投稿元:
レビューを見る
沖縄出身又吉栄喜の芥川賞受賞作。
厄払いのため小旅行に向かう4人の男女の姿を
ユーモラスに描いています。
正吉と同行する3人の女性達のキャラが強烈で面白い。
舞台が私の生まれ育った地域であったので、
物語の情景がすっと浮かんできたのも印象的でした。
「第114回芥川賞」(1995)
投稿元:
レビューを見る
これまた「芥川賞受賞作品を全部読んでみよう」などというどうでもいい動機で読んだ本。”ちょっとおかしな雰囲気のキャラクター”と”ちょっとずれた状況設定”みたいなのを適当にミックスさせたらポンと出てきた・・・というような、要するによくありがちな「ちょっと不思議な話を書いちゃいました」系小説。沖縄に興味ある方はぜひ?
投稿元:
レビューを見る
なんだかじとーっしたお話。数年前まで風葬が行われていた真謝島へ父の遺骨を拾いに行く正吉に、豚がもたらした厄を落とすため同行するスナックの女たち。
豚が厄をもたらすということがまずよく分からないし、ユタっぽいことをしつつも実態はただの大学生の正吉を信じてついていく女たちも謎。
投稿元:
レビューを見る
沖縄の日常性を描く。
本当にありそうな情景が描かれている。
沖縄という文学の題材は、
「自然」と「戦争」という矛盾した歴史が
深く横たわっていることがある。
その中を貫く沖縄の文化が、
沖縄のアイデンティティを証明することになる。
主として、「戦争」の重荷を主体として描くところに
沖縄文学の特徴があるように思う。
それをのりこえているかもしれない。
沖縄の日常性は、「みどり街」の女性たちで
作られているのかもしれない。
ウタキ、ユタ、先祖崇拝、父親とのつながり
投稿元:
レビューを見る
95年に芥川賞を受賞した表題作ともう一遍『背中の夾竹桃』を収録。傑作だった。沖縄・久高島をモデルにした舞台で繰り広げられるコミカルな人間模様。終盤は一転して風葬をモチーフに物悲しく深遠な結末。沖縄の空気感がよく伝わってきた。
投稿元:
レビューを見る
沖縄に行ったので、沖縄文学を読もうということで。沖縄の本屋さんには当然のように置いてある又吉栄喜。
1995年芥川賞受賞作の表題作は、息が詰まるほどのぬめぬめとした女性性があらゆるものを絡め取っていく様子が描かれていて、読んでいてほんとうにきもちわるくなった。母性原理、前近代性へのオブセッションは部分的に共感できるけれども、結局のところわたしはそこには馴染みきれない。かといって近代的な、男性倫理にももちろん馴染めない。わたしの好む作家の多くは中性的な感性を持っているのかもしれない、そういう風に自分が本を読んでいるという自覚はあまりなかったのだけど、あまりにも気持ち悪くなってしまって、考えさせられた。この、生理的に受け付けないかんじ、なんなんだろう、どうしてだろう、ってことばかり考えながら読んでいた。
ちなみに、小説に出てくる真謝島の舞台である久高島は二回行きましたが、こういうぬめぬめよりも岡本太郎の「沖縄文化論」で言及されていたような何もなさ、のほうが感じられる場所であった。寄って立つべき原理とはなにか。だれしも模索してはいるけれど。すくなくとも少し前の日本文学が見つけたぬめぬめした前近代性では、ない、わたしにとっては。
投稿元:
レビューを見る
1995年下半期芥川賞受賞作。豚がスナック「月の浜」に闖入したことによって、そこで働く女たち3人は、主人公の正吉と真謝島に向うことになる。いわば厄落としのためである。池上永一なら、ここからファンタジックに物語が展開して行くのだが、又吉はあくまでもシリアスである。沖縄に独特の御嶽は、ここでも重要な役割を果たしているし、全編が沖縄の濃密な風土の中にある。ただし、その「語り」はあくまでも共通語だ。「何か馬鹿馬鹿しいけど必死に生きている」3人の女たちが哀れでもあり、そこに強烈なリアリティが浮き上がってくる。
