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人物描写がやたらと華麗。男の人に「美しい」「綺麗」は当たり前・・・そんな感じの文体でした。
第三部で、主人公ミシェルと御者の少年(かな?)との二、三言のやり取りが好き。
全編を通して、ジッドがミシェルを普通の一紳士として書こうとしているのは理解できるんですが、それでもどこか狂気を感じるのを禁じえなかったのは、ほとんど一方的な独白形式だったから?
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二人の男女が色々な地方を旅するお話。
冒険中どっちかが必ず体調崩している印象を受けた(笑)
風景描写はとても綺麗で、文字を追うだけで
風景が頭の中に浮かびあがってくる、その点では名著といえるのではないだろうか。
物語はこの男女2人の冒険の話を、男性の友人達が聞いているという設定になっている。
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3月
狭き門を読んだので、続けてこちらも。
転落するべき要素もないのになぜか転落してダメになっていく。
巻き込まれた妻はかわいそうだが、結局主人公のミシェルは何をしたかったのか?
ダメになったことが「背徳」であるにせよ、その理由がわからない。官能的な何かがあったわけでもない。
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高校時代に「狭き門」を読んで激しく感動した。今でも読書体験としては最高のものの1つだ。そのあと「田園交響楽」を読んだが面白くなかったのでジッドはこれだけしか読んでなかった。それを30年たった今、ふとこれを読んだ。良いと思った。高校時代に「田園…」のかわりにこれを読んでいたら僕の何かが違っていたかもしれない、と思った。話自体はわりと淡々としているかもしれないが、趣味というか波長が特別に僕に合っているような気がした。風景描写のきれいさ。最初は愛なく結婚した妻だったが、その美しさにひかれるようになる。ロマンチックな時間。小説としてのバランスも良いと思った。
主人公が崩落していくさまは、特に外的な必然性はないが、僕にはしっくりくるものがあった。彼はカトリックの国フランスにあって、プロテスタントの信仰を持っている。そして20世紀初頭という難しい時代や価値観の変わり目にあって、新しい自分の可能性を感じ、果敢に新しい生に飛び出してゆくが、結果は人生のバランスを崩してしまうことになった。僕が思うに、新しい時代に入っていく時には、悲しみという要素が大事な位置を占めることが多いように思われてならない。日本でも、アジアの新興国でも、急激に経済発展する時に、悲しい歌が流行っていなかっただろうか。それと同様で、ジイドも新しい波に呑まれて行く時代を叙情的にとらえようとする試みがこの小説だったのかな、と。
読後感は、そんなに心が動かされる種類の小説ではなく、ジッドの薫るようなセンスが楽しめるような小説。
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アンドレ・ジッドの自伝的要素を持つ物語(レシ)。
謹厳で学問に誠実に打ち込んでいた古典学者が、結婚後に大病を患いそして復活を遂げるとすっかりと道徳的・性的に「背徳者」になっていたという話です。
言ってみれば身もフタもないか・・・。(笑)
新婚旅行中の本人の病気や妻の病気療養で辿るヨーロッパや北アフリカの国々の描写は、いい加減に安静にしてないとだめだろ!という突っ込みの反面、様々な旅愁が醸し出されていてとても良かったです。
また、中盤では実は本人が大農園の領主だったということで、お屋敷や農村や森林の風景が随所に散りばめられていて、これもある意味、牧歌的な雰囲気があって良かったですね。
この物語では行く先々での自然とのかかわりを背景とするような描写が続いていて、それが「背徳」化した主人公と対比的・象徴的に描写されていたように思います。
大自然が本当の自分を開花させるみたいな。
本人が病気療養中に浴びていた月夜の光が、打って変わって燦然と輝く太陽や大自然の中で次第に健康が増幅され、さらに自らのこれまでの道徳的な生き方からの脱皮でもあったのは大いなる皮肉でした。
実際にこの物語では期待するほど(!)エロチックな場面は出てこなかったのですが、終始、同性愛や少年愛を暗示するかのような内容となっていて、行く先々で少年を愛でる行動はこれはもはや倒錯的な世界であると言っても良いでしょうね。
かつて愛でていた少年がしばらく見ぬ間に、多少大人めいてくると途端に手のひら返しで冷たくなるのはどれだけ少年好きなんやねん!(笑)
