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96年取材中の事故で急逝されるまで、アラスカに息づく自然と人の営みを愛し写真と文章でそれを伝えていた星野道夫さん。ひとつひとつ、文章をかみしめるように大事にゆっくり読みました。生前の星野さんと親交のあった池澤夏樹さんが「いささか私的すぎる解説」と題して書いている解説も、涙無しには読めないくらいの名文です。
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僕をアラスカへ連れていった本です。そして今までに何度も読み返しました。どの文章からも自然や人に対する星野さんの深いやさしさを感じ、とても心癒されます。
「寒いことが人の気持ちを暖める。離れていることが人と人とをを近づける。」この本のなかの好きな言葉の一つです。
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星野さんが亡くなったとき、星野さんと最後に対談をされた故青柳昌宏先生からこの本の言葉をいただきました。ニュージーランドの大自然を旅した後の言葉だったのですが、なぜかその言葉がいつも頭に残っています。それ以来、同じ地球上には様々な世界があるのだということをいつも心にとめています。
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星野さんの本。
短編のエッセイ集。
どの話も好き。
どの言葉もグッとくる。
星野さんは写真家でもあって文章家だ。
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擦り切れるくらい読んだ。
これを読むと前向きになれる。心の栄養本です。
写真展は毎年行きます。当時は興味なかったけど、この方が亡くなった時のニュースをたまたま見てて、よく覚えていて、これも縁てものなのかなあと不思議に思ったり。
2007/12/30 wrote
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週末に星野道夫の写真展を見に行こうと思っているので、持ち歩いて読んでいます。星野さんの言葉、ものの見方、表現、とても好きです。寒いところの景色がうまく描かれています。写真もすばらしいけれど、文章もすばらしいと思います。写真展がたのしみです。
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写真家、星野道夫さんのエッセイ集です。
写真展を観に行った時に、写真に添えられていた短い文章が、彼のエッセイからの抜粋であることを知って、帰り道に本屋に立ち寄って、購入した本。
アラスカで出会った人々や、自然・動物の姿を綴ったエッセイなのですが、そのひと言ひと言が暖かく、深く、やさしい。
広大で厳しい自然の中で暮らしていると、人はこんなにも強く繋がれるのか、とも思いました。
多分、繰り返し読み続けるべき本でしょう。
そして、その度に新しい発見があるような気がします。
表題作中のトウヒの物語が、とても良い。
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すぐいなくなる本。でもまたすぐ読みたくなって買ってしまいます。
この本を手に取る人をみるとついつい太っ腹になるのは考えものです。
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これまでに2冊の写真集を観て、なぜ彼はアラスカに惹かれたのかを知りたくなり、この本を読みました。十代の頃、東京神田の古本屋街の洋書専門店で見つけた一冊のアラスカの写真集が大きなきっかけになったということでした。北極圏のあるエスキモーの村を空から撮った一枚の写真にどうしようもなく惹かれたそうです。「なぜこんな地の果てのような場所に人が暮らさなければならないのか?いったいどんな人々が何を考えて生きているのだろう」その集落の写真を見たとき、どうしてもその人々と出会いたいと思ったのだそうです。私なりに感じたことは、星野さんの持つ「野性」は私たちの中にあるものより、ずっとずっと大きく、そして力を漲らせていたのだろうということです。文明社会に生きる私たちに、今おなじ瞬間アラスカではどんな時間が流れているのかを星野さんは伝えてくれます。ただ知っているだけでも大切なのだと教えてくれます。
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星野道夫のやさしい言葉遣いとやさしい写真は、なぜか読んでいて&見ていて心に突き刺さります。それは彼が、本当にやりたいことをやった生涯を送ったからこそ表現できる重みがあるからでしょう。思わず線を引いてしまう名文が溢れています。
本書は僕が初めて読んだ星野道夫の本であり、収録されている「もうひとつの時間」と「十六歳のとき」は、全作品の中でも僕が最も好きな文章です。今後も、事あるごとに常に読み返すことでしょう。
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星野さんのことは
亡くなられた後に知りました。
主に写真集を持ってるけど
この本もいいです。
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TOUCHING WORD for Future Generations:結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして、最後に意味を持つのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。