投稿元:
レビューを見る
やっぱり県民としてはこの辺も押さえとかなきゃね〜、しかも勝連やら与那城やら、もろ地元じゃないの〜( ^ω^ )嬉
と、ワクワクしたのは最初だけでした…。
嗚呼、やっぱり私は芥川賞に向いていないんだなあ。と、最後には悲しくなってしまった。
話が面白い面白くないじゃなくて、「この作品の何が評価されたんだろう?」と考えてしまって、物語世界に没入できてない時点でダメよねえ(T_T)
女の業のような愚かしさが、生々しい滑稽さを持って描かれているのですが、うーん、私には合わなかったようです。残念…。またいつか再チャレンジしてみたいな〜。
投稿元:
レビューを見る
食用とされるべき運命にまつろわぬ豚は
世界のシステム・リーンカーネーションの輪から離れ
再生を拒む亡霊として漂い続けるのだ
亡霊は、同じくまつろわぬ意志を持つ者のにおいをかぎつけ
これにすりよってくる
それが不幸のしるし…いわゆる「厄」である
しかし、そのように厄を受けることは、結果的に
生き方を反省する契機となるもので、必ずしも悪いことではない
懺悔するべきである
亡霊を引き寄せる心のやましさを
死者の世界の入り口に向かって吐き出すのである
そうすれば一時的にせよ
罪は許され、不幸を遠ざけることができるだろう
「豚の報い」は、優柔不断な若者がなりゆきで預言者となり
沖縄本島から、スナックのママたちを約束の地へとみちびく物語
少年よ神話になれである
これが、オウム事件の直後にもかかわらず芥川賞を獲ってしまった
ニューエイジ・オカルトの延命策か
当時、米兵の暴行事件があって
沖縄問題がマスコミにクローズアップされていたのは確かだが…
投稿元:
レビューを見る
表題と芥川賞作品と言うことに引かれ購入したのですが。。。。
なんだか合いませんでした。
何か入り込めない、主人公と離れてしまう感覚があるのです。著者には何か下敷きがあって、その上にこの物語が書かれているのですが、その下敷き部分が私とはズレている感じです。
背景描写の少ない作品なのです。登場人物の年齢も性格も。小説の枕部分でサラリとその人物、背景を特徴的に示すエピソードなどが示されることが多いのですが、この小説にはそうしたものがありません。その所為なのかもしれません。
投稿元:
レビューを見る
高を括って居た。語彙不足のウチナーンチュが書く小説なんて・・・・と。芥川賞を取ったとき読んでいるのですが、覚えているのは、豚がスナックに闖入の場面だけ。改めて読んでみて・・・フ・カ・イ
やればできるじゃないかウチナーンチュ
投稿元:
レビューを見る
小さなきっかけでも、偶然と呼べないほど濃い思い出になるのも、思い掛けのない時に起こるんでしょうかね。後半のまた違った物語も、夏の思い出のような感じで好きだった。何気ないどうでもいい会話もあれはあれで特別なように感じた。芥川賞を取ったので読んだけど、案外普通のストーリーだった。
投稿元:
レビューを見る
生の象徴であるような3人の女性たちと御嶽への祈りとの対比、またその間に立つ正吉、それぞれの温度や質感が素直に感じられる作品。
投稿元:
レビューを見る
沖縄の濃厚な匂いが漂ってくる小説。『豚の報い』なんてタイトルは本土ならばホラー小説くらいでしか用いられなさそうだが、沖縄では豚は特別な動物。不穏なタイトルからいきなり豚がスナックへ闖入してくる冒頭の展開になんじゃこの小説と戸惑っていたはずが、見事に沖縄の空気を描き切っている物語にどんどん引き込まれていく。文学でしか表現出来ない沖縄の魅力満載。ラフテー食べたい!