紙の本
簡潔な文章で真理が述べられた仏典
2003/08/21 06:00
11人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ブッダの教えをブッダ自身から発した言葉として纏められた経典と言われる本書は、仏教の真髄、人間の行為・思考としての正しい方向性を示唆するに相応しい書であった。訳者の力量に負うところが大きいが、それぞれ、2〜3行の分かりやすい、簡潔な文章で纏められ、ダンマパダは、423の詩句より成り、ウダールヴァルガは、33の章から成り立っている。両者の間には、全く同じ文章もあり、ブッダの教えの普遍性を明示していると思う。
それぞれ、感銘を受けた部分、考えさせられた部分を取り上げたい。
[真理のことば(ダンマパダ)]
50:他人の過失を見る無かれ。他人のしたことしなかったことを見るな。ただ、自分のしたこととしなかったことだけを見よ。
他人は、自分の思うようにならない事を知れ。自ら律する事が可能なのは、自分だけである。自分の思うようにならないもの、それは、他人と過去。自分の力で切り開けるもの、それは自分と未来。
210:愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。
211:それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらいの絆が存在しない。
212:愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生じる、愛するものを離れたならば、憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか。
この3つの詩句は、他と違った意味で私は捕らえる。他の詩句は、文字通りに読み取れるが、この3つは、そうで無いように思う。普通我々は、愛するものを持とうと努める。しかし、この3つは、それを否定している。愛する人をもつ事は憂いの根源と見るのである。たしかに、愛する人、愛さない人を持たなければ、わずらいの絆は存在しないであろう。しかし、にもかかわらず、我々は、愛するものを持たずに生きられない弱い存在であることを認識せよという意味で私は捕らえる。
284:たとい僅かであろうとも、男の女に対する欲望が断たれないあいだは、その男の心は束縛されている。-乳を吸う小牛が母牛を恋い慕うように
私は、束縛から解かれなくとも、この欲望は失いたくない。
[感興のことば(ウダールヴァルガ)]
一章22:いくら財産を貯えても、最後には尽きてなくなってしまう。高い地位身分も終には落ちてしまう。結びついたものは終には離れてしまう。生命は終には死に至る。
「諸行無常」を解いている。
二十五章5:劣った卑しい者になじむ人は堕落してしまう。しかし等しい者に付き合う人は実に堕落することはないであろう。すぐれた者に近づく人はすぐれた状態に達する。それ故にこの世では自分よりもすぐれた人と付き合え。
だから私は、「書」に親しむ。
二十五章14:聡明な人は、瞬時のあいだ賢者たちに仕えてもただちに真理をはっきりと知る。-舌が汁の味をはっきりと知るように。
真理を僅かな言葉で理解出来る者こそが聡明である。自画自賛であるが、私も、これに近いと思う。
三十章38:この世で教えをよく説き、多く学んで、何物をももたない人は楽しい。見よ!人々は人々に対して心が縛られ、何物かを持っているために(かえって)悩んでいるのを。
全ての悩みは、「執着」から発している。「執着」を見出す事こそ、悩み無き行方
の本質である。
三十二章37:執着の条件に依って苦しみが起こる。苦しみは執着の条件から生じるものである。執着の条件がすべて滅びたならば、苦しみの起こることはない。
正に真理である。私は、これを完全に理解している。
以上、素晴らしい「教え」を読ませてくれた本書は、私にとって素晴らしい体験
となった。中村氏翻訳の原始仏典は、いずれも生きる上での教訓を提示してくれ、
素晴らしい経験をさせてくれる。これからも、氏の訳書に親しんでいきたい。
紙の本
いい本です
2013/01/26 10:12
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:choku - この投稿者のレビュー一覧を見る
ブッダの教えがとても簡潔にまとまっていて、読みやすい。
日々少しづつ読み進めています。
紙の本
最高の仏教聖典である「ダンマパダ」と「ウダーナヴァルガ」の翻訳版で、有難い仏陀の教えが味わえます!