http://www.touchingword.net/detail.php?id=1334
僕らが毎日生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。
日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは天と地の差ほど大きい。
http://www.touchingword.net/detail.php?id=651
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古本屋さんでたまたま見つけて勢いで購入。
帰ってから読むかなーと思っていたら、
持参の「富士日記」を差し置いて読む読む。
写真もない文字ばっかりなのに
こんなにするする読めるってすごいなぁ。
星野さんの文章、とってもすきです。
"it made my day"いいことば。
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写真家、星野道夫さんがアラスカで生活をするなかで経験した事を綴った本。
読むだけでアラスカの大自然や私たちの過ごしている時間とは全く別のアラスカの悠久かつ鮮やかな時の流れを感じさせてくれます。
タイトルと同じ「旅をする木」という話は私にある意味仏教の輪廻のような命の永遠の繋がりと広がりを教えてくれます。
この本を読むと間違いなくアラスカに行きたくなります。
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星野道夫氏の優しさがにじみ出るような語り口が良かった。
彼のある知合いを”明日、世界が滅びることを知っていても、今日リンゴの木を植えるような人々だ”と描写していたのに衝撃を受けた。調べてみたら彼の言葉ではなく、マルティン・ルターが言った言葉のようですが。
2022年8月再再読。
そうか、3年前の8月に再読していたのか。またこの本を贈呈したい人が出てきたので内容をリフレッシュしてから渡そうと思って再読。今回新たに感じたのは、この本は生きることと死ぬことについて書かれているんだなということ。そして著者は研究者とは真逆な考え方で物事を理解しようと努めていたんだなということ。相変わらず、圧倒的に優しく謙虚であるなと思った。
2019年8月再読。
旅をする本”https://tabiwosuruhon.com/”プロジェクトを知るにあたり、今一度読みたくなり再購入・再読。旅をする本ではないが、自分も今まで過去に購入した本を何名かにギフトとして渡したことがある。
前回読んだ時から10年の月日が経っているが、感想は変わらず星野道夫氏のやさしさが溢れているというものだった。また生きること、死ぬことを真摯に見つめ、受け止めていることからの謙虚さがあるように思えた。登場人物の言葉の端々に、無名の人たちが生きていく中で得たLife wisdomが詰まっているように思える。皆がこんな感覚を持てれば、世の中はもっといいものになるに違いない。
以下、感じ入った表現の抜粋。
P.36
神学者ジョセフ・キャンベルの言葉をよく思い出します。
「私たちには、時間という壁が消えて奇跡が現れる神聖な場所が必要だ。今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるのか、そんなことを一切忘れるような空間、ないしは1日のうちにひとときがなくてはならない。本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所だ。これは創造的な孵化場だ。はじめは何も起こりそうにもないが、もし自分の聖なる場所をもっていてそれを使うなら、いつか何かがおこるだおる。人は聖地を作り出すことによって、動植物を神話かすることによって、その土地を自分のものにする。つまり、自分の住んでいる土地を霊的な意味の深い場所に変えるのだ。」
P.41
たしかアンデス山脈へ考古学の発掘調査に出かけた探検隊の話です。大きなキャラバンを組んで南アメリカの山岳地帯を旅していると、ある日、荷物を担いでいたシェルバの人びとがストライキを起こします。どうしてもその場所から動こうとしないのです。困り果てた調査隊は、給料をあげるから早く出発してくれとシェルバに頼みました。日当を上げろという要求だと思ったのです。が、それでも彼らは耳を貸さず、まったく動こうとしません。現地の言葉を話せる隊長が、一体どうしたのかとシェルバの代表にたずねると、彼はこう言ったというのです。
”私たちはここまで速く歩き過ぎてしまい、心を置き去りにして来てしまった。心がこの場所に追いつくまで、私たちはしばらくここで待っているのです”
P.55
いつかアラスカで会ったスイス人がこんなことを言っていました���
「スイスには自然は残っていないのです。ほとんどが人の手が入った人工的な自然です。もし動かせるのなら、スイス人は山の位置さえも動かしたでしょう」
P.69(坂本直行氏:画家について)
過酷だった開拓生活を記録した何冊にもわたるアルバムを見せてもらった。「開墾の記」というタイトルのアルバムが、いつしか「悔恨の記」に変わってゆくのは、何やら可笑しく、心打たれた。
P.84(古本屋オブザーバトリィの主人:ディイの言葉)
「地図の歴史の面白さとは、結局人間に対する興味なのよ。私たちがいかに少しづつ世界をとらえていったかを教えてくれるからね」
P.125
今のインディアンの村に行けば、飾りもののようなトーテムポールを見ることはできる。だが、人々の暮らしはあまりに変わってしまった。たとえ形が同じでも、トーテムポールは何も語りかけてはこない。それを刻んだ人びとの心の中で、ものがたりが消えてしまっているからだ。クジラもクマもワシも、ずっと遠くへ行ってしまったのだ。
