはとても危険で、特に自分たちを「純粋な善」と捉えて自分たちだけの世界に閉じこもってしまうことが悲惨な事件を引き起こしてしまう。組織の中に「純粋な善」のみを抱えてしまうと、バランスを取るためには外に「絶対的な悪」を作り上げてしまう。
そしてその虚構を信じてしまうと、人間はどんな残虐な行為もすることができる。戦争しかり、宗教弾圧しかり、地下鉄サリン事件しかり、それは歴史が証明している。
世界はカオスと矛盾に満ちている。これが真実なのだ。これを否定してシンプルで一貫したストーリーを信じ込むことは楽だし、気持ちが良いだろう。
インタビューの中で女性の信者が発言した
「指示が出たらみんなでさっと動くとか、そういうのってあるじゃないですか。こういうの楽だなあと思いました。言われたことをそのままやっていればいい。」
という言葉が印象的で、信者の人たちはそうした人が多いと思った。
でもそれはやっぱり間違っていて、世界の本質的な混乱を強く受け入れなければならない。
経営論には「シングル・ループ」という用語があるが、正しくオウム教団はこれなのだ。ある程度は自分たちの外側に開けて、そこからフィードバックを得なければならない。「ダブル・ループ」が必要なのだ。
これは宗教だけじゃなくて、会社にも家庭にも当てはまる。内側に悪(異質なもの)を抱えて共存することが必要だと思う。
しかし村上春樹曰く、オウム信者とわれわれを隔てる壁はそこまで強固ではない。多かれ少なかれ誰もが「世界における自分の意味」を求めて生きているし、オウム信者たちは少しばかりこれに偏っていたに過ぎない。
だからこそ彼らのことを知って、理解はできないかもしれないけれど、そう努めなければならないと思う。
示唆的で、精神の糧となる一冊。ぜひ読んで欲しい。