しかも一方では泥臭い男くささにも憧れをいだいているようでもあり、わたし的には少し悪寒が走りましたよ・・・。
そして、一番に「背徳」なのは、病気療養中の妻をいたわりながらもそれがもう片方では少年たちと遊び戯れる行為であり、そもそも妻の療養にかつて自分の療養で妻が介抱してくれた国々を辿り直し少年たちと再会するのを楽しみにするというのは偽善以外の何ものでもないですよね。
妻の死の苦しみに際して、そっと抜け出しかつて自分がときめいた少年とその愛人とで3Pを暗示するような描写はまさにこの小説の真骨頂でした。
アンドレ・ジッドの作品はローマ教皇庁から発禁処分になったとのことですが、現在からみるとそれほど大した描写ではないと思えますが、その底流にある反社会的な風俗が危険視されたのは頷けることです。
タブーに縛られることが多かった時代の中で、ジッドが吐露した「背徳」な流れは押しとどめようもなく、現在ではありがちな光景となってしまったのはジッドの先見性?のあらわれなんでしょうか。
いまの世の中を果たしてジッドならどう見て感じ、次はどちらの方向に向かうのかは興味はありますね・・・。少しね。
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ひたすら旅をして、闘病して、贅沢をする話。
彼は何によって身を崩したのか?
精神的な幸福を得られずに肉体的な欲求に堕ちた彼に何があったのか
読んでみてもよくわからなかった。
妻を懸命に介護したのに報われなかったから?
とうとう最後に裏切ったことにヤケになって?
確かに彼は背いたのだろう。
しかし他人と寄り添ううえで、
何ごとも背くことなく生きていくことはできるのだろうか。
背くという精神的基準は自分の価値観でしか計れない。
それは悲劇なのかもしれない。
どうにも表面的にしか解釈が出来ない。
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ジッドは相変わらず憎い。
碩学な学者が、肉体の感覚に目覚め学問から離れつつ、結局アフリカにいって妻も何やらも失ってしまう話。
月並みな感覚に目覚めて学問への情熱を失ってしまって、かといって官能は高ぶるでもなく、ついにそれを埋めるものはなかった。
「狭き門」でも「田園交響楽」でも偽善というか自己欺瞞が描かれていた。今回もある種の移り気や軽薄さが、学問を超えた真理やあるべき生き方として理想化されている。また、妻を愛しているということ、自分が正しいということへの弁解に満ちている。
だが、それにしては欲望があまりに弱いものではあるまいか。結局学問から離れず遊び以上のものでもなく、常に自己は保身されている。損なわれるのは妻の命や周りの人の利益ばかり。
生き様を見ているとしんどくなる。
でも、逆に、こういう生き様しかできないのだとしたら。許されないのだとしたら。
彼のように開き直るのも一つなのかもしれない。それにしても、何も残らない。だがそんなの気にするものか。
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ジッドに石川淳の翻訳という取り合わせに惹かれて読み始めました。20歳前後にジッドにはまった時期があったのですが、狭き門と本書がきっかけでしたね。
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新潮文庫の17刷改版、58刷の古本を購入したがだが訳が古過ぎた。好きな作品なので版の吟味をせずアマゾンでポチッた。
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狭き門、田園交響楽ときて、これを読みました。
なんというか、いちばん概念的というか・・読み終えたあと背徳者というタイトルをあらためて見返して、「背徳者、いや確かにそうだ、でも何が・・?」と自問自答してしまう感じ。
金を死ぬほど使って欲望のままに暮らして旅して、もといた洗練された世界との交流に関心を持たなくなって、未開の地を好んだり、堕落した人間と関わったり共犯したりすることに悦びを感じるのが、背徳なのかな・・。
なんだかひたすら旅をしているので、情景描写の美しさはたまらなかったです。
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2021年 24冊目
灼熱の太陽の下強烈に不健康な精神をもった男のアンバランスさ。
フランス文学は自分のなかでちびまる子ちゃんの藤木くんて感じ。健康的なネクラの模範生。病んでいるけど狂気を感じるほどでもない。でも一番我々に近いところにあり、いつ自分が太陽に魅せられてしまうのだろうかという妖しさがある。