P.159
ぼくの好きなアラスカの動物学の古典、”Animals of the North"(北国の動物たち)の著者とビル・ブルーイットが重なるのは、ケープトンプソンでデイブからその話を聞いた一年も後のことだった。それは生物学の本というより、アラスカの自然を物語のように書き上げた名作である。当時すでに絶版になっていたこともあり、ぼくは宝物のように大切にしていたのだった。
「旅をする木」で始まる第一章。それは早春のある日、一羽のイスカがトウヒの木に止まり、浪費家のこの鳥がついばみながら落としてしまうある幸運なトウヒの種子の物語である。さまざまな偶然をへて川沿いの森に根づいたトウヒの種子は、いつしか一本の大木に成長する。長い歳月の中で、川の侵食は少しづつ森を削ってゆき、やがてその木が川岸に立つ時代がやって来る。ある春の雪解けの洪水にさらわれたトウヒの大木は、ユーコン川を旅し、ついにベーリング海へと運ばれてゆく。そして北極海流は、アラスカ内陸部の森で生まれたトウヒの木を遠い北のツンドラ地帯の海岸へとたどり着かせるのである。打ち上げられた流木は木のないツンドラの世界でひとつのランドマークとなり、一匹のキツネがテリトリーの匂いをつける場所となった。冬のある日、キツネの足跡を追っていた1人のエスキモーはそこにワナを仕掛けるのだ・・・。一本のトウヒの果てしない旅は、原野の家の薪ストーブの中で終わるのだが、燃え尽きた大気の中から、生まれ変わったトウヒの新たな旅も始まってゆく。この本全体に流れている極北の匂いにどれだけアラスカの自然への憧れをかきたてられただろう。
P.175
日本からやってきた妻へは、誰もが励ましの言葉をかけていた。おそらく一八〇度の生活の転機に、皆が少なからず心配をしているのだろう。この土地の冬のきびしさ、都会の華やかさは何もない人々の暮らし。ぼくにとっても、アラスカに暮らす人々にとってもあたりまえの多くのことが、彼女にとっては初めて飲む水だからである。友人のカメラマン、キムが、まだ英語がよく理解できない彼女に向かった、ゆっくりと、さとすように話しかけていた。
「いいか、ナオコ、これはぼくの短いアドバイスだよ。寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人を近づけるんだ」
P.179(著者の友人、ビル・フラーの話)
誰もが何かを成し遂げようとする人生を生きるのに対し、ビルはただ在るがままの人生を生きてきた。それは自分の生まれ持った川の流れの中で生きてゆくということなのだろうか。ビルはいつかこんあふうにも言っていたからだ。
「誰だってはじめはそうやって生きてゆくんだと思う。ただみんな、驚くほど早い年齢でその流れを捨て、岸にたどり着こうとしてしまう」
P.182(老齢のビルが新しい言語の勉強に没頭していることにたいして)
世界が明日終わりになろうとも、私は今日りんごの木を植える・・・ビルの存在は、人生を肯定してゆこうという意味をいつもぼくに問いかけてくる。
P.192(チャルキーツィック村のインディアンであり、アラスカのアサバスカン・インディアンの世界で二番目に重要な地位にいるチーフ(酋長)、人々にとっての精神的なリーダーであるディビット・サーモンの言葉)
「・・・・昔から、インディアンが考えていることは三つしかない。大地、動物、そして人間だ。生きのびてゆくためにな。富、そんなことは誰も考えはしなかった・・・・・」
P.213(19世紀に毛皮貿易で栄えた太平洋のパリとも称された街・シカトから少し離れたところに訪ねたジェィミイという女性の話)
「世の中には二種類の人間がいるだけだと、いつか誰かが言っていた。奇妙で、面白い人生を送る人々、そしてもう一つはまだ会ったことがない人々・・・・つまりこの世の中でそれぞれの人間の一生ほど興味深いものはないということかしら・・・・」
ジェイミイは、ほとんど人が訪れることがないこの入り江での暮らしを語りながら、こんなことを言っていた。
「・・・・時おり誰かがここにやって来ると、自然の中でなんてすばらしい生活をしているのかと感動するのね。でも一週間もしたら、皆耐えられなくなってしまう。寂しさとか孤独にね・・・・じゃあ私がそうでなかったのかというとそんなことはないのよ。それは痛いほどの孤独と向き合わなければならない。でもある時、そこを一度突き抜けてしまうと不思議な心のバランスを得ることを見つけたの・・・・。街にいれば、自分自身の中にある孤独を避け続けることができる。テレビのスイッチをひねったり、友達に電話をかけたりしてね。その孤独と向き合わないさまざまな方法があるから・・・・でもここではそれができない。その代わり、孤独を苦しみ抜いてしか得られない不思議な心の安らぎがあったの・・・・」
P.216
もう何人もの知り合いのブッシュ・パイロットが死んでいた。彼らの多くは本当に腕のいいパイロットだった。しかしこの土地では、腕の良さが事故を避けられるとは限らない。彼らは毎日のようにアラスカの自然の中で飛び続けているのである。たった一枚の悪いカードをいつ引いてしまうのか、ただそれだけのような気もする。遅いか早いか、悲しいけれどもそんな気がする。なぜならば、その悪いカードこそが、アラスカのブッシュ・パイロットがどこかでこの土地に魅きつけられているものなのだ。
けれども、そのカードを無意識のうちに避けることができるバ���ロットがいる。飛行技術などは関係ない、そして判断力とも少し違う。その人間のもつ微妙な資質のようなもの。その見えない何かをドンはもっている気がした。それはまた大きな意味での運というものと関わっているのかもしれない。
P.230
結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。