2020/05/02 11:04
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、仏陀の教えを収録した一冊で、表題にありますように、「真理のことば」と「感興のことば」から構成されています。前者は、パ―リ語で書かれた「ダンマパダ」の翻訳であり、後者はサンスクリット語で書かれた「ウダーナヴァルガ」の翻訳となっています。「ダンマパダ」は、我が国には「法句経」として伝わっており、全26章、423の詩が収録された上座部仏教では最高峰の仏教聖典となっています。他方、後者は、人間そのものへの深い反省や生活の指針が風格ある簡潔な句に表わされた書となっています。同書において、仏陀が残した数々の有難い教えを味わってみてください。
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私は嫌なことがあって、友達に愚痴ってもなお、気が晴れないときに、ぐっとこらえてこの本を読みます。やり場のない怒りも、お釈迦様にかかればポジティブに受け取れる。
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《感想:「真理のことば」部分のみ》
結構説教くさいところがあり、読んでて退屈だったりもした。ただ現代の人生訓やら自己啓発書やらに書かれていることがさらっと書かれていたりして、なかなか含蓄はあった。
ざっくり言うとニルヴァーナ(安らぎ)に至ることを最終目的として、どうすればそれを達成できるかを説いている。
注釈が何というか学術的であり、原書(パーリ語?)を読むためのtipsが多く語られている。そればブッダの言葉の内容に興味があるであろう一般の人々にとってはあまり意味がないように思われる。アルボムッレ・スマナサーラ氏の本の方が良かったかもしれない。
正直、後半の「感興のことば」は読む気がしないので、積読に。
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やる夫シリーズのhttp://snudge.blog38.fc2.com/blog-entry-1005.htmlで紹介されていたので。仏教関係の本はあまり読んだことがない。道元の言葉とか、持っている本はあるのだが。ただ、論語・聖書と同じ書式なので読みやすそうかなあ。
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その「道の人」を対象とした教えのようなので、
一般社会、現代社会にそのまま適用することはできないが、とても身になる教えである。
ただ、社会のためよりは、己のため、悟りのためといった利己的なイメージを受ける。
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110924withTextブッダETV 央阿2001,央1984
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原始仏教の教えがまとまっている詩集。
本書はパーリ語とサンスクリット語の同じ経典を
セットにした内容らしいので、内容は被っているが、
後の時代に書かれたからか、感興のことばの方が
分かりやすくまとまっているように思う。
この世界は基本的に、
諸行無常で一切皆苦で諸法非我であり、
苦しみから逃れるには執着や欲望を
捨てて善を為す事を繰り返し説いている。
何でもかんでも救ってくださる
優しい仏様だと思って近づくと、
私のような欲望にまみれた凡夫にとっては、
ブッダの説くところはなかなか厳しい。
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はじめて理解できる形で触れた、ブッダの生の言葉。
「良い心構え・姿勢で行動すれば、良い結果が得られる」という極めて動機論的な教えで、すんなりと理解できました。子供の頃から受けてきた教育そのものです。
全ての事物への執着を捨てよ、という救済としての教えにはあまり同意できませんが、自分にとっては、努力の道・克己の道(儒教的ですが)を説いた教えとして訴えかけてきました。
きっと、読むたびに、新たな発見がある。自分を内省するよう求められる。「論語」と並んで、最高にして必要十分な自己啓発書だと思います。
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ブッダの仏教にの考えがわかりやすかったです。ブッダの考えが感情的ではなく、非常に論理的な部分に感銘を受けました。「真理のことば」は何回か読み返していきたいと思います。
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名言が多い。
仏教関係の本は宗教というくくりで見るより「心の法則が書かれている本」として見た方がいいように思う。
文章を追加中。
http://www.geocities.jp/toku2501/buddha.html
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漢訳では『法句経』、『出曜経』などと訳されている経典だそうである。基本的にはガウダマの短い言葉を集めたもので韻文らしい。成立時期は解説にも書いていないが、ガウダマ没後、経典化がされていたころのものだが、ガウダマの素朴な言葉が集められている。とはいえ、輪廻や執着からの解脱、縁起、八正道、空、出家、慈悲など仏教の基本的な観点はみられる。身体観も「病の巣」とか、形成された身体としており、後と同じである。しかし、「沈黙せる者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に批判されない者はいない」「ただ誹られるだけの人、またはだた褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、また現在にもいない」など、人間に対する素朴で深い認識もある。
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本著を手に取り、
精神の停滞期であるとの自覚。
物事と体験はその主体の心に疑惑と揺らぎを生じせしめ、
行動規範の転換を希求す。
それは次なる修養段階への道筋を照らす為の、
自己解体の必要と同義。
体験を客体として、昇華すること、
それを経て、心が次なる指針として要求するものは何なのかを
言語として知覚することを必要とす。
今の自分は手なづけられていない。未だもって。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、苦しみはその人につき従う
この世のものを不浄であると思いなして暮らし、(眼などの)感官をよく抑制し、食事の節度を知り、信念あり、勤め励む者は、悪魔にうちひしがれない
屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、情欲の侵入することが無い。
すでに自己が自分のものではない
一つの岩の塊りが風に揺るがないように、賢者は非難と賞賛とに動じない
正しい智慧によって解脱して、やすらいに帰した人-そのような人の心は静かである。ことばも静かである。行ないも静かである。
他人に教えるとおりに、自分でも行なえ-。自分をよくととのえた人こそ、他人をととのえるであろう。自己は実に抑し難い。
たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。
道に違うたことになじみ、道に順ったことにいそしまず、目的を捨てて快いことだけを取る人は、みずからの道に沿って進む者を羨むに至るであろう
恥を知り、常に清きをもとめ、執着をはなれ、つつしみ深く、真理を見て清く暮らす者は、生活し難い。
眼について慎むのは善い。耳について慎むのは善い。鼻について慎むのは善い。舌について慎むのは善い。身について慎むのは善い。ことばについて慎むのは善い。心について慎むのは善い。あらゆることについて慎むのは善いことである。
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「「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。
しかしすでに自己が自分のものではない。
ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。 」
強烈な「一転語」でした。
自分は自分のものではない。
本当に「自分のもの」と言えるものなどない。
かといって、自分を他人の思惑に流されるままにしておけばいいかというとそうでもない。
「自己こそ、心の主である。他人がどうして自分の主であろうか?
自己をよくととのえたならば、得難なき主を得る。」
「たとい、他人にとっていかに大事であろうとも、自分でない他人の目的のために自分のつとめを捨て去ってはならぬ。
自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。」
と、「自分」をととのえ、欲を徹底的に叩きだすことを説いてもいます。